お・ま・け ~駅ベニスト、エミリカ!?~

駅ベニストの心得 前編



 俺は井上良太、よくいる中年の公務員だ。



 今は出張で新幹線に乗り、兵庫から東京へと向かっている最中である。


 座席にてノートパソコンでの書類作りを一段落させ、窓から外を見る。

 するとそこに広がるのは稲の緑がまぶしいほどの田園風景であった。

 実に初夏を感じさせる。


 ため息が出るほどの田舎。まあ、良い景色ではある。

 これが出張への道のりでなければもう少し楽しめたであろう。


 俺はパソコンに表示されている時間を確認する。12時15分。昼飯を取るには良い時間だ。

 仕事の手を休めると同時に空腹が胃を締め付け、お腹の虫を鳴らす。

 お腹ペコペコのペコちゃんだ。おっと、つい陽気なフレーズを言ってしまった。

 それも致し方ない。これから楽しみにしていた時間、駅弁タイムなのだから。


 出張という名の、ただ遠くへ行って関係機関の折衝、研究会、勉強会の参加。まったく、気分が憂鬱になるイベントが盛りだくさんだ。

 その中で楽しみを盛り込まないと、やってられないというものである。


 幸い、旅費として交通費と食費は経費で出る。なので俺は新幹線に乗る前に、駅前の百貨店で開催されている。『全国!駅弁フェア』に足を運ばせたのだ。


 そこには色取り取りのお弁当、地域性あふれる食材をふんだんに使ったお弁当、我を手にせんと誘うかの如く出来立ての香りを放つお弁当たちであふれていた。


 俺は時間の許す限り、一つ一つ目を通し、吟味し、選び抜く。

 選ばれたのは、『大人の祝日弁当』だ。


 選ばれた理由は見た目良し、食材良し、栄養バランス良し、そして何より内容が多彩なのだ。


 その多彩な内容とは魚介類から肉類、山菜や野菜、季節に合った旬の食材等を使用されている。

 一見、お弁当としてはおとなしめな見た目であるが故に他のきらびやかな弁当に見劣りしやすいが、どれも調理の仕方が一つ一つ丁寧で、多様なのである。


 先程に少しふれたが、駅弁と言うのは地域性が色濃く出る。これは旅行の思い出の『味』としては良いが、デメリットもある。


 そう、地域の風土が反映された味に、自分の口が合わない可能性があるのだ。


 イクラ丼弁当やウニ丼弁当といった魚介類の弁当では塩加減がどれくらいのものか分からないし、ステーキ弁当といった肉料理では焼き加減やソースの濃さも己の好みにどれくらい近いかは買ってから判明するのだ。


 そもそも、味の好みは東西南北で違いがある。

 なので一点突破型の弁当に手を伸ばすのはあまりにリスキーなのだ。


 よって、俺は多彩な味が楽しめる『大人の祝日弁当』を選んだのである。

 おかずのどれかは俺の好みの味に当たるだろうし、色々な味を楽しめるのはお得感がある。


 これが、多くの出張と同時に駅弁を楽しんできた『駅ベニスト』である俺の極意なのだ。


 駅ベニストである俺が睨んだ弁当の味はいかほどのものか?

 まあ、それはここからの楽しみだ。


 俺はノートパソコンをビジネスバッグにしまい。ナイロン袋から『大人の祝日弁当』を取り出す。弁当箱は若草色の風呂敷に包まれていて、旅行気分を思い起こさせる。


 なんとも、ワクワクさせてくれるではないか。

 風呂敷をほどけば、お重を模した黒の弁当箱(二段)が出てくる。豪華さを期待させる良い箱の作りだ。


 ふむ、さてさて、中身は?俺は箱を開けようとした時である。


 ポスンッ、と空席だったはずの隣の席に誰かが座ったのである。


 楽しみの中断が余儀なくされる。お隣りへの弁当のにおいとか気にしてしまうのもあるが、なによりわざわざ俺の隣に座ってきたことを不審に思う。

 というのも今日は平日ということもあり、乗客は少ない方である。


 今も周りを見渡せば空席はいくらかある。なのに、車両の最後部座席、それもスミである俺の隣に座ってきたのだ。

 俺は箱を開ける手を止め、横に座ってきた不届き者を見る。


「!?」


 なんと美麗な少女であろうか?年の頃にして十代前半だろう。


 顔は小さく目鼻立ちが整い、亜麻色の柔らかな髪に縁どられていた。肌はとても健康的で、十代の活力に満ちている。

 服装を見れば学生の制服である。新幹線に制服で乗るとすれば修学旅行か何かだろうか?しかし、他に生徒や引率の教師らしき人物は見えないことから、冠婚葬祭のいずれかだろう。


 だが、そんなことよりもだ。


 こんなアイドル並みな美少女が隣に来れば、いくら三十を過ぎた俺とて、委縮する。俺が十代なら間違いなく過呼吸になるレベルだ。


 何故、俺の隣に?他の席は空いているというのに?


 いや、それより俺の手元にある弁当だ。どうする?このまま開けるのか?


 せっかくの駅弁タイムだ。

 ちょっと値の張る駅弁タイム。

 グレーな出張に色を与える駅弁タイム。

 ああ、甘美なる駅弁タイム・・・


 それが、お隣さんを気にしながら食べようものなら本来の味が楽しめないのである。これが、どこぞのおばちゃんなら気にせずに頂けるのだが・・・


 どうする?席を移すか?いや、この席は離れられない。何故なら『駅ベニストの心得』に反することになるからだ。


『駅ベニストの心得、その1。他者への最低限の配慮』

 

 それは、駅弁を車両内で食べるという行為にて気を付けねばならない心得である。

 食事において、他者への配慮は当然必要であるが、レストランや食堂とは違った心得が駅弁には存在する。


 何より他者に配慮すべきは『におい』だ。

 前述した食べ物屋には当然、食を目的としたお店であるが故に、食べ物のにおいが立ち込める。しかし、ここは車両。食堂車が廃止された今、ここでは食べ物のにおいというものが、ほぼ、存在しない空間である。


 よって、俺は車両の最後列のスミ。車両の連結部分の扉に近いこの席を選んだのである。


 基本、新幹線は窓が開かず、気密性が高い乗り物であり、換気は手動で行えない。全て機械による自動制御だ。


 そこで俺は車両の最も後ろの席に目を付けた。


 車両の端の席には、近くに扉がある。

 扉の先は他の車両との連結部分でもあり、出入り口や、トイレ、手洗い場が存在する。


 当然、その場所にも換気をせねばならない。そして、車両から連結部分へと向かい、空気の通り道があるのだ。人の通りが多いこの最後列席こそ換気の上でにおいが残りにくいのである。


 新幹線で食事をとるのは珍しくない。食事がしやすいようにテーブルが座席に収納されているのだから普通のことである。しかし、この車両には人が少ない。その分、においが目立ちやすい。

 この俺、井上良太には、においが気にならないか、やや気兼ねしてしまうのだ。


 そう、俺は小市民なのである。


 そんな俺の隣に、この美少女はわざわざ座りにきた。なんでだ?

 連結部分の近くが好きなのか?いや、出発してかなり時間は経っている。今になって移ってきたのにそれは無いだろう。

 冷房の風が効きすぎて移ってきた?確かにそれならこの連結部分はスミもあって風の影響は少ないが、時折扉が開く際に空気が流れる。温度を気にするのなら、安定した場所とは言えない。


 なら何故ここに・・・


「なッ!?」


 彼女もまた、お弁当を出し、前の座席からテーブルを用意し、置いただと!?

 しかも、その弁当に入ったナイロン袋・・・『全国!駅弁フェア』が印字されている!


 どうやら、この娘も・・・『駅ベニスト!』


 感心した。この娘もわざわざ、この席に移ってきたのは『におい』を車両に広めないためであるのだ。しかし、この若さで・・・駅弁を手に取るのか・・・


 女子ならコンビニで弁当とか、シャレオツな店のサンドウィッチとか食べればいいものを、わざわざ駅弁だと?

 だが、まあ。その若さでこちらの世界に足を踏み込むその勇気。ホメてあげなくもない。まだ早い気もするが、『駅ベニストの心得』も第一段階は通過している。


 なら、俺も同じ『駅ベニスト』として、この席でともに駅弁を楽しむとしよう。


 では、次に彼女の選んだ弁当はどうか?俺は横目でチラリと見る。

 ほう、『かしわめし』か。それも小さいサイズの・・・


 内容は、鶏出汁で炊きこんだごはんの上に、甘辛く煮た鶏肉そぼろと錦糸卵、そして刻み海苔を斜め線で茶色、黄色、黒の三色に分けて乗せてある。それがメインであり、ほぼ全体を陣取っている。

 そして、その隅の三角に小さく位置する付け合わせは、メインをさらに引き立たせる食材たちである。

 漬物は柴漬け。煮物は色合いの良いしいたけ、ニンジン、がんもとかぼちゃ。そして甘く炊いたウグイス豆である。


 この小娘・・・良い、着眼点だ。


 一見、この弁当は一点突破型に見えるが、そうとは言い切れない。選択肢は少ないモノの味の調節が可能なのだ。

 それは『三色』だからこそ可能な芸当で、かしわが自分の思っていたよりも味が濃ければ、錦糸卵を多めに口に含めば良いし、逆に薄く感じれば海苔を多く口に含めば良い。


 そういった点で、『かしわめし』は実に駅ベニストの口に安定し、長年に渡り、美味しさを提供し続けた、言わば完成型なのである。


 さて、次に彼女はどう動く?


 弁当をテーブルの中央に置き、お茶のペットボトルを専用の箇所に固定。そしてナイロン袋をキレイにたたみ、袖に置く。


 亜麻色の髪を後ろにくくると、ウェットシートで手を指先までキレイに拭く。


 うむ。正しい。清潔に食事をとるための常識だが、一連の流れに淀みはなく。育ちの良さが伺い知れる。


 俺も、それに遅れまいと所作を同じくする。


 だがこれは誰もができて当然の動作。駅ベニストであれば、ここからが重要である。食べるのにはまだやらねばならぬ事があるのだ。



『駅ベニストの心得、その2。手と心を清め、頂戴することに感謝を』



 それは、長年に渡って、通勤者や旅行者を楽しませ、その文化を維持してくれた製作者への感謝。

 そして、それらを用意してくれた農家や漁業、畜産関係者さんへの感謝。

 さらには食材がその身と命を分け与えてくれることへの感謝・・・


 そう、『いただきます』である。


 俺は手を合わせて、小さく「いただきます」を言う。周囲に配慮した小声で。

 そして、隣の小娘も、所作を同じくする。


 ほう、礼儀ができているじゃないか。駅ベニスト第二段階は通過と言ったところだな。


「いっただっきまぁ~っす!!」


 いや、声でかいなこの小娘ッ!?

 ここ車両の後方から声が『こだま』して戻って来る声量のでかさだぞ!?


 えぇ~、ウソだろこの娘?周りの配慮とかいう前に、恥はないのだろうか?

 俺は乗客の反応が気になり、前方に視線を送る。


「!?ッ」


 なん・・・だと・・・


 彼女の『いただきます』が契機となり、乗客は皆、ランチモードへと移行しているのだ。

 これなら、どこで、どの席で食事をしようと『におい』は気にならない。

 誰もが気にせずに、食事へと移行できるのだ。


 まさか、この小娘・・・狙ってやったというのだろうか?

 だとすれば、この若さで近付こうとしているのだろうか?『駅ベニストの極意』に・・・・・・

 

 いや、まさかな。若さ故だ。俺は考えを振りほどき、目の前の弁当に集中する。

 よそ見は『大人の祝日弁当』に対し失礼というもの。お箸を取り出し、横に持つと真ん中から開きそれを割る。


「アッ!?」


 お箸が・・・中途半端に分離してしまった。


 指が・・・震えている?この俺が、動揺しているのだろうか!?

 こんな小娘相手に・・・

 出鼻を挫かれてしまった・・・・・・

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