どうにかして

おおきたつぐみ

第1話 罪

 ――美乃里先生をどうしても好きなこの気持ちは、すでに罪なのですか?


 ――それとも美乃里先生に触れたらそこから罪が始まるのですか?


 夕暮れが迫るレッスンスタジオ。

 高い位置にある窓からオレンジ色の光が向かい合って座り込んだ私たちを照らし、板張りの床に長く暗い影を描いていた。


 私を見つめる純玲の瞳にも夕焼けが映り込み、琥珀の粒のような涙が絶え間なくこぼれ落ちていた。

 すがりついてくる指先が痛いほど私の腕に食い込む。


 ──あの時、私はどうにかしてあなたを自分のものにしてしまいたかった。


あなたを構成する全てからあなたを奪い、遠くまで連れ去ってしまいたいと、そう思っていた。



 *



 純玲と出会ったのは2年前の春。

 私が42歳、純玲が39歳の4月だった。


 私が講師として出向いている全国チェーンのスポーツクラブの子どもバレエクラスに、彼女が二人の娘の体験レッスンに訪れたのが最初だった。


 5年生になった長女の真弥は4歳から別のバレエ教室で習っていた。スレンダーで頭が小さく、手足も長いのでバレエ向きの体型だったが、それまでの教室が厳しすぎて嫌になり辞めたという。

 次女の果弥は小学校に入学したばかりで、バレエ経験はない。まだ幼児体型なのが愛らしかったが、年齢的にバレエを始めるには少々遅かった。

 とりあえず二人を入会させるのを目標に、真弥のほうは本教室の方にスカウトできるかどうか見極めていこうと算段する。

 他の生徒達と一緒に体験レッスンを開始すると、果弥は思ったよりも身体が柔らかく、痛みが伴うストレッチもにこにこと取り組んでいた。真弥のほうは始終不機嫌そうにしている。バレエへの嫌悪感も生まれているのかもしれない。


 レッスンが終わって母の純玲と少し話した。

「上の子はバレエはもう痛くて嫌だって言うんですけれど、私がどうしても習わせたくて、楽しくできるところを探しています」


 にこにこと聞いて頷きながら、私は純玲の容姿をスキャンするように分析していた。

 二人の娘を持つ、優しげなお母さん。

 童顔で化粧も薄く、ふんわりしたボブヘアがよく似合う可愛らしい人。30代前半というところか。フルで働く女特有の隙のなさが感じられず、おっとりした雰囲気なので専業主婦かパート程度だろう。──つまり、夫はそこそこ稼げる立場。

 でもバレエを習わせたいと言いながらスポーツクラブに来るというのは、それなりの理由があるということだ。


 本格的なバレエを習得したいのならば、ここのレッスンはあまりに物足りないだろう。週に一度、1時間のみのレッスン。毎年の発表会は県内のスポーツクラブにあるダンス教室が合同で行うので、1曲しか出番がない。

 だがその分、費用は安かった。月々の月謝8千円以外は、発表会には2万円ほどしかかからない。

 会場を使ったリハーサルは当日のみだし、教室を使った補講ですら2回のみ。レンタルの衣装一着で、講師への謝礼もクラブで禁止されているので無し。親の負担はほとんどないと言えた。


 私の師が代表となり、私も講師の一員として所属している「野ばらバレエスタジオ」だと、月謝はクラブより低いものの、2年に一度の発表会では生徒一人あたり20万円弱はかかる。当日の会場のほか、リハーサルでも会場を使うので会場費がまずかかるし、音楽に合わせたダンスプログラムのほか、くるみ割り人形などの幕物も組むので子どもでも出番が多く、衣装代、メイク代、スタッフ代、ゲストダンサー代など費用がどうしてもかさんでしまう。

 その上、母親達も「母の会」の一員としてスタッフとして受付や子供たちの着替え、引率などを担当する。母親同士でのトラブルも少なくない。

 発表会前3ヶ月間は毎週末の追加レッスンもあるので親子共々大変だが、その分発表会を通して子ども達は技術的にも精神的にも大きく成長する。努力した末に美しい衣装を着て煌びやかな舞台を経験する、それこそがバレエの醍醐味だった。私もそうやってバレエに打ち込んできた。


 費用も時間もかけて子どもにきっちりとバレエを習得させたいか、負担を抑えて「バレエというもの」をそれなりに経験させたいか。それがバレエ専用の本教室とスポーツクラブのバレエ教室の差だった。

 しかし、少子化、そして働く忙しい母親が増え、母の会を敬遠する向きがあること、ヒップホップなどダンスレッスンの幅が広がったことでバレエスタジオも生徒数は減ってきており、私は間口を広げるためスポーツクラブに出向くことで、本教室への生徒スカウトの役割も担っていた。


 真弥は身体的にはバレエ向きではあったけれど、子どものバレエは本人と母親のやる気、そして親が費用負担できるかどうかも欠かせない要素だった。

 純玲はどうなのだろうかと私は笑顔を崩さぬまま、真弥が習っていたという前の教室について尋ねた。

 純玲が言葉を濁しながら答えたのは歴史ある大手のスタジオだった。そこに通えていたということは、そこそこの世帯収入はあり、純玲も母の会の仕事を担う時間的余裕があるということなのだろう。


「すごく厳しい先生だったので、真弥はすっかりバレエが嫌になってしまい、ちょうど果弥もやりたいと言い始めたので新しいところをと思いまして」


 私の本教室でもついて行けなくなり辞めていく生徒は一定数存在する。

 厳しいレッスンに耐えてこそバレエは伸びるし、私も幼い時から楽しくというよりは我慢してきた時間の方が長かった。それでも取り憑かれたようにバレエが好きだったし、自分にはそれ以外なかったから辞めることはなかったけれど、講師の立場になってみると、素質がある生徒までが辞めてしまうことは心苦しいことだった。師である明美先生は「バレエとは日々の訓練のたまもの。心がバレエに向いていなければ結局は大成しません」と一刀両断するけれど。


「そうですか。この教室ではまずは楽しくバレエが出来るようにと心配りしています」

 純玲は少し迷いながら口を開いた。

「ええ、果弥がとても楽しそうにしていました。……ただ、もう少し他の所も見学して、検討していきたいと思います」


 彼女は物静かで慎重な性格に見えた。

 こういうタイプにはあまり押しが強くない方がいいだろう。


「ええ、もちろんです。ご縁があれば嬉しく思います」

 純玲はほっとしたように頷き、丁寧に頭を下げてから娘達の元へと歩いて行った。


 その後ろ姿をそっと見送る。

 薄い桃色のニットを着た背中。決して太っているわけではないけれど、ブラジャーの輪郭に沿ってうっすらとたるみが乗っているのが見えた。


 ──それは彼女が幸せに生きてきたという証しだった。

 

 私が心から望み、努力し費用も掛けても叶わなかった子どもを二人も授かり、夫の収入で食べたいものを食べ、娘たちを習い事に通わせる。

 もし私がバレエを選んでいなかったら、そんな人生が送りたかったというお手本のようだった。

 

 私は、ずっと我慢してきた。

 あまりに我慢しすぎて、何かを欲しいと思う気持ちもなくなった。


 4歳の時、母の望みでバレエを始めて以来、体型に気を遣って母が徹底的に食事制限をしてきた。学校とバレエ、リズム感と表現力をつけるためのピアノも習っていたので自由時間はほとんどなく、家でもストレッチや練習に励んだ。購買でこっそり買い食いなどもできないよう、お小遣いはもらえなかった。

 それでもバレエが好きだった。

 そうやって自分の全てを捧げてきたけれど、どんなに努力しても天性の才能が私には決定的に足りなかったのだろう。

 コンクールでは最高でも県大会の銀賞。留学を認められるまでの実力はなく、バレエ団には入団試験で落ち、結局、明美先生の元で講師になるしかバレエを続ける道はなかった。


 友人の紹介で出会い、結婚した夫の[[rb:孝史 > たかし]]は優しい人だった。初めてバレエ以外で自分を認めてくれる人だった。

 けれど、子どもを望む彼に対し、私は妊娠・出産をして休むことでクラスに穴を空けることを恐れた。発表会などのタイミングを見て妊娠しないと周囲に大きな迷惑を掛けてしまうだろうこと、そして産後にまたバレエができる身体になるかが不安だった。講師達で子どもがいる人はほとんどいなかった。子どもを産んだ講師は体型や動きのキレがなくなったり、子育てとの両立が難しく、やがて辞めていったから。


 夫を説得して子どもを後回しにした結果、30代後半になっていざ望んだ時はなかなか妊娠しない身体になっていた。そうなったら何が何でも子どもが欲しくなるのだから自分勝手だとは思う。

 長年バレエで自分の気持ちに蓋をするのが癖になっていたのに、一気にたがが外れたようだった。私は不妊治療にのめり込み、紹介状を貰って有名病院にも通った。

 しかし、検査をしても明確な不妊原因は分からなかった。タイミング法から進んで人工授精を一年間試した後で体外授精を試そうと夫に相談したら、もう辞めようと言われた。泣いて頼んでも彼は承諾しなかった。費用がかかること、私の身体への負担が大きいこと、そして年齢的にもう難しいだろうと私の目を見ずに彼は言った。そうして一昨年、2年に亘る不妊治療は終わった。


 でも今でも、私の胸には「あの時体外授精をしていれば、もしかして我が子を抱けたかも」という思いがくすぶっている。どこかで分かっている、それでも無理だったに違いないと。でも、手段があるのだから試してみたかった。そしてその願いを叶えてくれなかった夫へ心が開けなくなった。

 目標を失った私たちは夫婦としての関係も終わった。子どもを望み、不妊治療にのめり込んだ頃、すでに私は彼ではなくまだ見ぬ子どものことだけを見ていたのかもしれない。自分と夫のさまざまな思いに目を向けず、医師の言うタイミングで機械的に行為を持ち、彼の精液を病院に運んだ日々を通して、私たちがたどり着いたのは同じ家にただ暮らす単なる同居人という関係だった。

 もう彼は私に興味を失って、私が出場する発表会すら何年も見に来ていないし、私も彼が何をしていても関心がない。


 結局私は努力を重ねても、何ひとつ得ることはできなかった。


 高齢になった明美先生は近いうちに引退する。明美先生は私より年下の娘、跡取りの紗江子先生を頼むわねと何度も私に言う。紗江子先生とはそんなに馬が合わないけれど、実績のない自分は独立して教室を持つことは難しいし、同じ地域で恩がある野ばらバレエスタジオと生徒を取り合うなんてことはできない。このまま年を取り、いつか紗江子先生から引退を勧められたらその先は……。


 純玲が着替えを終えた娘達を連れて愛想良くお辞儀をしながら出て行った。

 私も笑顔で会釈をした。

 きっと彼女は私のような心配なんてなく、娘達、そしてやがて孫達に囲まれながら、このままのんびりと年を取っていくのだろう。


 ──生きている世界が別の人。


 その時はそうとしか思えなかった純玲に、やがて私は激しい恋情を抱くことになるのだった。                     

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