第111話 失くした正義と片想い
ぱちん、古くさい灰色の携帯電話を閉じて振り返る。
「安心していいよ。これでまた次目覚めた時、彼はまたキミだけの王子様になってくれるから」
「・・・・・・」
ボクが叶える道理の無い。寧ろ叶えない事にメリットのある願いを叶えてあげたにもかかわらず、彼女は相変わらずその愛らしい仏頂面を崩そうとはしなかった。
「どうしてそんな顔をするの? ボクはキミに笑って欲しくてここまでやっているのに」
薄暗い空気。空間そのものが不快な澱みを孕んだその場所は、数十メートル先すらも靄がかかって何も見えない。最初は不気味に感じたものだけど、今ではボクの平穏を守ってくれる楽園にすら思える。
遠くに耳をすませば、耳障りなノイズが聞こえてくる。
「ごめんなさいお父さん。もう面倒みたくない、いっそ死んでしまえばいいのに」
「患者を人だと思うな、余計な感情に振り回されるな」
「迷惑かけてごめんなさい。治らなくてごめんなさい死ねなくてごめんなさい」
「昔は俺だって、沢山の人を救いたいと言う夢があったのに」
「誰も来ない、どうして、怖い、忘れられた、見捨てられた」
「こんなはずじゃなかった」
ノイズが気味悪いのか、単純にボクと一緒にいるのが嫌なのかわからないけれど、彼女は顔をしかめて俯いた。
「・・・こんなこと」
俯いたまま、口を開いた。
「こんなこと、前からやっていたの?」
「なんのはなし?」
「とぼけないでよ」
「・・・ごめんね、桃ちゃんがボクに興味を持ってくれたのが嬉しくて」
石竹桃。現フィランスピンクはスーツも着ないでただその場に座り込む。別に拘束なんてしていない、彼女が本当に正義のヒーローならばいつでもボクを殴ることだってできる。ボクはそれを避ける気はない。
でも、桃にはそれができない。
それはボクの直ぐ傍で眠る彼が人質になっているからだろうか。それとも、彼女の罪悪感が正義執行を許さないからだろうか。
「瑠璃。これって、ヒーローの能力を利用してシャドウの巣穴の故意的に生成させたんだよね」
「ふぅん、わかるんだ。流石」
普段は可愛らしさを重視している彼女が、可愛さと真逆である鋭くて猛々しい殺意の視線でこちらを貫く。
「自分の手で悪を作り出すなんて、ヒーローとしてやっていいと思ってるの?」
「さぁ、別にボクはもうヒーローじゃないから。引退したんだから関係ないよ」
「まさか、ここを作るために殺してないよね?」
「そんなことはしないよ。夢見が悪いでしょ。ただ労働環境最悪のブラック病院に勤める皆さんに、少しだけ嫌な想像をさせただけだよ」
竜胆博士はシャドウの正体は人間の怨念だと推測している。怨念と言われると死者の悪意だと思い込みそうだが実際は生きている人間の強いストレスや絶望も巣穴生成の餌になる。死者の、同じ思考が集まる場合に比べてコスパはあまり良くないみたいだけど。別にボクとしては誰にも邪魔されない空間が欲しかっただけだから構わない。
今の博士がどこまで突き止めているのかは知らないけれど、故意的にシャドウの巣穴を発生させる事ができるのはボクくらいだろう。
「病院って普通にしていても激務なのに上が腐りまくっていたらさらに最悪だよね。それに当然お客は不健康で不安を抱えた患者ばかり、菌の温床みたいなものだったよ」
「何とも思わないの?」
ボクはもうフィランスブルーじゃない。だから自分の能力を自分の好きに使ってもいい筈だ。それなのに彼女はボクを責めようとする。
「仕方なくない?」
ボクを責めている筈の桃は、自分の心臓に杭が打たれたように辛そうだ。
「それは、桃ちゃんだって理解してることじゃないか」
そうだ、ボク達は共犯者なのだから。
「好きな人を手に入れる為に洗脳するなんて、ヒーローがすることじゃないよ」
「・・・・・・」
反論されるのわかっていたくせに、ボクに説教をしたのは何故だろう。
「しかも、ボクを利用してまで」
反論されたかったのかもしれない。
「仕方ないじゃん」
桃は立ちあがると、診察台によく似た何かに手を置いて、センチメンタルに天井の青緑色の蛍光灯を仰いだ。
「先輩は、桃のことなんて選んでくれないんだもの」
不気味な色の蛍光灯が、彼女の明るい髪の毛を照らし、玉虫色に近い不思議な色味を作り出す。
「・・・正攻法じゃ勝てないって、わかっちゃったんだから。好きになった途端そんなこと知って、どうすれば良かったの?」
ボクより年下で、実年齢よりもわざと幼く見える風貌を維持している彼女だけど、今日の桃は不気味で妖艶だ。病院によく似たこの場所を城に見立てた悲劇の女王のように錯覚してしまう。
「相手の事を考えて身を引く? 遠くに離れて忘れてしまう? それともいっそ殺してしまう? そんなの、どれも出来ないよ・・・どれも先輩が手に入らない。先輩が桃の恋人になってくれない世界なんて許せない。許せなくなっちゃったんだよ。ねぇ、こんなになってさ、桃は桃が可愛ければそれで幸せだったのに、周りの人間なんて、彼氏なんて、桃を引き立てる為のアクセサリーだったのに! 今更こんな感情持たされて、無理だって押し付けられて、いい子でいられるワケないんだよ!」
感情が溢れ出して、声が響く。
「本当に、キミは・・・」
自分に甘くて、自分が可愛くて、我儘で。
「酷い人だね」
「知ってるよ。こんな悪い女、先輩の彼女に相応しくない」
「じゃあ、ボクの彼女になればいいのに」
「悪いけど」
少しだけ申し訳なさそうに、だけど茶化して答えた。
「桃に彼女はいらないの」
でも、ボクが男でも別に受け入れたりはしないだろうな。
「どうしても?」
「・・・ちょっと訂正。桃は先輩以外いらない」
ほら、やっぱりね。
「ちなみに、今のボクはいつでも先輩を壊したりできちゃうのだけれど」
彼にかかった催眠は「自分は石竹桃に恋をしている」というものだけど、精神から肉体を壊してしまうような催眠をかけ直すことくらい簡単だ。空君に恋するヒーロー達からすればシンプルに肉体を殺されるよりも辛いだろう。
「あ、そうしたら桃ちゃんだけじゃなくて。ヒーロー全員死んじゃうかもね」
「そしたら誰が世界を守ってくれるの?」
「ボクが唯一のヒーローになるよ。フィランスブルー復活。たった一人で人気も独り占め・・・なんて、どう?」
一世代前のヒーロースーツを得意げに見せると、桃は呆れかえったため息で返事する。
「馬鹿馬鹿しい」
無論、ボクだってヒーローに戻るのは嫌だ。ただのふざけた冗談。
「どうせ劣化フィランスレッドとか叩かれるよ」
「そうかもね」
それ、ボクじゃなくて現在君達が言われていることだよね。不安になるとエゴサする癖、変わってないんだな。あんなの心に毒なだけなのに。
「でもさ、ヒーローに戻りたいっていうのは嘘だけど・・・」
「なに」
「ボクをこんなに利用したんだから、少しくらい望みを叶えてくれてもいいと思わない?」
この眠りこけている鈍感な王子様を盾にすれば、叶えられる望みもあるかもしれない。そうやって色々と期待するのも、ワンチャン狙ってるのもわからない程、桃は馬鹿じゃない筈だ。
「嫌。桃は先輩の為にしか動かないから」
馬鹿じゃないからこそ、自分が許される範囲だって理解しているんだ。
「・・・本当に、本当に酷いなぁ」
自分が誰よりも可愛くて、それなのに直ぐに不安になって、自立していて、常に助けを求めていた。ボクがまだ正義のヒーローだった頃と変わらない、相変わらずこの娘は綺麗だ。綺麗で、とても残酷。
「ボクが本気で桃の事好きなの、知ってるくせに・・・それでも利用できてしまうんだね」
そんな石竹桃を、ボクはどうしようもなく愛している。利用されたいと思ってしまうくらいに。
ボク達がまだ、正義のヒーローだった頃から。
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