第3話 小説

 店員が喧嘩しはじめた客をあまり見ずにカレーを置いて厨房に逃げるように去った。


 カレーは適度なスパイスが心地よく味覚を刺激した。次の一口にそなえ、胃が空腹を訴えるくらいには出来がよかった。


 毅が二三口食べている間に、田中は完食していた。紙ナプキンで口を拭いつつ、

「私の小説を読みなさい。その上で合作するかどうか決めて」

「……なんのために」

「私の気がおさまらないから」

 田中がタブレットで枯木と書かれたファイルを開いてから毅に寄越した。そして、自分の空いた皿と毅の食べ掛けのカレーを交換して食べ始めた。


 短い小説で、十数分で読み終えた。店内では読みきれなかったので帰りの車内で読んだ。デスクに戻れたのは昼休憩が終わる数秒前だった。


 枯木、というタイトルの通り、主人公の女の実家にある常緑樹が突然枯れたというところから始まり、枯れた原因は頭のおかしな隣人が塩水を撒いたことであるとあかされるオチであった。


 冒頭にひかれた興味を持続できず流し読みした結果、微妙なサイコホラーになって終わったというものだった。一読して、すぐに記憶から抜け落ちそうな出来だった。どのような場面があったのかを反芻しなければ何が書いていた文章かすら記憶から溢れてしまう。溢れ落ちたとて惜しいと思わない。


「あとで感想を聞かせて」

 車内で彼女が毅に言った。言語化することが彼にとって徒労でしかないことに加え、まるで知らない女が言ったホラー小説の合作ということの方が衝撃であったために、思考しようにも集中できるはずがなかった。午後の仕事も捗らず、残業して片付けるつもりになった。残業することで田中と同じ時間に帰宅しないようにするつもりでもあった。


 午後6時、毅の作業をじっと見つめるだけの田中がいた。

「残業代泥棒では?」

「タイムカードは切りました」

「ではどうぞ帰ってください」

「感想を聞かせてくれたなら」

 一日、彼女の働きぶりを観察した毅は田中がそれなりに仕事ができることを把握していた。むしろ、彼の落ちてしまった作業量の穴埋めまでしていた。


「辛辣ですが、記憶に残らないような出来です」

 しかし、彼にとって田中良子とはぽっと出の女である。最初こそあまりにも奇妙なために臆していた。蚊の音で飛び起きた人間が冷静になるにつれてそれを叩き潰すかのように接した。


「なるほど。評価を拒んだという解釈でよろしいですか」

「すきに受け取ってください」

 彼女はため息をついた。

「なぜ貴方だけが私を知らないのか分かりますか」

 毅は手を止めた。

「分かりません」

「今夜、お時間はありますか」

「明日も仕事なんですよ」

 すると彼女は、朝のように笑った。そしてスマホで明日の日付を検索し、その結果を彼に見せた。

「明日は祝日ですよ?」

「実家に帰るんです」

「仕事の予定だった人がですか。

 実は、毅さんがそうなったことに心当たりがあるんですよ」

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