第117話 家族計画


―――ピロン

「ただいま」

 数年ぶりに開ける玄関に一切の重みを感じていない様子だ。

 この男が家を出てからもう五年以上経つ。半分くらい電気の消えた部屋に、掃除の行き届いていない廊下。かつてはあの女の趣味で四季折々の花が飾られていた花瓶には何の植物だったのかわからない茶色く枯れた塵が刺さっているだけ。

「返事が無いな、母さんはどうしたんだ? 具合でも悪いのかな」

 そういえばこの人が帰宅するとあの女は決まって玄関まで迎えに来ていたな。

「おーい、帰ったぞー」

 子供の頃の記憶よりも安っぽいスーツを着た男が当たり前のようにリビングに入っていくと、その先で何かが倒れた音がした。

「ど、どうしてあなたが・・・え? なんで?」

「なんでって、今日は残業が無いから早めに帰って来るって連絡したじゃないか」

「帰る? う、うちに? だってあなたはずっと前に家を出て・・・」

 錯乱している。そりゃそうか。

「さすがに片方の記憶だけ消しても意味が無かったな」




―――ピロン

「あら、あなた。おかえりなさい」

「ただいま。瑠璃はまだ帰っていないのか?」

「えーっと、もうそろそろ戻ると思うから夕飯の準備を・・・あら?」

「どうした?」

「おかしいわね、食材が全然ない・・・。食器もこんな子供みたいなものばかりだったかしら? お皿もコップもプラスチックのものばかりじゃない」

 駄目だな。環境の変化が大きすぎる。仕切りなおそう。





―――ピロン

「おっ、今日はハンバーグか」

「ふふっ、ちゃんとチーズも中に入れてありますよ」

「うち貧乏だったから、子供の頃からずっと憧れてたんだ・・・やっぱり旨い。本当に染みるなぁ」

「その話は何度も聞ききました。結婚して何年も経つのに毎回そんなに感動されると照れちゃうわよ。瑠璃だってもうハンバーグじゃ喜ばないのに」

 良かった。上手くいった。あの頃と変わらない二人だ。戻って来た。

「た、ただいま。お母さん、お父さん」

 ボクがリビングの扉を開けると、二対の薄暗い瞳がぐるりとこちらに振り向いた。

「・・・・・・どなた?」

「なんだキミは、勝手に人の家に上がり込んで!」

 再び眠らせる。

 どうやら存在しない思い出を何年分も作るのは難しいみたいだ。記憶の消去も雑になってしまうからどこかで綻びが生まれる、長くは続かない。

 ボクはボクの能力をもっともっと理解する必要がある。できること、できないこと、範囲、時間、正確さ、ボクは自分を取り戻すためにこの能力を授けられたに違いないのだから。





―――ピロン

「再婚相手とは別れてきた。もう一度やり直してはくれないか?」

「今更そんな事言われて、どうやって信じればいいの!? 私が何度電話しても一度も出てくれなかったのに!」

「また三人で暮らしたいんだ」

「私の話を聞いてよ、あなたの考えている事が全然わからない!」

「だから俺はもう一度結婚したいと・・・」

「そんな言葉信じられない!」





―――ピロン

「あなた! 帰ってきてくれたのね。嬉しい! また瑠璃と三人で幸せに暮らしましょう」

「あぁ、俺もずっとそうしたかったんだ」

「私達を愛する気持ちが戻ってくれたのね。私ずっと信じてたの、私達の愛は永遠だって」

「そうだね」

 意外なことに、感情を捻じ曲げるのは記憶を消すよりも難しかった。難しいというより、エネルギーを沢山消費する。能力を使うたびに身体の中から何か大きなエネルギーのような魂のようなものが吸い取られていく感覚で、使い過ぎると喉の渇きに似た激しい枯渇感に襲われる。そうなればそれ以上に動くことすら困難になり、実行を滞らせた。

「一緒に暮らしたいって言ってくれたのに、やり直したいって・・・結局あなたは自分の事ばっかり、私の事も瑠璃の事も全然愛してなんかいないじゃない!」

「すまない。それでも君達ともう一度一緒になりたいと思った気持ちに間違いはないんだ。ある日突然、どうしてもそうしなくてはいけないと思えて・・・」

「意味がわかんない! 私の事弄んで楽しい? 愛してないなら最初から戻ってこないでよ!」


 何度やっても、あの男が再びボク達を愛することはなかった。

 ヒーローのエネルギー源は愛情だと聞いた。愛を消費して別の愛を作ることは出来ないとでも言いたいのだろうか。



「・・・・・・」

「・・・・・・」


 幼少期から暮らした、華やかな時期も苦い時期も見慣れ続けた。そんなリビングで、実親二人を縛って寝かせておく光景にも、恐ろしい事に馴れが生じ始めてきた。


「結婚したいと思わせることは出来るけどそれに伴う感情を操作することはできない。理由もわからず強迫観念に襲われるだけだから感情や態度がついて行かずに直ぐに破局してしまう。記憶の改ざんには限度があった。特に成長したボクの姿を見て正気を失ってしまう事が多い。疑いの気持ちを消しても満たされない愛情への要求が結局破滅を選んでしまう、何を消せば愛されていない事に気付かずに済むんだろうか」


 何度も繰り返した。やり直しては失敗し、改善しては失敗し、その度にこのリビングで作戦を練った。

 最初は学校とヒーロー活動の合間で行っていたけれど、徐々にリビングにいる時間が増えるようになった。限られたエネルギーを他の事で消費したくなかったから。

 何度も何度も何度も何度もボクの家族は破滅した。あの夜、扉越しにしか聞くことが出来なかった二人の別れ話を吐き気がする程に聞いた。ボク達家族は壊れる度に改善され、形を変えて、いつしか何を目指していたのか曖昧になっていた。

 これが正しい行いだとは思っていない。ボクは間違った事をしている。こんなことをして何かが報われるとは到底考えられない。わかっている。わかっていた。

 でも、取り戻せれば。ボクを捻じ曲げた根本の不幸を無かったことにすればボクは長い迷路から解放されるんじゃないか。そう勝手に信じ込んで、突き進んだ。


 誰も、ボクの間違いを指摘することはできなかった。


「男の方の操作を変えて愛している演技をさせることができればいいんじゃないか。そうだ、元々一緒にいた時だってボク達を捨ててしまえる程度にしか愛していなかったのだから演技で充分。その為に必要なのは―――」


 迷走して出た新たな名案は『罪悪感』だった。


「少しじゃ駄目だ。限界まで、限界まで後悔させればまた演技してくれるだろう。大丈夫、きっと騙される・・・お母さんも、ボクも」

 それはボクが「あったらいいな」と思う感情だったのかもしれない。

 幼いボクと愛に一途なお母さんを捨てた時に、酷く後悔したり眠れぬ思いをしたり、何年経ってもボク達の事を思い出しては罪悪感に苛まれていて欲しい。その程度にはボク達を愛していると信じたかった。





―――ピロン

 数日だけ、束の間の成功を味わった。そして。

 あの男は、ボクの前から消えた。

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