第2話 第八歩兵連隊第三中隊長

大正6年(1917年)2月1日


 樺太島の中央部に、明治維新後に新たに造られた街がある、樺太市といい、樺太県の県庁所在地であり、日本陸軍第八師団の司令部も、この街にある。

 樺太島の陸軍部隊は、第八師団と第十四旅団の2つが駐留しており、第八師団は樺太北部、第十四旅団は南部を担当地域とし、私は、第八師団の第八歩兵連隊第三中隊で中隊長をしている。


 中隊長をしていると先程言ったが、拝命したばかりだ。

 しかも、我が連隊、我が中隊は、欧州ヨーロッパに派兵されると来たもんだ!

 2月の樺太の寒さも気にならなく成る程に、私の頭の中は混乱していた。

 妻に派兵の事をどう言うべきか…



 「藤条大尉。我が帝国は欧州戦線への派兵を決定した。欧州派遣軍と名付けられる。その第一次派遣部隊は、三個旅団級の戦力とすることが参謀本部にて決定され、栄えあるその部隊の一部として、第八歩兵連隊の出師が決定した。君には期待してるよ。」

 第八師団司令部の師団長室での話だ。この場合、訓示と言っていい。


 青天の霹靂とは、こういうことを云うのか?


 確かに我が陸軍は、欧州戦線に派遣された観戦武官からの報告により、塹壕戦の訓練、部隊編成、装備体系の見直し等を実施していてはいたが…


 何たることか?!

 何故派兵の可能性を見過ごしていた?!


 サクラ型 鉄兜てつかぶと頭形兜ずなりかぶと型鉄兜を頭に被り、三八式騎兵銃と五年式軽機関銃、三八式散弾銃、軽迫撃砲(仮称七糎迫撃砲)を装備し、円匙えんぴ塹壕タコツボを掘り、防毒面で顔を覆い、塹壕の中に潜り込み、実弾の榴弾を使用して、その砲撃にひたすら耐える訓練をしていたのは、この為だったのか?!


 てっきり、欧州列強に遅れずに、近代戦に対応出来るよう我が軍の練度を上げる為の実戦に則した訓練であると思い込んでいた。


 将校として、些か見通しが甘かった…


 色々と考えていても、もはや決まった事だ、どうにもならん。

 とりあえず、連隊本部に行って、中隊長としての仕事をせねば。



 「以上、藤条大尉に、第八歩兵連隊第三中隊長の職務を引き継ぎます。」

 「藤条大尉、阪口大尉から、第八歩兵連隊第三中隊長を引き継ぎました。」

 前第八歩兵連隊第三中隊長だった阪口大尉から、私は連隊本部で中隊長の職務を引き継いだ。

 これは所謂いわゆる儀式だ。

 阪口大尉は陸士19期、私の1期上の先輩になる。その痩身の身体からは想像し難いが、徒手格闘ではべらぼうに強かった。

 ちなみに、阪口大尉は師団長室からずっと一緒にいて、彼の次の人事もあの場で聞いていた、第八師団司令部参謀だ。率直に言って栄転だ!


 「では早速、藤条大尉には中隊を指揮してもらおう。第三中隊を連隊本部前に集結させ、巡検を行う。」

 訛りのない穏やかな口調で話す、比良坂連隊長の方を向き、立礼をする。

 比良坂大佐は、我が第八歩兵連隊の連隊長であり、カイゼル髭を蓄えた偉丈夫だ。


 比良坂連隊長の指示により、この日は朝の課業始めから、中隊長昇任辞令、中隊長職引継ぎに続き、第三中隊の巡検を開始した。


 連隊本部前の雪かきされたグラウンドに整列した第三歩兵中隊。

 身に染みる寒さの中、整然と各小隊長を中心に4列縦隊で整列した三個小隊の中隊は、隊列の最右翼に整列した中隊本部班の副中隊長の号令の下、捧銃ささげつつを行い、向かいの雛壇にいる、私と連隊長に視線を向ける。


 私と比良坂連隊長は答礼をし、敬礼した手を下ろすと、中隊も捧銃から、副中隊長の号令により立銃たてつつの姿勢になる。


 実に無駄の無い動きで動く中隊を見て、我ながら感心してしまった。

 連隊長の計らいにより、連隊付の身でありながら、以前から訓練時に小隊や中隊の臨時指揮官として指揮を採らせてもらってはいたが、中隊長である私は、彼らの目にどう写ったであろうか。


 私自身が云うのも難だが、みてくれをいえば、身の丈は180㎝と高く、体型もよく鍛えられた為に普通といったところだが、顔は子供の頃から浅黒く、異人さんの様な顔だといわれている。

 それは無理もない、母のミヨは日本人とウィルタ人の混血で、更に母ミヨの母、私にとっては母方の祖母だが、話によるとウィルタ人とナナイ人の混血とのことだ。

 まぁあ、それは外見の話で、問題は中身なのだが…

 私は日露戦争後の軍人だ。下士官や兵卒の中には、日露戦争を戦ったつわものもいる、かつて小隊長をしていた時もそうであったが、指揮官として信頼されねば、兵はついてこないからな。


 そうこう考えているうちに、連隊長は訓示に入り、午後の課業始めから、今度は連隊本部前に、連隊で総員集合させる旨を中隊各員に伝え終わっていた。


 比良坂連隊長から以後を任されると、私は挨拶を軽く済ませて、中隊を解散させた。



 中隊を解散させた後、私は中隊本部班の者達と話し合いの場を設けた。


 「中隊長、昼一からの連隊集合は、派兵の件を伝える為ですか?」

 副中隊長の田沢中尉が、挨拶を済まし終えると即座に聞いてきた。


 「まずそれで間違いないでしょう。」

 それ以外に連隊を整列させる理由もないし、間違いなかろうよ。


 「いよいよ欧州派兵ですか、腕が鳴りますよ!」

 去年の12月に我が隊に配属されたばかりの第一歩兵小隊長の加太かだ中尉だ。

 随分と威勢がいい、彼の兄は、砲兵小隊長として青島チンタオの戦いに参加し、武勲を上げていると聞く、彼もそれに続きたいのであろう。


 「加太中尉、逸る気持ちも分かるが、あまり先走ることの無いように。我等士官は常に冷静でなければならない。」

 諭す様な口調で言いはしたが、一番浮き足立っているのは私かもしれんな…


 「藤条大尉殿、申し訳ございません!」

 加太はハッとした表情をし、頭を下げたが、むしろ私の方が頭を下げたいぐらいだ。

 内心では、家に帰って妻に派兵の事を伝えねばという気持ちで一杯だったからだ。


 「加太中尉、その件は構わない。それよりも、我が第三歩兵中隊第一歩兵小隊長として、その意気込みは実戦にとっておいてくれ。」

 一応、私なりにフォローしたつもりだ。士気が下がりでもしたら目も当てられない。


 「ありがとうございます。中隊長殿!」

 えらく元気な中尉だ、何せまだ23歳、これも当然かな…


 この様な会話の後も、雑談を交えながら第三歩兵中隊の現状と士気、練度と各人員について話した。


 ちなみに、第三歩兵中隊を含めて、我が軍の歩兵中隊の編成は、歩兵三個小隊からなり、三個小隊は歩兵四個分隊から成っている。

 一個歩兵分隊の員数は10名で、一個歩兵小隊は三個小銃分隊と、一個軽迫撃砲分隊から構成されている。

 三個小銃分隊には9挺の小銃と1挺の五年式軽機関銃が配備され、一個軽迫撃砲分隊は分隊長と、3門の仮称七糎迫撃砲を運用する6名、小銃と予備弾薬を持った3名がいる。


 また、連隊は三個歩兵大隊と一個歩兵砲中隊で編成され、一個歩兵大隊は三個歩兵中隊と一個機関銃中隊、一個迫撃砲中隊、一個弾薬中隊で編成され、師団、旅団の基本編成はというと。


師団編成

一個歩兵旅団

 三個歩兵連隊

一個騎兵大隊

一個砲兵連隊

一個工兵連隊

一個輜重兵連隊

一個師団直轄連隊

 一個通信大隊

 一個武器整備大隊

 一個衛生大隊

 一個制毒防疫隊


旅団編成

二個歩兵連隊

一個騎兵大隊、又は、一個騎兵隊

一個砲兵大隊

一個工兵大隊

一個輜重兵大隊

一個旅団直轄連隊

 一個通信隊

 一個武器整備隊

 一個衛生隊

 一個制毒防疫隊


以上の基本編成と成っている。


 この編成は、日露戦争後の「兒玉ドクトリン」に基づいた編成だ。


 兒玉ドクトリンとは、日露戦争後の明治39年(1906年)から明治43年(1910年)の、児玉源太郎閣下が参謀総長就任後、脳溢血で亡くなるまでの4年間のあいだに行った、陸軍改革の根幹となる戦闘教義だ。

 児玉閣下は、当時の陸軍大臣の寺内正毅閣下と、海軍の山本権兵衛閣下、斎藤実閣下と共に、山懸有朋閣下を説得し、将来の大日本帝国の国防に関する指針を策定した。

 それは、日本の国力を勘案しての戦備計画と軍部改革案であり、日本の経済、工業、技術、臣民の生活水準の発展を優先するもので、当時の内閣にも認められている。

 わかりやすく日本陸軍の師団、旅団数だけで見ていえば、山懸案では平時二十五個師団、戦時五十個師団だったものが、平時編成は十個師団と六個旅団のみで、戦時にはこれを三十個師団に増強し、総予備に十個師団を編成し、計四十個師団として運用するというものである。

 陸軍部隊の運用も、旅順を巡る戦いの戦訓から、砲兵と工兵、輜重兵を重要視し、兵站に重きを置いたものとなっている。

 なお、海軍の軍備、組織改革案を基軸になる戦闘教義は、「山本ドクトリン」または、「山本・斎藤ドクトリン」と呼ばれている。




 私はこの日、実に多忙な時間を過ごした。

 午後の課業始めからの連隊の総員集合、巡検を終え、連隊長比良坂大佐による「欧州派兵」の訓示を聞き、その後は書類作業に忙殺され、なんとか定時で職務を終えて、妻の待つ家への帰路についた。

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