6皿目~お弁当に愛を詰めて~

日常への揺らぎ ~前兆~



 文化祭も終わり、七月も後半である。


 祭りの翌日、学校は平日授業であり、時刻は正午を回ったところだ。


 宇野は学食にてZランチセットのコロッケを食べながら、片手間に英単語帳を開く。

 夏休みに入る前の試練、期末試験に向けてのものだった。


「食事の時くらい、手を休めたらどうだい?」


 耳に雑音が入り、宇野は集中を解くと煩わしく手を置き、声の主を見る。

 それは生徒会長のT=グッドマンであった。彼はラーメン定食が乗ったお盆をテーブルに置き、向かい合って着席する。

 そしてグッドマンは面白そうに宇野の顔を見つめた。


「しかし、顔面爪痕だらけの傷まみれになったものだ。猫にでも襲われたのかい?」


 グッドマンが宇野の顔中に貼られたバンドエイドから収まらない爪痕を触ろうと指を伸ばす。しかし宇野は不快感を露わにして、それをはねのけた。


「知っておいてとぼけられるのは気分の良い物ではないが?」


 それにグッドマンは手をヒラヒラとして返す。


「うん、悪かった。で、どこまで察しがついているのかな?何でも屋は・・・」


 確認、だろう。宇野は淡々と話す。


「そうだな。エミリカと会長のあんたとが通じてるのは察している」

「ふむふむ、その根拠は?」


「文化祭での連日エミリカとの出会いが偶然とは思えないし、あんたの根回しと仮定すればしっくりくる」

「だがそれだと仮定の話にしかならない」


「・・・あんたの兄である元生徒会長のカインドマンか、元料理部部長の麗華さんや副部長の佐藤鈴さんに問い詰めようか?」

「ハハッ、止めてくれ。私のやり方が下手で、疑いの目が兄や麗華さん、さとりんさんに向いたとなれば、生徒会長としての品格と沽券に関わる」


「・・・それが根拠だ。実際下手だし、むしろ露骨すぎる・・・」

「まあ、そこが狙いだしねぇ・・・私と彼女の利害が一致したのだよ」


「グッドマンの利は仕事の円滑だろうけど、エミリカの利とはなんだ?」

「はぁ、本当こういう事には昔から病的に鈍いね。宇野・・・ヒロ君は・・・ま、この先は私の口から言うのは野暮というものでね。それより、せっかくのラーメンが伸びてしまう。悪いけど麺を啜るのに専念させてもらうよ」


 ここから先は自身で気付けと言いたいのだろう。グッドマンはメガネを曇らせながらラーメンを啜る。宇野は察して、再び英単語帳片手に箸を進めた。





 本日の授業も終わり、宇野は帰宅するべく自転車にまたがって校舎を出る。

 文化祭のあれ以来、エミリカには会ってはいない。食券は手に入ったが、それはピノが今朝持ってきてくれたのだった。その時の彼の姿は当然男子制服姿であったが、どうにも違和感を覚える。

 献身的に働く彼(?)にはメイド服姿の方がしっくりくるものがあった。この顔に貼ってくれたバンドエイドもピノのものである。

 申し訳なさそうにバンドエイドをくれるピノに、宇野はどこか特別な感情が生まれそうであった。


 そんな思いを巡らせてる内に、宇野の住んでいるアパートへ帰宅する。少し陽が傾き、家々の壁はうっすらとオレンジ色に染まりつつあった。

 宇野の住むアパートもまた、オレンジ色・・・というよりは老朽化もあってか黄ばんだような色に見えた。漆喰も剥がれつつある。

 宇野がそんな自宅の前に立つと同時にドアが開き、彼の母親が外に出てきた。


「あ、お帰り。かずちゃん」

「ただいま、お母さん」


「ご飯は冷蔵庫にあるから、それと明日の学校のお弁当もあるからね」

「ああ・・・ありがとう」


「それと、顔の傷はどう?あら、バンソーコー貼り換えたのね?」

「まあ、友人にもらってな」


「もう、お母さん心配よ?学校でなんかあったんじゃないかって、何でも屋だっけ?近所の田中さんから聞いたけど色々と変な事してるらしいじゃない・・・」

「・・・人助けをしているだけさ、お母さんみたいな人助けをする看護師のようにね。この傷も・・・その・・・人助けの最中、猫に襲われたんだ」


「ほんとに?何かあったら言ってね?」

「・・・もう、そんなことはどうでもいいだろ?お母さんはお母さんの助けを待っている人のところに行きなよっ!今出たら遅刻ギリギリじゃないか」


「ま、まだ大丈夫よ。どうしたの?急に大きな声を出して、何かあったの?」

「何もないっ。それに今日は珍しく弁当を作ってくれたけど、別に作らなくていいから。いつもみたいにお金くれたら食堂で済ますし」


「でも、それだと栄養が偏るじゃない。それと、タンスの中から何枚か食券が出てきたけど、あれなに?どうやって買ったの?」

「・・・ッ!なに勝手に人のタンスを開けてるんだっ!」


 宇野は顔面をしかめ、嫌悪の表情を露わにした。母親は心配そうに言う。


「そりゃあ、お母さんだもの。息子が変な事してないか気になるのよ。それに食券だって、かずちゃん、学校に財布を持って行かないじゃない・・・ねえ、本当にどうしたの?」

「だから、なにもないって言ってるだろ!ちょっと人助けのお礼に食券を貰っただけだッ!」


「そ、そう・・・ちょっとなの・・・でも、その割に券がいっぱいあるし・・・」

「じゃあねッ!行ってらっしゃいッ!」


「あっ、ちょっと!」


 母の言葉を聞かずに宇野は玄関に入り、後ろ手に力強くドアを閉めた。

 その後、狭い廊下を通って台所に入る。そして、スクールバッグから空の弁当箱を取り出し、流しに置いた。

 それから宇野はたたみ部屋で軽く勉強し、その後、冷蔵庫に入っていたご飯を温め、ちゃぶ台に置いて勉強しながら食べる。夕飯はオムライスだった。

 味の方は・・・特に感じなかった。食欲がそれほどないからだろう。苛立ちや勉強しながらの食事が味覚を阻害していた。

 オムライスを半分ほど食べ終え、もういいや、とゴミ箱に捨てる。

 そして風呂に入って、そのあと自室に戻り、畳の上に布団を敷いてふて寝のように横になると、そのまま眠りについた。





 次の日、宇野はいつものように起き、朝の支度を始める。


 朝の食事はインスタントコーヒーとパンだ。食卓には宇野一弘だけである。


 宇野の母は看護師であり、まだ夜勤業務の最中であった。今の時間であれば職場で交代の日勤の者に引き継ぎと申し送りを行っている事だろう。

 食事が済めば顔を洗って身支度を済ます。そして冷蔵庫に行き、母が用意した弁当箱をスクールバックへ雑に放り込む。


 そして、宇野は自分用のタンスの引き出しからとあるものを探す・・・が、無い。


 え、どうして?


 宇野は狼狽えた。


 自身がこれまで『何でも屋』として働き、その報酬として集めた食券が一枚もなくなっていたのだ。



 宇野はその場で、凍り付いたように動けなくなった。


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