第114話 縹瑠璃という少女3

 翌日からボクの学校生活は動き出した。足踏みをしながらただ憂鬱だけを摂取していた毎日が、初めて進んだ。


「陽葵ちゃん、約束通りクラスまで迎えに来たけど・・・これ、何の意味があるの?」

 残念ながら漫画みたいに一日で急に人気者になれた、という意味じゃない。ボクはただ陽葵ちゃんに言われた通りに髪をベリーショートにして、先生に怒られない程度のスタイリングをして、昼休みと放課後に陽葵ちゃんのクラスに会いに行っただけだ。

 それだけの変化が、ボクにはとても新鮮だった。


「やっぱ似合うね。ただ見た目は良くなったけど、もうちょっとイケメンアピった方がいいかな。そうだ! うちの制服ってスラックス選べたよね。持ってる?」

 翌日は制服をスラックスにして。


「もう少しあか抜けた感じがほしいかも。よりかっこよく見える服装は・・・」

 学校指定ではないダークグレーのカーディガンを着るようにした。


「瑠璃君さぁ、背高いのってもしかして嫌?」

「うーん・・・別に、どっちでもないかな。身長のせいで注目されるのは嫌だけど」

「背筋伸ばした方がいいよ。その身長で猫背って結構目立ってるから」

 陽葵ちゃんのアドバイスは、いつもボクの為のものだった。拒否する理由は無かったし、たった一人でもボクと会話してくれる人がいるだけでボクの学校生活は彩りを得た。


「いい? 困ってる人がいたら目ざとく声かけて助けてあげる事」

「でも、その。ボクって嫌われてるから、逆に嫌な気持ちにさせるよ」

「目立ってはいるけど、触れられて嫌な程嫌われてないから大丈夫。クラスで浮いてる奴って何パターンかあってさ、近くにいるだけで嫌! って子もいるけど。瑠璃君はただ話しかけ辛いだけで全然キモくないし不潔じゃないし。寧ろビジュ強いし相手が女子だったら悪い気しないよ、絶対」

「そ、そうかな」

 時々変なアドバイスもあったけど、疑問を持たずに従った。他に失うものは無かったし、放課後陽葵ちゃんといれば家に帰るのが遅くて済んだ。


 そして、少しづつだけどボクに向けられていた注目の色が変わっていった。それはボクが陽葵ちゃんの傍にいるからなのか、イメチェンを始めたからなのか、単純に時間が経ってボクの家庭内事情に興味が亡くなったからなのかはわからない。

「あ、あのさ。今日・・・体育の授業のグループ分けで、その、ハブられなかった」

「おお、良かったじゃん」

「陽葵ちゃんが言った通りだよ。前にペアの男子が日直サボって困っている子がいたから手伝ったんだ。その子のグループが一緒にやろうって誘ってくれたんだ」

「いいじゃん。ちゃんと活躍できた?」

「うん。そしたら他の女子も話しかけて来て・・・」

 ゆっくり、本当にゆっくりだけど、ボクの世界の登場人物は増えていった。




 二年生になって、陽葵ちゃんと同じクラスになってからボクの学校内での立場は急激に良くなった。愛想が良く友達の多い陽葵ちゃんの傍にいるボクは、自然と多くの人と会話する事になり、クラスの殆どの女子と簡単に会話ができるまでになった。

 どうやらボクは好かれやすいらしく、一度軌道に乗ってしまえばみるみると周りに人が増えて、小学校の頃の何も考えずに楽しく遊べていた日々を思い出すことが出来た。

 もう、誰もボクを憐れんだり孤立させたりはしない。心の中で何か思っている人はいるかもしれないけど、それを表に出させないだけの社会的強さをボクは手に入れた。


「今日髪型違うね。可愛いし好きだな、それ」

 友達が増えても、ボクは陽葵ちゃんに言われた通り彼女の傍に居続けた。ボクの生活を好転させてくれた彼女がそれを望むなら別に構わないし、陽葵ちゃんの指導でボクは人に好かれる人間になれたのだから文句はない。

 なにより、彼女の隣はとても居心地がよかった。

「女の子がそんな重たい荷物持っちゃダメだよ。ボクがやるから」

 常に紳士的で、女性の変化に敏感になり、沢山褒めて、寄り添う。返事をするときはほんの少し口角を上げた笑顔。そんな単純な事を意識するだけでボクの味方は増えていく。


「ヒナと瑠璃君って本物のカップルみたいだよねぇ」

「うんうん。ていうか瑠璃君が理想の彼氏って感じ。今時あり得ないくらい王子様ムーブ様になってるよね」

「普通の男子がやっても痛いけど、瑠璃君レベルなら許されるっていうか、寧ろキュンとするっていうか」


 親しい女子達からそんな会話を聞けば、ボクは自分が何故好かれるようになったのかも徐々に理解する。憎い両親譲りのルックスは、目立つ反面武器にすれば強い。美しいものが嫌いな人間なんていないんだ。


「ヒナが先輩と別れた時は絶望感ヤバかったけど、瑠璃君と仲良くなってから復活した感じあるよね」

「もう彼氏とかいらないんじゃない? 瑠璃君以上のいい男見つけるのうちの学校じゃ無理でしょ」

「失恋のショックから陽葵が立ち直れたの、瑠璃君のおかげだと思う」


 一年の頃から陽葵ちゃんを知る友達曰く、彼女は初めての恋人である先輩さんと別れた後かなり落ち込んでいたらしい。暫くは関連する話題が禁句になる程の酷い沈みようで、まわりはみんな心配していたそうだ。


 でも、今ではそんな話題の中でも陽葵ちゃんは笑って、

「いいね。私、瑠璃君なら女の子でも付き合いたいかも。今まで見てきた男子よりかっこいいし、優しいし」

 なんて冗談を言えるくらい元気になった。


 そして、もしかしたら少しだけ冗談じゃないかもしれない言葉に、ボクはちょっとだけ悩んでみたりもした。

「恋人なんてできたことないからわからないけど、陽葵ちゃんはきっと可愛くて一緒にいて楽しい彼女になるよね」

 悩めるほどに、ボクはその好意が心地よかった。いつか本気で告白されたりしたら、ボクはなんて答えるのだろうか・・・なんて、何度か考えてみたりもした。

 けどそんな日は、来なかった。





「先輩とまた付き合う事になった?」

 二年生の夏休み前、突然そんな事を言い出した。

「うん、そうなの! やっぱ私がいいんだってさ」

 どうやら陽葵ちゃんはまだ先輩の事が好きだったらしく、三日前何度目かの再告白をOKしてもらえたみたいだ。いつも以上の笑顔を見せる陽葵ちゃんだけど、なんだか違和感がある。

「へぇ、良かったじゃん! しかも丁度これから夏休みだし」

「そうなんだぁ。だからごめんね? 夏休みあんまり遊べないかも?」

「うわぁ、さっそく惚気んなよ! てかうちらとも遊べーっ!」


 陽葵ちゃんがずっと先輩の事好きだったなんて知らなかったな、なんて思いながらもボクは他の友達にあわせて「おめでとう、良かったね」と言った。

「あっ、・・・うん」

 陽葵ちゃんはボクにだけ不自然な返事をして、そのあと申し訳なさそうに


「だから、ごめん。今までみたいに瑠璃君と二人きりで遊ぶのは出来なくなっちゃった」


「え?」

 彼氏ができたからボク達と遊ぶ時間が減る。それは納得できる。けど、出来なくなったと謝る程のことなのだろうか。

「先輩がさ、最初瑠璃君のこと男の子だって勘違いしていたらしくて・・・それで。説明したんだけどそれでも、あんまりいい気しないからやめてくれって言っててさ」

「えっと、ボクは本当は女子だってわかってもらえなかったの?」

「そうじゃない、んだけど。ほら、私達って女同士だけどそういう噂もあったみたいだし? その、それで先輩が私に嫉妬してくれてたから告白受けてもらえたのもあって、なんていうか、ほら、瑠璃君って男子よりイケメンって言われてるじゃない? だから、その、ちょっとそれでムキになってくれてるというか」

「・・・」

 どういう意味かわからなかった。

「あのさ、瑠璃君。今まで振り回してごめん」

 何故謝罪されたのかわからなかった。

「私さ、隣にかっこいい子がいたら先輩の事を見返せるとか、まわりに嫉妬されるくらいにカッコいい友達がいる優越感が欲しくて」


 わからなかったし、ボクは。

「そんなエゴで、瑠璃君に王子様っぽく振る舞うように押し付けて。ごめんね」

 怒りより、悲しみより、裏切られた絶望より、別の感情が生まれたのがわかった。


「今は本当に瑠璃君のこと友達として大好きだよ。でも、先輩が瑠璃君と一緒にいる私は見たくないって言うから、だから、ごめんね? クラス移動とかでみんなで行動する分にはいいんだけど。今までみたいに二人きりで会うのは出来ないの」


 あぁ、なんて目をしているんだ。この女は。

「・・・・・・気持ち悪」

 陽葵ちゃんは、ボクに許しを乞いながらもドロドロと沈んだ汚い表情をしていた。


 穢くなっていく自分を受け入れて感情の深い深いところに潜っていくような、不気味な眼をしていた。罪悪感と多幸感に同時に締め付けられて、快感がまさっているような、知性的ではない、獣みたいないやらしい感情が表に染み出していた。

 昨日まで仲良しだった陽葵ちゃんの姿が、急に気持ち悪いモノに見える。ボクを利用して気持ち良くなっていた事なんて最初から知っていた。ボクの見た目だけに存在価値を見出して傍に置いてくれていたのだって当然理解していた。

 でも、別にそれを責める気は無い。ボクだって自分の見た目を利用してみんなに好かれたんだ、他の人が利用してはいけないなんて思っていないよ。実際、ボクにもメリットはたくさんあったし。そういう狡賢いところは嫌いじゃない。


 そうじゃなくて、そういうのじゃなくて。

「陽葵ちゃんって、そんなに人に執着できる子だったんだ」

 その狡猾さが全て恋愛の為に使われていたのだという事実が気持ち悪い。


 自分の気分が良くなる為じゃなくて、先輩を意識して、先輩の気を惹くために、先輩を見返すために底辺だったボクを捕まえて育て上げて魅力を引き出した。わざわざ。そんな労力を一年近くかけた。一つの恋愛の為に。先輩への執着の為に。


「なんか、気持ち悪いね」

 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

 なんでこの女は恋愛をする? 誰かを求める? 充分に魅力的で賢いのに。なんでそんな愚かなことをするのか理解できない。馬鹿馬鹿しい。反吐が出る。


 ボクは全て吐き捨てて、その場から去った。何を言ったかは覚えていない。また教室で顔を合わせる心配なんてしている場合じゃない。視界に入れたくなかった。ボクの生活を変えてくれた女性が醜い執着に振り回されていた事実なんて知りたくなかった。


 おかしいのだろうか、間違っているのはボクなのだろうか。知らない。知らない。けど、恋愛の為に他者を利用して盲目的に追い続けるなんて行為、ボクには嫌悪感しかない。


 まるで相も変わらず妄想と恨み言を交互に吐くことしかしていないボクの母親の様だ。あれと同じ。醜い生物だ。人間はなんて醜い。恋愛は、それによる執着は、どうしてこんなにも人を醜くするんだ。誰かを壊してしまうんだ。


 ボクはやっぱり、恋愛が許せない。大嫌いだ。

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