~氷の上に立つように~



 宝の殿中学校、文化祭一日目、十三時。



 中庭では食べ物屋の屋台がズラリと並び、お昼時もあってかところ狭しとお客が並んでいた。

 そんな楽しそうな生徒たちを宇野は一人、かき分けて行く。


 生徒会の命により、独りで、孤高に!


 そして、陸上部がテントを設置し、出店するかき氷屋の前に立つ。孤高に!

 季節は7月の初め、初夏の昼ということもあり、店は中々の繁盛であった。


「調査の前に一つ頼んでみるか」


 と宇野は思うが、一人で寂しく並ぶのは気が引ける。


 調査のため、『仕方なく』一人で来たというのがどうやら仇となったようで、周りのグループやカップルが並んでいるとなると、一人・・・いや、独り、そう孤独というのは、かなり浮いた存在となる。

 

 二の足を踏みつつ、宇野は得意の観察眼で、かき氷屋に並ぶ客足を観察する。

 店は大きなかき氷の機械を使って氷を削っている。そのため、客の回転率は宇野の思うよりは良い。これなら時間もそう取られないだろうと判断。


 ちょっとお使い頼まれちゃって感を出しつつ、道端に転がる石のような存在感でこの列に加わろう。


 これを『明鏡止水』作戦と宇野は名づけ、足を踏み出す。

 と、その時である。


「あら、あなたもかき氷を食べに来たの?破天荒生徒四天王の宇野一弘」


 そこには宇野の見知った顔、エミリカであった。宇野は返事をする。


「・・・いつぞやはどうも。なんだ、あんたも」

「エミリカよ」

「・・・失礼、エミリカもかき氷を食べに来たのか?」

「そうよ。色々と回って疲れたから、水分補給もかねて火照った体を冷ましにきたの」


 言うとエミリカは額にかかる亜麻色の髪を払いのける。その姿はもとより整った容姿であるが、汗に濡れる姿に妖艶な色っぽさがあった。


 さらにエミリカは熱さを煩わしそうに、少し開いた夏服の胸元に指を入れ、パタパタと仰ぎだす。

 もとより平均以上のそれは、周囲の目を一斉に振り向かせた。


 まずい。宇野は思った。


 ただでさえボッチでかき氷屋に並ぶというのに、これではエミリカのせいで目立ってしまう。これでは、宇野の考える『明鏡止水』作戦が台無しになる。


 かくなる上は・・・


「どうだ?エミリカ、かき氷をおごってやろうか?」


 なんと大胆不敵なことか!宇野はエミリカを連れとして入店する『合縁奇縁』作戦へと移行する考えだ。

 言わばナンパとも取れるこの行動。宇野の行動力はなるほど、破天荒生徒四天王の一人と言わしめただけはあった。


 しかし、だ。ここでこの作戦の遂行に邪魔が入る。


「ダメ!お姉さまとはユキユキと一緒なの!邪魔しないで!」


 宇野はエミリカの後ろにいる小さな存在に気が付く。


 そう、エミリカには連れがいたのである。

 あまりの小さな存在・・・背丈の小ささから宇野は気付けずにいた。というかエミリカの存在感が圧倒的すぎて見えていなかったのである。


 男子が二人連れの女子の和に加わるのは至極困難である。

 それは『陽』の心の持ち主か、ただ空気が読めないだけなのか・・・

 この失態と、小さな女子の鋭い眼光から、宇野は思わずたじろぐ。


「・・・それは、すまない。ええと、君は?」


「あんたに名乗る名前なんかないわ!」


 その子はツインテールにまとめた艶のある黒髪を大きく振り、そっぽを向く。

 彼女の小柄さもあってか、その仕草はどこか小動物のようであった。

 彼女が着る夏服の胸元を見れば水色のリボン、どうやら一年生のようだ。


 睨みつける眼光のあまりの冷たさに『陰』の心の持ち主である宇野は、思わずエミリカの目を見て、助け舟を求めた。エミリカは、「フフッ」と笑う。


「こら、ユキユキ。初対面の相手に失礼極まりないわ。ごめんね、宇野一弘。この子は結城友紀、略してユキユキよ!」

「そうか、よろしくユキユキ」

「あんたがその名で呼ぶんじゃないわよッ!」


 ユキユキのもとよりきつい眼光がより険しくなる。ユキユキは鼻を鳴らして宇野を睨みつける。この場の空気がより剣呑なものとなった。


 それにエミリカは「もうっ」と息を漏らしてユキユキの頭をコツンと軽く叩く。


「少しくらい一緒してもいいじゃないの、ユキユキ。それにウチはこの宇野一弘に興味があるのよ」

「そんなぁ~、せっかくのお姉さまとのデートがぁ~」


 ユキユキの鋭い目が、今度は泣き出しそうな子供の目となり肩を落とす。


「・・・あんたのせいよ」


 そして再び、睨みつける。どうにもコロコロと表情の変わる忙しい子であると、宇野は思った。





 陸上部の開くかき氷屋は食券のシステムであり、買った券を店員に差し出せば、指定の席へと誘導される。

 席は日よけのテントの下にあり、テントは五つ用意されていた。

 一つだけ、テントはブルーシートに覆われていた。宇野は気になって店員に聞いたが、


「あそこは日差しが一段とキツイんすよ」


 とのことだ。

 長方形の簡易テーブルに通され、宇野、エミリカ、ユキユキの順に座る。

 シロップの味は宇野が赤のイチゴ味、エミリカが黄色のレモン味、ユキユキが青のブルーハワイであった。


 さっそくエミリカはその白く細かな氷の結晶でできた山にスプーンを突きさす。すると、シャクッ、と小気味の良い音を立て、スプーンが山を軽く削り、それを口に運ぶ。


「ん~、冷たくて甘くて美味しい~」


 エミリカは風鈴が鳴るような高い声をあげて、その甘美に舌鼓みを打つ。


「この氷の粗さがいいわよね。細かいのもすぐ溶けていいけど、粗い方がかき氷を食べてるんだなって、実感するわ。まさに、日本の夏、かき氷の夏よ」


 それにユキユキもうなずく。


「夏の暑さに氷のちょうどいい涼しさが体に染みわたります~、シロップのこれでもかって甘さも、かき氷たらしめますよね~、あむあむ」


 口いっぱいにほおばり、どこかリスのようなユキユキ。彼女のかき氷はすでにあと少しとなっていた。それに気付き、彼女はシュンとなる。


「でもちょっと少ないです~」

「ええ、そうね。回転率を上げるためでしょうけど、200円にしてちょっと少ないわね。ま、学生の祭りなんてこんなものでしょ」


「食べ足りないですよぅ、エミリカお姉さま。後でおかわりしましょ~」

「フフッ、ユキユキってば、さっきの出し物がんばってたものね、『逃走中~すもう部のすり足から逃げきれるか~』で、まさか見事逃げ切るなんてね」


「はいっ、木登り得意なんでなんとか逃げ切りましたよ!でもさすがに、相撲部が全員で木に張り手をし出した時は死を覚悟しました!」

「時間いっぱいで木が折れるか、耐えきれるかだったものね。あれは手に汗握ったわ~。見てて汗が出ちゃって喉がカラカラよ。ウチもかき氷、もう一杯頼むことにするわ」


 エミリカとユキユキが今先程の出来事を話す中、宇野は歯牙に欠けず、辺りを注意深く観察していた。


 カウンターの先にある、かき氷の機械に何もおかしな部分はないリース機械。

 その横に置かれたシロップが入ったチューブは・・・イチゴ味、レモン味、マンゴー味、みぞれ、ブルーハワイ、抹茶の6つである。


 だが、食券を買う際には7種類あったはずだ。あとの一種は・・・確かメロンであった。

 周りの客は・・・イチゴ味やマンゴー味、抹茶、みぞれ、と色とりどりのシロップの味を楽しんでいたが・・・少し宇野はそこに違和感を覚えていた。


 宇野は客から食券を切る男に視線を移す。

 それに気付いたのか、エミリカが宇野に話しかける。


「まさか食券のモギリが理科のゴリ松なんてね」


 エミリカが言い、宇野はうなずく。


「陸上部の顧問なんだな。いつもジャージの下はランニングシャツ着ているのはそのためか?・・・それよりさっき、あんたのこと見て慌てていたな」

「あら、そう?ま、ウチってば有名らしいし、有名人の辛いところね」

「いや、前にゴリ松と色々あったからだろ」

「あら、色々ってどれのことかしら?」


 エミリカが少し舌をだしてとぼける。その舌はシロップの着色料で薄く黄色くなっていた。

 そのやり取りが面白くないユキユキは


「色々ってなんのこと!?ねぇ、何のこと!?」


 と身をズイッ、とエミリカに寄せて聞く。


「もう、寄られると熱いわ、ユキユキ。この前話したでしょう、フレンチトーストの件。ウチとこの宇野一弘の二人とで悩める乙女の濡れ衣を晴らし、背中を押してあげた話よ」

「押すというか、押しつぶしていた気がするが・・・」


 宇野は言い、ユキユキはつまらなそうに呟く。


「ふ~ん、この人がそうなんですかぁ?なんだか見た目さえないし、そんなスゴそうな人に見えないですよぅ」


 ユキユキが眉をとがらせ、訝し気に宇野をジロジロと見る。


「聞けばこの人って、なんか変な呼ばれ方してるし、なんとか四天王って~。友達のみっちーやツッキーが言うにはその四天王って変態の集まりらしいですよ?あっ、なんかこいつが変態ってなら納得いきます!」


 その四天王の組するのが隣にもう一人いるのだが、宇野は言わずに横目でエミリカを盗み見る。エミリカは笑顔でユキユキの頭をなで、


「ユキユキ、明日の料理部のメニューは『ニンジンシリシリ』にしましょ」

「ぴゃあっ!そんなお姉さま!ユキユキがニンジン嫌いなの知っててナゼ!」


「ユキユキ、苦手な物をどう美味しく調理できるかも、お料理部のテーマでしょ。これはあなたの為でもあるのよ」

「そう、でしたか・・・ユキユキのため、お姉さまが想ってのことなら、ガンバりますけど・・・」


「いや、私怨が混ざってるだろ・・・」


 小さくつぶやく宇野。そんな彼に対し、涙目なユキユキは増々、宇野を訝しく、いや憎むような視線を送る。


「でも、この男、変な目で周りを見てましたよ、なんか頭の悪そうな目でぇ~。きっとイヤらしいことでも考えていたんですよ!さっきもお姉さまの胸元見てたし!」

「見てないが」


「じゃあ、お姉さまの下着の色は?」

「白だ」


「変態ッ!」


 ユキユキが立ち上がり、かき氷の入った皿を投げつけようと振りかぶり、宇野はあわてて弁明する。


「いや、校則で女子の下着は白って決まりがあるだろ!」

「だとしてもなんでそんな校則覚えているのよッ!この変態!」


「いや、入学式の日に生徒手帳の校則欄に目を通すだろ!?そこをピンポイントではなく、他の部分だってもちろん目を通しているッ!」

「じゃあ、校則第八章、『設備の取り扱い』第22条は何か言って見なさいよッ?」


「あ?22条?ええと・・・確か、校内のトイレにおいて、本来の用途以外の異物を流してはならない・・・だったか?」

「なんで、トイレの校則のことまで覚えているのよッ!?この変態ッ!」


「え?ちゃんと答えたけど・・・え?いや、合ってるよな?」

「乙女にトイレがどうこう、言わせようとするんじゃないわよッ!」


 変態成敗!と再度かき氷をぶつけようとするユキユキの首根っこをエミリカが掴む。


「落ち着きなさい、ユキユキ。ウチの下着は確かに白よ。そしてコックが着る調理服、コックコートが白いのは何故?」


 突如としてエミリカから出された問題。それに宇野は答える。


「うむ?急になんだ?・・・えと、清潔感があるから、だったか」

「ええ、そうね。そしてコートにはコットン素材が多いけど、それは何故?」

「・・・確か、防火効果があるからだな」

「正解。よく覚えていたわね」

「そりゃ、去年の家庭科で習ったからな」

「さすが成績学年一位よ、二つ名に違わぬだけはあるわね。なんでも知ってる、なんでも頼まれる、なんでも解決できる、何でも屋の宇野一弘」

「いや、今の話でなんの証明になるんだよ?それに買いかぶりすぎだ。分からないことなんていくらでもある・・・例えば前にあんたが話した料理の世界は未知の世界だ」


「へぇ、じゃあ興味はあるかしら?あるのならどう?料理部に見学へ・・・」

「お姉さまッ!」


 ユキユキが慌てた様相で割って入る。


「まさか、こんなヤツを料理部に誘う気じゃないでしょうね!?」

「そのつもりよ。さすがユキユキ、ウチのこと、よく分かってるじゃない」

「えへへぇ~、そりゃ、お姉さまのことなら・・・じゃなくって!」


 とろけるような満面な笑みから、ムンクの叫びのような驚愕の表情へ。まるで仮面を取り外ししてるかのように顔色を変えるユキユキ。


「こんな、こんな変な人間を誘うなんて、お姉さまはご乱心いたしたのッ!?」

「あら、ウチは本気よ。宇野一弘には料理を学ぶ才があると見抜いたわ。それに、部員があと一人増えればウチらの部も部費が少し増えるのよ」

「そっちが本音ですよね!かと言って、よりにもよってこんなヤツ!」


 初対面の相手にかなりの言われ様な宇野。これには彼も言葉を挟む。


「おいおい、勝手に話を進めないでくれ。俺は料理部に入る気はないし、そもそも料理なんざに興味はない」


 言うと、ユキユキが顔を輝かせて、


「ほら、ですって!お姉さま。残念でしたね。無理に誘っては悪いですし、ここは諦めましょー!」


 明るいユキユキに対し、エミリカはムッとした表情を見せる。

「そう?料理を覚えれば家計の助けにもなると思うのだけれども」


 エミリカの意見に宇野は顔を曇らせる。


「それは・・・いや、こちらでどうにかできる。いらない心配だ」

「・・・・・・そう、そうなのね。それじゃあ仕方ないわね・・・」


 宇野の表情の変化に何かを感じたエミリカは、諦めたかのように肩を落とし、ため息を吐く。


 その一瞬、エミリカはちらりと宇野を見る。そのエミリカの瞳に、宇野は獣のような眼光を感じ、身震いする。


 改めて彼女を見れば、溶けかかったかき氷を優雅にスプーンで口に運んでいた。今の見間違いだったのか?と宇野は目をこすった。

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