1、結城 奏太(2)

 そうして彼が転校してきてからひと月が経過した。その時には僕ももう諦めがついていたし、隣に彼が居たところで嫌悪感はなかった。


 いや、むしろ安心感さえ覚えていたかもしれない。気づけば僕は柏木という男を信用していたし、彼の前で笑うことだってあった。こんなことは初めてだった。


 何も起こらない平穏こそが、僕の人生だった。それなのに柏木という男はこの平穏の中に土足であがりこんできては、荒らして帰っていくのだ。これは決して悪い意味ではない。僕は彼を無意識の中で友人と思ってしまっていた。柏木君は僕のことをどう思っているのだろうか。柏木君が僕をどう思っているのかなんて彼自身が僕に伝えることはなかったし、僕から彼に質問することだってありはしなかった。だからこれを僕が知ることはできなかった。でも友人というのはそういうものなんじゃないかって思う。わざわざ友人であることを伝えあったり、確認したり、そんな必要はないのだ。お互いが、お互いを、心のどこかで友人と認識している。それだけでいい。この感覚は、僕が感じているこの感じは。僕と柏木君が既に友人であるということを示しているに違いない。


 柏木辰巳。


 彼が転校してきてから、何かが変わった。


 これはきっと僕だけが感じているものではないだろう。周りのクラスメイトがこの変化に気が付けているのか、わからない。僕の周りでは何も起こらない。柏木君が何かをしない限り、依然として僕の周りは無と同じだ。


 だが、柏木君という存在の上でさらに平穏を維持し続けているこの生活が、そう長く続くわけではなかった。


 ある日のことだった。それは二学期の中間テストを終えて数日した日。テストの結果が出て確認すると、柏木君の成績は僕よりも上だった。彼は学年で二位の成績で、僕は四位だった。あんなに社交的にクラスのみんなとなじんでいるというのに、成績まで良いともなるともはや彼がなにかズルをしているんじゃないかと思ってしまう。僕には欠けているものがたくさんあって、柏木君には何一つとしていない。そんなの不平等じゃないか。物事の何もかもが平等であるわけはない。そんなのは僕が一番わかっている。でも人間としての完成度がここまで違っていると、同じ人間であるとは思えなくなる。


 僕は何となく柏木君と話すのが嫌で、いつもより少し早めに帰り支度を済ませた。下駄箱寄った後は図書室に行って、少しだけ時間を潰すことにした。


 図書室の窓からは校門と裏門が両方見下ろせる。柏木君が出ていくのを確認したら出ていこう。そう思っていた。しかし、僕が見たのは彼の帰る姿なんかではなかった。


 翌日、柏木君は学校に来なかった。


 柏木君は停学処分を食らっていた。


 昨日僕が見たアレは見間違いでなかったようだ。


 柏木君はとある生徒に暴力をふるっていた。どんな理由で彼がそんなことをしたのか、僕には検討もつかない。僕はどうやら彼のことを誤解していたようだ。


 彼を信用し、そして彼を友人だと思ってしまっていた自分が恥ずかしい。彼が居なくなったところで、僕の周りは平穏のままだ。何も起こらない。ただ柏木という一人の転校生が僕から離れただけだ。


 これはただ、今までの状態に戻ったに過ぎない。


 頭の中で文字が飛び交う。


 僕の思考はしっかりと機能している。僕だって人間で、周りにいる人たちと同じ人間で。だから僕の脳はいつだって働いている。


 僕の周りでは何も起こらない。恋愛も青春も、事件もいじめも何もない。実際には何かが起きているのかもしれないけれど、僕には届かない。だからいつだって僕と僕の周りは何からも無縁だし、何があっても無傷だった。


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