第116話 誕生したのはヒーローか
「なんですか、これは」
手のひらに突如として現れた長方形の物体に、ボクは目を丸くする。
「なんだ。近頃の高校生はガラケーも知らないのか?」
怪しげな女性の名前は竜胆菫。ヒーローにしてやるという彼女の戯言にまんまと騙されたボクは高校のある地元から随分と離れた都内の古本屋に連れてこられた。ヒーローらしからぬ契約書の存在とか、一瞬で完成したボクの身体にぴったりのスーツとか、ヒーローらし過ぎるSFチックな隠し基地とか、まぁそんなものにリアクションしているうちにボクの心は大分落ち着いてしまったみたいだ。
「いえ、そうではなく」
腕を伸ばすとピチとしたゴムっぽいスーツがいちいちボクの身体に寄り添うのが変な感じだ。
「ヒーロー適正の強い者ならば自分の武器を出現させることが出来るって、言いませんでした?」
確かつい最近、フィランスピンクが大きな弓矢のような道具を使ってフライト中に意識不明になったグライダー操縦士を救助したというニュースを見た。あまり表で見ることは少ないが、ヒーロー達が特別な武器を有していることはなんとなく知られている。
「ガラケーって、確か昔のスマホの事ですよね?」
暑さ2センチほどの金属の板が二枚重ねになっている灰色の物体はボクの普段使っているスマートフォンの3,4倍は分厚いし持ちづらい。
「武器と言っても必ずしも攻撃の為の道具が出るとは限らない。先ほど紹介したフィランスグリーンは注射器と巨大輸液バッグが武器だし、過去には遠くを見渡すオペラグラスを出現させたヒーローもいた。とはいえ、こういった電化製品は初めて見たな」
竜胆博士は興味津々といった様子でボクの手のひらを覗き込む。ヒーローが愛の力で動いているなんて聞いた時は斬新な詐欺に思えたが、今ボクは一風変わったヒーローとしてベテランの博士に扱われているようだ。自分が物語の主人公になったかのようなワクワク感は、悪くない。
「使ってみてもいいですか?」
「なるほど、ちゃんと使い方もわかるんだな」
「ガラケーは触った事ないですけど、こいつの使い方は多分わかります」
時代遅れなボクの相棒から伝わってくる感覚を頼りに、二段重ねになった画面をぱかっと開けて、カメラの付いた背面を竜胆博士に向ける。この形のケータイでどうやって自撮りをしていたのだろうと疑問に思いながらも液晶の中央に博士を捉え、中央のボタンを押す。
ピロン、というチープな電子音が鳴って、途端にボクの脳が大きく揺れた。
「・・・う、うううぅうっ」
「どうしたんだ!?」
その場でうずくまるボクに、竜胆博士は慌てて駆け寄る。頭が痛い、失敗だ、こうすれば博士を眠らせられる筈だったのに。それで、なんて不思議な能力なんだ、こんなヒーロー初めてだ、素晴らしいって驚かれて、ボクはやっと愛とか恋とか執着の外で多くの人から関心を貰えるようになるかもしれなかったのに。
ヒーローになれるなんていう子供騙しにノコノコ付いてきたのは、きっとそういうこと。ボクの中で何かが変わる可能性があると思ったから。でも、愛を嫌うボクにヒーローなんてやはり向いていなかったんだ。
「大丈夫か? まさか君がこんな風になるなんて・・・どうしたんだ、茜」
「・・・・・・えっ?」
竜胆博士の表情はさっきまでの飄々としたボクを見定めるものではなく、心を許した家族を心配するような幼げな顔付きになっていた。ボクの名前を呼び間違えたことを訂正する素振は無い。
「無理をさせ過ぎたのならすまない。茜はどれだけ仕事を回しても耐えられるから私としても甘えていた部分がある。わかっているだろう? 倒れては全て終わる、限界を感じたら先に言え」
茜って、確か蘇芳さん。今日は会えなかったけどフィランスレッドの人の事だよな。
「ほら、早く回復させろ。君にはもう人間用の頭痛薬なんて効かないのだから。とりあえず水を用意するから椅子に座っていなさい。全く。昔から変わらず世話の焼けるヒーローだな、君は」
竜胆博士はボクを座らせて、そのまま奥の部屋に入っていった。
「ボクの事、レッドの人だと思い込んでいた?」
推理に呼応するように手のひらのガラケーのバックライトが点灯する。すると自然にボクは自分の能力を確信した。
「ボクは・・・人の心を操ることが出来る?」
眠らせる、幻覚を見せる、姿を誤認させる、感情の増幅。まるで催眠術の様な単語がボクの頭に流れ込んでくる感覚だ。
およそヒーローとは思えないような特殊な能力に困惑していると、コップ一杯の水を持った竜胆博士が返って来た。
「博士!」
「ふむ、調子は良さそうだな。瑠璃」
「あっ」
どうやら、元に戻っているみたいだ。時間制限があるのか、それともボクから離れたことで催眠が消えてしまったのか。
「なに、気にするな。最初から能力が上手くいくヒーローなんて一握りだ。練習すればうまく使える」
ボクにコップを差し出して、優しく励ます竜胆博士を見てさらに強い確信が生まれる。
「ところで、先輩とフィランスレッドの蘇芳先輩って親しい仲なんですか?」
「どうしたんだ? 急に。彼女はヒーロー歴が長いからその分付き合いも長いが、君達と同じ仕事上の関係だよ」
「・・・そうですか」
この能力は恐ろしい。
「まだ、能力が良くわからないみたいなので練習してみます。これからよろしくお願いします」
何に使おう、どうやって生きよう。ボクの中に存在するらしい、ある筈の無い愛の力はボクにどうしろというのだろうか。この世から愛を消してしまうことはできるだろうか、ボク自身に催眠をかけて嫌な感情を消すことはできるだろうか、ボクが嫌悪しない愛の形を探す事だって出来そうだ。
いや、そうだ。全ての根本だ。トラウマを無かったことにはできないだろうか。
「フィランスブルーになった事、家族には内緒にしますね」
高校二年生の秋、ボクは久しぶりに笑顔になった。
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