第115話 縹瑠璃という女性


「あのぉ、突然呼び出してしまいすみません。縹先輩・・・私、先輩の事が好きです!」


 ボクが県内でも珍しい公立女子高校に進学したのは、その方が平穏に暮らせると思ったからだ。


 中学の時は失敗した。信頼していた友達が見せた予想外の感情に思わず嫌悪を感じて、酷い事を言って一方的に距離を置いてしまった。二度と陽葵ちゃんの時のような事が起こらないように、人とはなるべく程よく距離を置き、恋愛事には一切首を突っ込まずに生きよう。そう決めての行動だ。


 どうやら世間では恋愛をすることが、恋愛に盲目的になってしまうことが割と普通らしい。共学の学校ならば異性と接触する機会が多く、恋愛に沈んでしまう事も多いだろう。女子高の生徒に恋人が全くいないというわけではないが、多分共学に比べれば少ないし、少なくとも校内で色恋沙汰に尊んでいる姿を目撃する事もない。


 そう思って決めた進学先。二年生の秋、ボクはかつての自分の想像力の無さを本気で責めてやりたい。


「その、私。先輩にずっと憧れていて・・・」

 校則をきっちりと守り丁寧に編まれた三つ編みおさげ。何処にでも見るスポーツブランドの刺繍が施された黒のハイソックスと膝丈のスカート。小さい身長からボクをおずおずと覗き込む大きな垂れ目。綺麗にアイロンのかかったワイシャツに白い肌。外見だけでも彼女が愛情をもって育てられたことがわかる、そんな女の子だ。

「私の事覚えていますか? 体育祭の時、救護テントで泣いてた私の事を励ましてくれましたよね」

 自分がヒロインだと疑わない表情で綴られる感動的なエピソードだけど、ボクは知らない。というか誰だっけ・・・いや、そういう女の子がいた気がするけれど。どれだよって感じ。

「あの時に先輩が言ってくれた言葉が本当に心の支えになって。夏の大会でも一年生レギュラーとしてほんの少しだけ活躍できたんです。結局地区予選敗退してしまいましたが」

 そもそも何部かも思い出せない。ボクがかけた言葉なんてもっと思い出せない。


「人気者の縹先輩に釣り合うとは思っていませんが、それでも、私。先輩の事が本当に好きなんです! 私と付き合ってください!」

 真剣な眼。緊張で震える唇と、額に滲む汗。それが美しい青春の1ページだと信じて疑わない姿。ボクは「この姿」をあとどれだけ見れば許されるのだろうか。

 純情な想いはキラキラと鮮やかで、その心は濁りない本心。例え若き過ちだったとしても今の彼女は本気で恋をしている。本気で。


「あ、あぁ・・・ありがとう」

 昼に食べた菓子パンが吐瀉物となって逆流しそうになるのを精一杯紳士風な「ありがとう」で押し込めて、感情を微塵も顔に出さないように注意して優しく微笑む。

「気持ちは嬉しいよ。でも、ごめんね。ボクは今ちょっと他に集中したいことがあるから恋人とかはいらないんだ」

 この場をいち早く切り上げようと決められたお断りを返す。胸の中がムカムカして、何も知らずにピュアな顔でこちらを見る見慣れない後輩にみるみる嫌悪感が募る。


「わ、私。邪魔しませんから。先輩が将来の為に頑張っているなら、その、わがまま言わないで応援できます。無理に電話してとか言いませんから、お出掛けだって先輩が息抜きしたいタイミングだけ呼んでくれればいいですし。その、毎日お弁当だって作ります」

 うわぁ、食い下がって来た。としか思えない自分に対して更に強い罪悪感。勿論そんな思いは一切表に出さない。

「ごめんね。ボクは恋人をそんな風に都合よく扱える程器用な人間じゃないんだ。付き合ってもきっと幸せにできないし、キミを大切にできない自分が嫌いになってしまうかもしれない。だから諦めて欲しい」


「そんな・・・」

 絶望、だけど覚悟はしていましたって顔だ。わかってる、こういう子達は半分失恋するためにここに来ているんだ。今しかできない本気の恋愛ごっこを楽しむためにボクを利用している。大丈夫。大丈夫だ。本気の執着じゃないから、もう少し我慢しろ、縹瑠璃。

「わかりました」

「本当にごめんね」

 よかった。わかってくれたみたいだ。これ以上しつこくされたら本当に具合が悪くなる。早く一人になってこの胸のモヤモヤを吐きたいな。


「先輩の事は諦めます。だけど、せめて・・・最後に抱きしめてもらえませんか?」


「・・・」

 思わず「は?」と、言ってしまいそうだった。最後も何も君とは何も始まっていないし誰とも始まる気は無い。

 しかしそんな事を吐き捨ててはボクは誰が見ても大悪党だ。無理矢理、本当に無理矢理その気持ちを押し込んであとはもうなすが儘だ。満足すれば去って行く。そうすればまたしばらくはいつも通りの平穏が待っている。大丈夫。早く時間が過ぎろ。

「・・・・・・」


 名前も知らない後輩ちゃんはボクに数秒抱きしめられた後、お礼を言って泣きながら去って行った。ここまでしてあげたのに何故泣くのか、ボクには全く理解が出来ない。ボクだって泣きたいよ。気味が悪い。怖い。相手が女の子だからとか、全然知らない子だからとかじゃない、ただただ人の好意が気持ち悪い。


 女子高という閉鎖された環境は、必然的にボクの価値を高めた。待っていたのは友達だと思っていた相手からの突然の好意。他者の恋愛感情すら嫌悪対象のボクが、それを自分に向けられてしまった時は熱にうなされる程だった。陽葵ちゃんのような打算的な愛情ならまだ笑って許せたのに、普通の友情がねっとりと重たい感情に変わる姿を見てからは自分に向けられる多くの執着心が不気味に思えるようになった。


 中学生時代までは出来ていた普通の女友達と心の底から笑う事すら、段々と難しくなる。距離を詰めれば、優しくすれば、寄り添えば、大切な友人は薄気味悪い情念の炎を燃やしかねない。そう思うと、気を抜けなくなった。そうとは限らない、陽葵ちゃんのように気軽な気持ちでボクを好いて利用したがる女子も純粋に友達として好きでいてくれる子もいる。だけど一度経験してしまった裏切りはボクの人生を容易に狂わせたのだ。


「誰も。誰もボクを好きになんてならないで欲しい」

 恋愛することがいかに美しくて正しくて、最も大切にするべき貴重な感情だと言わんばかりに人は恋に落ちる。そして、それを無下にするのは最低の鬼畜野郎。想いに応える事が出来なくても、相手が傷付かないように振るのは好意を向けられた人間の義務。意味が解らない。


 勝手に好きになって、勝手におかしくなって、それで後始末をしろなんて。

 愛こそが正義で、愛を尊ばない者が悪のような世界。息苦しいにもほどがある。ボクはそんなに悪いのか、他人から向けられた本気の愛情を面倒だと思う事がそんなに悪なのか。


 愛の為に家族を捨てた父さんより、その父さんを愛し続け未だに子供に興味を持たない母さんより、ボクが悪いと言うのか。


 叶うなら恋愛が完全に禁止された世界に行きたい。いや、それでも消えて無くなる気がしないから恋愛感情そのものが無い世界に行きたい。そんなものが無くても人間は利口に生きていける筈なのに。


「でも誰にも求められないのは・・・辛い」

 こんなにも愛情が憎いのに、ボクは一人を嫌った。

「いっそ、人間全部嫌いになれればいいのにな」


 どうすれば周りに人が集まるのかは陽葵ちゃんに教えてもらった経験が生かせるし、高校になってからはより一層身なりに気を遣うようにした。人に優しくするのは好きだし、困っている人がいれば力になりたいと思う。喜ばせたいし笑顔になって欲しい、多くの知人にそれを望み実行する事はボクにとって幸福だ。


 ボクはボクらしく世界に優しくしている。なのに世界はボクに優しくない。

 告白されて、泣いて、好意を向けられて、吐いて。不愉快なループを抜ける方法は簡単だけど、ボクはこの苦痛よりも孤独になるのが怖かった。人間は好きだ。でも愛は嫌いだ。受け取れない大きな愛を貰った時の強い罪悪感と嫌悪感の傍にある申し訳なさが痛い。


 どう頑張っても矛盾を崩せないボクはどっちつかずに毎日を生きる。もっと器用に立ち回れれば、もっと上手く自分の心を騙せれば、何か一つだけでも治ればボクは笑っていられるのに。




***

そんなある日、好機と言えるかはわからないが、転機が訪れた。


「くっくっく、随分と複雑・・・だが、なかなかの重さだな」

「はい?」

 下校中。一人になりたくて入った路地裏で出会ったのは、白衣姿の女性。服装もいかがなものかと思うが、暗めの紫髪と読めない表情が相まってなんとも怪しげで仕方がない。

 幼いころから変質者に遭う機会が多かったボクは、その手の人の割には見た目が綺麗だなぁ程度にしか思わず、直ぐにその場を立ち去ろうとした。

「君、ヒーローは知っているか?」

 知らない日本人がいるわけない。ヒーローの話題なんて老若男女とりあえず振っておけば最低限会話が続く鉄板のテーマだ。天気やオリンピックの話よりよっぽど会話しやすい。そんな無難な言葉で釣られてやる必要も無いのでボクは気にせず歩みを進める。


「縹瑠璃。君の愛の重さは使える。ヒーローにならないか?」


 悔しい事に、ボクの脚は停止してしまう。

 素性を知られた恐怖と、見当違いの評価への怒り、そして誰しもが気にならざるを得ない一言。ヒーローになれるという謳い文句で多額の契約金を請求する詐欺は聞いたことがあるが、それにしてはこの女性、騙す気が無いように見える。


「君は自身の中に混在する愛情を飼いならせていないだけだ。才能はあると思うよ。フィランスブルーとなって、その力を試してみればいい」


 博愛主義の正義のヒーロー。そんなもの、ボクには縁遠い。ボクは誰も愛さないし誰にも愛されたくない。


 そうは思っていても、見透かしたような紫の瞳がボクを変えてくれると期待させた。

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