駅ベニストの心得 中編
箸が、いびつな形に割れてしまった。
俺の動揺が箸の形となって現れたのか?
まさかな、思い過ごしだ・・・俺は不吉な考えを振り払う。
まあ、いい。弁当を食す上で箸の形など、なんら問題のない些末なことだ。
俺は一口、ペットボトルのお茶を飲んで、舌を整える。
さて、改めて『大人の祝日弁当』の中を見てみようと、お重の様な箱を開く。
おしながきを片手に二つのお重を眺める。
まず、一の重にはカジキの西京焼き、鱧の湯引き梅肉添え、手羽先の甘辛煮、そして出汁まき卵である。
野菜モノは今が旬のオクラ、ナス、カボチャの天ぷら、あと小イワシも揚げてある。それに切り干し大根、紅白がきれいなナマスがあった。
次に、二の重。中は白いご飯はもちろん、その上には黒ゴマ。防腐にもなる梅干しが鎮座してある。それらは重の半分を占め、もう半分は強肴で、国産牛と野菜の冷しゃぶ(ゴマだれ)がある。
弁当箱のスミには仕切りで漬物があり、野沢菜とモズクのワサビ漬けがある。あまり聞きなれない漬物だが、アクセントとして嬉しい。
それと甘味にわらび餅(きなこ黒蜜)があった。
なんとも、豪華絢爛。普通の弁当とは1ランクも2ランクも上である。
どれから手を付けるべきか、何が正解なのか分からない。
ただ、分かるのは。早く食べたいということだけだ。
まだだ、落ち着け。順番を早まるなよ、井上良太・・・これらには順序と言うものが存在する。
その順番を誤れば、どれだけ美味しいお弁当だとしても、『苦』になることがあるのだ。
例えば、以前の朝食の時、卵焼きだけでご飯を食べつくしてしまい、納豆を残すという愚策を弄してしまった経験がある。
まあ、最後に納豆だけを食せばいいだけだし、朝食あるあるなのだが、それを高級な駅弁でやってしまっては、後悔をするだろう。
同じ轍を踏まないように、プランを練らなければならない。
まずは・・・どうするか?白米の品種は『コシヒカリ』であり、米の大様だ。
旨みが強く、粘りもやや強い。そして艶も良し。実にいい仕事をしている。
おかずとごはんをセットで口に入れるのは日本食において定石であり、おかずを引き立てる上で欠かせず、日本人として最も味を楽しめる食べ方なのだが、このお弁当、おかずの量に対してごはんはやや少なめだ。
製作者の『旬の食材を少しでも多く楽しんで頂こう』という思いは大いに感じるが、ここまでおかずが多いと、何をごはんとセットにするかを吟味し、厳選せねばならない。
カジキの西京焼き・・・西京焼きとは食材を白味噌につけこんだ後に焼いた料理のことだ。味噌、これは塩分が多い。米を多く必要とするだろう。
鱧の湯引き梅肉添え・・・そのままで楽しみたいところだが、梅肉とくれば米は必須。これも、多めにいただきたい。
手羽先の甘辛煮・・・辛いのか、辛さの度合いによるな。
強肴の国産牛と野菜の冷しゃぶは、重の半分を占める量であることから、大半の米が必要となる。となれば、だ。
冷しゃぶ:4 カジキの西京焼き:2
鱧の湯引き梅肉和え:2 手羽先の甘辛煮:2
割合的にはこうだろう。
プランは予め練って、挑む。これが、
『駅ベニストの心得、その3。勝利の味は戦う前から決まる』である。
そう思案していると、隣から鈴を鳴らしたような声がする。
「わぁ、思った通り、この『かしわめし』美味しいわ!ちょっと甘辛くてご飯がとてもすすむわね!かき込みたくなっちゃう!」
なんだ?隣の小娘の独り言か?俺はチラリと横を見る。
「なッ!?」
花も恥じらう年頃の娘が、お弁当を口にかき込んでいるだとッ!?
今時、そんなドカ食い、現場のおっさんでもやらないぞ!?
「やっぱりこの食べ方が一番美味しいわね、うまうまうまうま」
や、やめるんだ。そんな一気にかき込んだら、米粒が落ちるぞ!
いや、だが・・・落ちていない・・・何故!?
「ナニッ!?」
弁当箱をやや斜めに傾け、箱の角から米を流れるように食べているだと!?
なるほど、これなら、米粒が角に集まり、飛び散る可能性が少ない。なんとも、この娘が駅弁を食べ慣れたが末に編み出した独自の技なのであろう。
「ふう、ちょっと休憩ね。半分はキレイに食べれたわ」
いや、ほっぺに、めっちゃごはん粒ついてる!?
確かに弁当箱は半分がキレイに食べて底が見えているけど!
お顔が見ていられないことになっているんだけど!?
これは・・・言うべきなのだろうか?
しかし、本当に美味しそうに食べているのだ。この小娘は・・・
いや、やはりここで水を差すべきではないな。
『駅ベニストの心得、その4。心から駅弁を楽しむべし』
せっかく美味しく食べているのだ。食べ終わっても気付かないようであれば、それとなく教えてあげよう、そうしよう。
それよりも、だ。この娘、さっきから無計画に『かしわめし』を食べていないか?
上から、かしわ、卵、海苔:茶、黄、黒。これらは斜め線で配置されている。
弁当をかき込む際に角からいったもので、海苔と錦糸卵の減る割合が多く、かしわが多めに残ってしまっているのだ。
どうやら、彼女も今それに気付いた様子だ。
「あら、なんだか、かしわのそぼろが多く残っちゃったわ・・・これだとご飯が少ないわね・・・」
ほら見たことか。『かしわめし』はかしわのそぼろの下にご飯はあるが、味の付いたご飯である。白米ではないため、かしわのそぼろの塩分を緩和するにはやや足りないのだ。
ふっ・・・俺はそれを見て、つい笑みをこぼす。
俺も学生だった時分、初めて、それも一人で電車に乗って遠出をした際に買った駅弁で、似たような失敗をしたものである。
あの時は・・・『イワシの甘酢あんかけ』だったか・・・米無しで食べる甘酢あんかけはなんとも甘酸っぱく、それは青春の1ページに残る味であった。
なに、『駅ベニスト』見習いであればよくある失敗だ。
少女よ、悔いるな、前を向け!その失敗は立派な『駅ベニスト』になる上で必要な失敗なのだ。弁当を本気で楽しむようになるまでの、言わば通過儀礼のようなもの。
俺が、彼女から目を反らし、自分のお弁当に改めて向き合う。
そして、初手に出汁まき卵をいただく・・・うむ、美味い。出汁は効きすぎず、卵の旨みを活かしている。
次にカジキの西京焼き・・・白みその焦げ具合が絶妙だ。香り良し、魚の臭みがほとんどなく、カジキの旨みが直に舌へと運ばれる。
これはお米無しではもったいないというもの。すぐにお米を箸ですくい、口にほおばる。
これぞ、和のハーモニー。米に乗った黒ゴマも香りよく、後味が実に良い。
ここで、オクラの天ぷらを一口。うむ、甘みが塩で引き出され夏を感じる味だ。
次いで鱧の湯引き梅肉添え・・・なるほど、あっさりだ。初夏の今時分にちょうどいい。
そもそも、鱧は淡白であるが故に味を引き出すのが難しい。しかし、この料理。梅だれで、さっぱりとかつ、鱧の旨みを引き出す・・・と言うより引き立てているのだ。
まさに、良い塩梅。これは、鱧の味を強く頂きたいので、消化予定の米を少なめに下方修正する。
ちょっと緑茶を含んで、さあ、次だ。
ではでは、手羽先の甘辛煮はどうか・・・これは・・・予想を超えて甘辛い!
舌が強く刺激され、多めに唾液が分泌されるほどだ。となれば、お米が多く必要となる。鱧の分のお米を手羽先に回すとしよう。
だがこれ、米で辛さを中和すると、改めて鶏の旨みがよく分かる。
歯を当てればパリッとした歯ごたえ、舌に入れれば甘辛いタレ、咀嚼をすれば鶏の旨みが詰まった肉汁が吹きだす。たまらん。思わず汗をかく。
刺激の強いおかずの後は、間に切り干し大根を食し、舌を落ち着かせる。
そして、メインの冷しゃぶ・・・うむ、初夏にあった、あっさりとした味わいで、ゴマダレもコッテリしすぎず、薄甘で肉や野菜をノド越しよくしてくれている。
このお米の消費量は想定通りでいいだろう。
このように、副菜→メイン→米→副菜→メイン→米、とローテーションを組み、必要とあれば調節し、均衡に食せば、どれも均等に美味しく頂けるのだ。
美味しいモノだけを食さず、嫌いなモノがあれば食い合わせで味を調節し、おいしくいただく。
これぞ、『駅ベニストの心得、その5。キレイな三角食べ』である。
三角食べ・・・これぞ和食を美しくいただく上での流儀であり礼儀。おばあちゃんから何度も教え込まれたものだ。
どうだ?小娘よ、俺の食べ方は?少しでも『駅ベニスト』の階段を上がろうと思うのならば、俺の食べ方を見習って、お米の調節を・・・
って、オニギリ食ってる!?
え、オニギリ?かしわめしをおかずに、オニギリを食っているのか!?
「ふひゅ、ほいひぃわぁ~。やっは、ほひひりをふふっへひへ、へいはいひゃっははは」
(うん、美味しいわぁ~。やっぱ、オニギリを作ってきて、正解だったわね)
なッ!?しかもそのオニギリ、小娘の手作りだと?
万事において対策をしてきたというのかッ!?
そんな行為は異質である・・・お弁当に合わせて持ち込むなんてこと・・・
だが、美味しく駅弁を食べるという点では、理にかなっている。
もし、本当に狙ってやっているのだとしたら・・・これは『駅ベニスト』の新しい可能性を秘めた逸材なのやもしれない・・・
やはり・・・近づこうとしているのだろうか?『駅ベニストの極意』に・・・
だが、この若さで?いや、偶然かもしれない。
俺が訝しんでいると、小娘がまた何かを言う。
「ひゃはぁ~、ほはふひ、ほひひひほ、ほっへひへほはっはは~。ほほほへんほう、ほほっへひはほひ、ひゃはひんはほぅ~」
(はぁ~、おやつに、オニギリを、持ってきて良かったわ~。このお弁当、思っていたより、辛いんだもん~)
な、なんだ。おやつ用のオニギリだったのか・・・事前に見越してのオニギリだったわけじゃないのだな。
少し、俺はホッとした。
というか、この小娘さっきから独り言多いな。それに食事中に話す時は口の中のモノを飲み込んでからと、おばあちゃんから教わらなかったのだろうか?
「ごほごほっ!」
ほれみろ、ムセてるじゃないか。
小娘はあわててペットボトルのお茶を含んで流し込み、「ふぅ~」と落ち着きを取り戻す。
やれやれだ。
全ては若さ故の行動。食べ方に最適解の評価を求めず、改善することなくただ食欲のままに突き進む。まさに子供の食べ方。
食べ盛りの女子には『駅ベニスト』の道は早すぎたのだろう。
俺は少し気落ちしたが、なに、俺は一流の『駅ベニスト』として、理想的な駅弁の楽しみ方を追求するとしよう。
改めて、お弁当と向き合う。ある程度に一通りメインは味わった。では次に、手を付けていない副菜から手を付けよう。
まず、味わっておかないといけないのは、漬物である。
漬物、それは食事において、重要な役割を持つ、大切なキーフード。
漬物は悪い菌を追い出す善玉菌の力を活性化させるのに役立つが、それ以上に食事を楽しませるのに重要なのである。
時としてそれは、合間のアクセントであったり、お口直しであったり、箸休めであったり、お茶に合わせて頂いたりもする。
さて、この『野沢菜とモズクのワサビ漬け』はいかに属するものなのか・・・漬物独特の酸味を思い浮かべれば、よだれが自然と出てくる。口を十分に湿らせて食すとしよう。
歯ごたえ・・・良し・・・ポリポリと小気味いい音がする。舌触りも良い。もずく特有のぬめりが、柔らかく舌に流れる。
問題は・・・味だが・・・うむ・・・んぐッ!?
これは、マズい!?いや、味は美味いのだが、思ったより鼻に通るワサビの辛さ、ごはん無しでは耐えられん。
俺は思わず、ごはんを一口、食べてしまう・・・うまい・・・
驚いた・・・漬物とは、ごはんに合って然るべきであるのだが、立ち位置的にはあくまで添え物。ちょっとしたアクセントであることが多い。
だが、この『野沢菜とモズクのワサビ漬け』は旨みの主張が強く、おかず単体として、他のメインと十分に張り合えるキャパシティがあるのだ。
これは失敗した。漬物という、定番な立ち位置であるが故に油断した。野沢菜とモズクのワサビ漬け、実は俺にとってこれが初体験の漬物なのだ。
美味過ぎる・・・これをごはん無しでいくのはもったいない。
ごはんを多めに消費してしまった。食べ方の評価としてはマイナスな行為だが、まだリカバリーはできる。お弁当タイムは始まったばかりなのだ。
改善策として、鱧の湯引き梅肉添えの分を減らして・・・いや、それは手羽先で出した案と重複する。ダブルブッキングは危険だ。これで切迫され後悔したことが何度もある。
そう、普段の仕事の職務においても通じることである。
ちゃんと計画を練り直し、遂行する。これぞ、『社会人』であり、立派な『駅ベニスト』なのである。
しかし、どうしたものか・・・俺が頭を悩ませていると、隣の小娘がまたも独り言を放つ。
「はぁ~、なんとか、そぼろを美味しくいただけたわね。あとは、この柴漬けね・・・うん、コリコリとして美味しいわ!少し甘みがあって、お茶と一緒でも合うわね。だけどごはんとも合うのよね~」
そして小娘はお弁当箱に視線を下し、
「あらら、ごはんがもうないわね。残念だわ・・・惜しいことをしたわ」
まつ毛を伏せ、肩を落とす。
俺はそれを見て、ほれみろ、と心の中で言う。何事も計画が大事なのだ。
まったく、それを理解できないウチはまだまだ子供である。
というか、顔中にまだ米粒ついてるじゃないか。それを集めて食べろ、小娘。
あと、そろそろ独り言を止めて静かにしてほしい。
こっちはイヤな出張と仕事を忘れて、豪華なお弁当タイムを大いに楽しむために改善策を決める為の脳内会議中なのだ。
だが、小娘はまたも言葉を続ける。
「でも、こうやって思いっきり食べるのも美味しいわね。ここなら、誰かにとやかく言われないし、少し豪華な駅弁で、ちょっとした非日常を味わえるわ」
まあ確かにな。気兼ねなく食べられる・・・それに、非日常・・・か。
俺は彼女の非日常と言う言葉が心に突き刺さった。
駅弁・・・それは、遠くへ旅する者への癒しである。
知らない遠い場所へと足を運ぶのは、楽しみでもある反面、不安もある。
そうした不安を少しでも払拭してくれる温かい存在なのである。
俺は初めて遠出をして、駅でお弁当を買った日、若かりし頃の自分を思い出す。
イワシの甘酢あんかけ弁当・・・イワシ、魚に弱いと書いて鰯である。故に消費期限は短く。産地限定での販売。だからこそ新鮮な鰯を使い、すぐに調理し、お店に並ぶ。
数量限定という販売文句にお子様だった俺は考えなしに飛びつき購入した。
いざ、箱を開ければ今も思い出す。きらびやかなおかずたち。普通のコンビニ弁当では見られない調理法を使用した新鮮な食材たち。
どれも美味しかった。だが、俺はそこでごはんの消費量を見誤った。
鰯の他にからあげがついていた。俺は若かった。中坊だった。からあげだけで、ごはんを全部食べてしまった。
そして、甘酸っぱいメインのイワシをごはんなしで食べるのに苦労した。
今でも思い出す。そして、つい、笑ってしまう。
この笑みはなんだ?苦笑いか?鼻で笑うというやつか?
当時の、計画性のない、無鉄砲な自分を恥じて笑ってしまうのか?
ああ、きっとそうだ。なんとも情けない話だ。なにせ、子どもだったのだ。
仕方ないのだ。
つまらないことを思い出してしまった。まったく、この小娘め、何度も社会人である俺の心を揺すぶってからに・・・
次は何を言うつもりだ?もう俺は揺るがないぞ。心は固い。なにせ、社会人なのだから・・・
小娘は視線を弁当箱から反らし、車窓から外を見る。
「ん~、良い景色ね。これも思い出よね。景色を横においしいお弁当をいただく。とても楽しいわよね」
鼻歌のように軽やかに言う小娘。
景色、ね。
出張の道中をたどる景色だと思うと、あまり気のりしないが気分転換にはいいか・・・
俺もその視線を追って外を見る。
そこには、海があった。
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