駅ベニストの心得 後編



 絶景。その海は絶景としか言いようがなかった。

 


 松が茂る防砂林の向こうには陽を反射させてキラキラと『ひかり』輝く海。

 空は青く、遠くには入道雲が真っ白な城のように立ち上がっていた。

 すべてが・・・まぶしい。




 俺は、思い出した。




 小学六年生の夏休み。

 お盆に親戚の家へとお泊りに行くために、一人で電車に乗ったあの日だ。


 港が近い、小さな駅。乗りかえで下りた、人の少ない駅。

 海の見えるその駅で、新鮮なお魚の入ったお弁当を買った。

 おばあちゃんがくれたおこずかいで、買ったんだ。


 緑の小さな電車が来る。

 二つくらいのつながった電車。煙が出る電車。

 ワクワクして、電車に乗った。


 お客は少なかった。お年寄りが少しいるくらいだった。

 イスに座って、水筒を窓のふちに置いて、お弁当はひざの上に置いた。

 包みはビリビリにやぶった。だって、お腹が空いていたんだ。

 ぼくは、無我夢中で食べた。おいしかった。


 何から順になんて、考えずに、おいしいものを、おいしく食べた。

 でも、イワシが残った。かなり、甘酸っぱかった。

 子供のぼくには、少し苦手な味だった。


 でも、食べた。がんばって食べた。

 おばあちゃんがくれたおこずかいで買った、ちょっと高いお弁当だから。


 がんばって、食べ終わった。

 最後に窓のふちにおいた水筒を手に、お茶をグッと飲み込んだ。

 そして、また水筒を窓のふちに置く。


 その時に外を見た。

 どこまでも続く海だった。


 海の青、空の青、境目が分からないくらいの青。まぶしいくらいの青。

 白い雲が、額縁のように、青だけの空をおさめていた。


 ぼくは笑った。

 これが、冒険の1ページなんだな、なんて、詞的なこと言いながら。




 俺は・・・その遠い光景を、思い出し、笑みがこぼれた。

 そして、頬に涙が伝った。


 つい、こぼれるこの笑いは、自虐への笑いではなかった。


 あの失敗が、後悔が、とても楽しかったのだ。

 無鉄砲で、無計画なあの頃の自分が楽しかったのだ。


 だのに、その日の感情を忘れてしまった。


 だのに、冒険する事へのトキメキをどこかへ置いて来てしまった。


 社会人になって、計画性を大事にするようになってしまった。

 大人になって、日々の時間に制限ができた。

 だから仕事の日でも休みの日でも、毎日を計画的に過ごさないとどこかで不備や、しわ寄せがくるのだ。

 だから、計画し、実施し、評価し、改善をする。それが当たり前なんだ。

 PDCAサイクル『Plan(計画)・Do(実行)・Check(評価)・Action(改善)』なんだ!

 それができてこその社会人なんだ!

 そうしないと、何事もうまくいかないんだ!お弁当もうまくないんだ!




 それって、楽しい?




 子供心の俺が・・・・・・『ぼく』が問いかける。


 ねえ、楽しい?


『駅ベニストの心得、その4。心から駅弁を楽しむべし』


 俺は、計画に則ったお弁当の食べ方に、楽しみを感じていないのか?

 否、この食べ方は、俺の楽しみ方の一つだ。


 だが、子供の頃の失態も・・・楽しみ方の一つであった。


「ふんふんふふ~ん♪」

 小娘が、鼻歌混じりにお弁当を片付ける。その顔は若く、とても楽しそうに。


 俺は・・・ぼくは、また弁当に向き合い、漬物をかじって、冷しゃぶを大口で受け止め、一気に米をかき込む。

 そしてナマス、酸っぱい!出汁まきで中和、口にまだ酸味が残る。カジキの西京焼きをかじってごはんをガッツリいただく。

 あと、天ぷらもどんどん口に運ぶ。どれも夏を感じさせる。

 海を見ながらの夏野菜の天ぷら。

 良いじゃないか。良いぞこれ、カボチャは甘い。ナスは柔らかい。

 そして小イワシの天ぷら・・・ふっ、美味いぞ。サクッとした歯ごたえ、イワシの海を感じさせる味。眼前は海。それでいい。それがいい。

 ちょっとわらび餅にも手を出すか。デザートを途中で食べるのはマナーに反するが、誰に今、何を注意されるというのか?食べたいものを食べてるだけだ。


 あっま!黒蜜あっまぁ。


 これはお茶がいるな。どうせならもうちょっと苦いお茶なら良かったかもだな。

 ま、それは今後にするとして、弁当はまだまだある。次だ、次!

 その後も行き当たりばったりで箸をすすめ、黙々と無我夢中で弁当をかきこんだ。


 ふぅ、ちょい苦しい。かなりボリューミーな弁当だ。


 さてと、最後に手羽先の甘辛煮が残ってしまった。

 ご飯は・・・もうない。後悔は・・・するも、笑ってしまう。

 一粒もないのだ。我ながらキレイに食べたものだ。

 どうせ最後だ。俺は箸を置き、手で手羽先を持ち、思いっきりかじる。


「かれぇ~」


 思わず、声が出る。

 俺は、今のが小娘に聞こえたんじゃないかと思い、咳払いをして、外を見る。

 やはり海。青い海と空。この青さは変わらない。雲の形は変わるが、青さは変わらない。


 あの日のままだ。


 そして、また手羽先をかじる。口の中は辛い。手は溶けた糖類でニチャニチャする。

 そんで、それは甘い。ちょっと舐めてみた。


 まったく、『大人の祝日弁当』を子供のように食べてしまった。

 なんという思い出だ。また笑っちまう。

 そんなこんなで、ついに食べ終え、俺は手をウェットシートで拭いて、その手で両手を合わせる。


「ごちそうさま」


 小さく言い、俺は弁当の片付けに入る。その際、俺は弁当の味を振り返る。

 たくさんのおかずで、食材は旬で新鮮。どれも実に舌を喜ばせてくれて、楽しいひと時だった。これは小娘みたいに鼻歌を歌いたくなるな、やらないけど。


 小娘よ、俺に大切なモノを思い出させてくれてありがとう。

 あれ、そういえば、この小娘。『かしわめし』を食べ終わってから『ごちそうさま』を聞いていないな。

 あれだけ大きい声で『いただきます』を言っていたのに、それはいかんぞ。


『駅ベニストの心得、その10。最後は必ず感謝を』

 

 感謝は何事にも大事である。礼儀だ。おばあちゃんも言っていた。

 小娘よ、食べ終わった『かしわめし』のお弁当を片付け終わって、お茶を一服しているところだが、大事なことを忘れてはいけない。


 いくら非日常を味わえたとて、ごちそうさまが言えないのなら駅ベニストは愚か立派な大人のレディにはなれないのだぞ?


 ここは少し、それとなく声をかけてみるか。

 そう思い、俺はまだまだ子供の小娘に向かおうとした、その時だ!



「ふう、休憩おわり~。さ、次のお弁当よ!」



 なんだと!俺は耳を疑った。まだ終わりじゃなかったというのか、この小娘!


 確かに、二つも弁当を食べれば、その分、味を楽しめる。ハズレを引く可能性も減る。

 しかし、いくら若いからと言って、お弁当とオニギリを食べておいて、それは無謀すぎる!


『駅ベニストの心得、その48。暴飲暴食は後悔の元』だぞ?おばあちゃんも言っていた。


 小娘はなんとも良い笑顔で、『全国!駅弁フェア』が印字されたナイロン袋から次なるお弁当箱を取り出す。



「なッ!」


 しかもそれは、販売中止になった、伝説の『ジェットボックス式シウマイ弁当』ではないか!


 大量にあるお弁当の中から、伝説クラスのお弁当を選び抜いた小娘の選択眼は賞賛し、感嘆もするが、それはマズい!

 いや、美味いのだが、ここ閉鎖空間の新幹線でそれはマズいのだ!


 俺が何をこんなに焦っているのか、それは『ジェットボックス式』のお弁当であることにある。


『駅ベニストの心得、その89。ジェットボックス式の弁当には気を付けろ!!』


 解説しよう、『ジェットボックス』とは、この弁当箱は普通の弁当箱と違い、箱の一部から外にビニールテープ、もしくはヒモが出ているのだ。

 そのテープやヒモを引っ張ることにより、内部にある薬品が化学反応を起こして発熱し、容器内のごはんやおかずを加熱するのである。

 このような仕組みの弁当をジェットボックス式、もしくは加熱式弁当という。


 ヒモを引くだけで、ホカホカなお弁当が食せるというのは、なんとも便利であるが、一つ問題がある。


 このお弁当、ジェットボックスの名を冠するだけあって、ヒモを引くと同時に、ジェットのような音と、排ガスのような蒸気を発するのだ。


 音はまあいいが、この蒸気が問題となる。


 蒸気は上へと昇っていく。そう、窓の外に見える入道雲のようにだ。


 そして、その雲はシウマイの『におい』を連れて広がり、室内であれば立ち込めるのだ。その『におい』たるや、一車両を覆うほどである。


 しかも、テープを引いてから、数分待たなければならず、このお弁当を閉鎖空間で開いた者は、他者からの嫌悪感に苛まれながら、後ろめたい気持ちで食さなければならない。


 それにこれは、『駅ベニストの心得、その1。他者への最低限の配慮』が欠けた行為である。


 それは不可抗力だろうし、若いのだから、このお弁当を知らなくても無理はない。


 だが、このままではマズい。これでは小娘が後悔の念で潰れかねない。


 せっかくの『駅ベニスト』の若い芽をこんな恥で摘まれかねない。


 早く、止めなくては!

「あら?テープ?えいっ!」

 しかし、一歩遅く、小娘はなんの疑問も持つことなくテープを引っ張ってしまう。


 説明を読め!その無鉄砲さ、足元をすくわれるぞ!


 しかし小娘、瞬時に異変を察知する。

「あっ、このタイプはッ!?」

 小娘が言うや否や立ち上がり、近くのドア、連結部分へと逃げ込むように入る。


 ドアには透明のガラスがついてあり、そこから連結部分の様子を伺える。

 小娘は落ち着いた表情で蒸気の出る弁当を持っていた。そして、今か今かと温まり切るのを待っている。ドアのガラスは蒸気で少し曇っていた。


 俺は驚いた。小娘はこの一瞬で、『ジェット式シウマイ弁当』がどのようなモノかを察知したのだ。恐らく、小娘は食品系にかなり見識が広いのだろう。


 だが、それで、どうする。シウマイのにおいが完全になくなるまで、連結部分で待機するのか?

 無茶だ。その弁当のにおいは数分そこらで消え去るものではない。

 消え去ったとして、そこに残るのは遠く、温かさを忘れたシウマイだけだ。美味しい時期を逃してしまう。


 曇りゆくガラスの向こうで、俺は見た。


 小娘は・・・連結部分で・・・割り箸を・・・口にくわえ・・・片手で割った。


 おい・・・おい!やるのか?やっちまうのか?そんなところで、食うのか?

 小娘は、ついぞ、シウマイに箸を入れ、食べたッ!?


 そして、御満悦の表情!!


 やりおった、やりおったで!

 この小娘こそ新たなる可能性を秘めた『駅ベニスト』やああああ!


 思わず関西弁になってしまう・・・しかしこの小娘、やはり只者ではない・・・この小娘こそ、『駅ベニストの極意』に届く一人であろうと、俺は確信した。


 ついに、食べ終え、小娘は満足げな表情で戻って来る。


 そして、座席に座り。手を合わせる。

「ごちそうさまでしたっ!!」

 やはり元気に言う。ふっ、おそまつさまだ。


 なんとも良いモノが見れた。これぞ、若さ。勇敢さ。何事にも臆することなく挑む冒険心。俺が忘れかけていたものだ。


 俺は賞賛しよう、小娘の行動力に。


 ここで俺は初めて小娘に声をかける。


「美味かっただろう?シウマイ弁当。ほら、飴をあげよう。におい、気になるだろう?」

「え、そ、そう?あ、ありがとう・・・うん、美味しかったわ、お弁当!」


 小娘は戸惑いながら、飴を受け取る。そして、気恥ずかしそうに、されど心から「美味しかった」と言葉にする。


 それでいい。それと、俺はビジネスバッグの中から手鏡を取り出す。


「あと、顔中、お米だらけだぞ?口周りはソースだ。ほら、鏡みてみ?」

「えっ?えっ、あら、ほんと・・・・・・ひゃ、ひゃうううううう」


 小娘は顔を真っ赤にして、またも連結部分に逃げ込む。手洗い場で顔を洗いに行ったのだろう。


 これもまた、小娘の青春の1ページになるのだろうな。と、遠い日の自分に語り掛ける。


 小娘よ、『駅ベニスト』どころか大人のレディへの道はまだまだ遠く険しい。

 だが、こうして一つ一つ階段を上って行くのだろう。


 さて、俺は改めて空のお弁当箱を見る。

 本当にキレイに食べたものだ。


 良い思い出をありがとう。


 俺は愛おしくその『大人の祝日弁当』の箱をキレイにたたみ、袋に戻す。

 そして、車窓から海を見る。


 出張というイヤな気持ちが、随分と忘れられる一時だった。


 駅弁には旅先が明るくなるようにと、作った人たちの想いや『のぞみ』が込められているのだろう。


 その気持ちを、俺はまたこうしていただきにくる。

 きっと、あの小娘も新たな駅弁を求めて歩き続けるのだろう。



 何故なら、俺たちは『駅ベニスト』なのだから!



                                          

              完!



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