第110話 フィランスグリーンは蚊帳の外


 見えない壁を演じるパントマイムのように、何もない空間にそっと手を置いて神妙な顔つきを見せる蘇芳茜さん。フィランスレッドの姿なので細やかな表情までは見えませんが、そのガラス越しの目つきが真剣なものであることは確かです。彼女は決して、あまり会話をしたことが無い後輩ヒーローである私を和ませるために特技のパントマイムを見せているわけでは無いのです。まぁ、そんな茶目っ気のある人間だとは微塵も勘違いしていませんが。


「そこに、何かあるのですか?」

 ついさっき、似たような事をこの人から聞かれたような気がするな、と内心で考えながら尋ねます

 蘇芳さんはこちらも向かずにこくりと頷き、左手の拳に力を込める。興奮する闘牛の様に全身から強い殺気の様なモノが溢れているのですが、感情に溺れることなく彼女は連絡用スマートフォンを取り出し、操作しながら返事をする。

「助かった。お前のおかげだ」

「は、はぁ」

 この女、お礼とか言えるんですね。なんて思いながら私は複雑な気持ちになった。


 フィランスレッドの身体能力強化からくる空さん専用GPSは、その時に空さんが何処にいるか高精度で理解できるという非常識なストーキング能力。ただ、過去に訪れた名残を探知する犬の嗅覚とは違って今の場所、今の安否しか知ることは出来ない。気付いた時には既に目の届かない位置に移動していた空さんの居場所を予想することは難しい、とのことでした。

 彼女が空さんの居場所を認知できない場所は恐ろしい事に世界でたった一か所、シャドウの巣穴だけとのことです。それ意外ならば地球の裏側でも深海でも見つけることが出来るそうなので、彼との逃避行は難しそうです。


 今まではそのような機能が搭載されていなかった筈ですが、空さんに出会って恋をして、フィランスレッドも強化されてしまったのでしょう。と、考えるとそれまでのレッドは何に対する愛情であれだけの強さを発揮していたのか、今更ながら気になってしまいます。


「今回は助かったが、全て終わったら空の分は破棄しろ。本人が許可しているなら構わないが」

「わかっていますよ。大体なんで知っていたんですか・・・って、どうせ竜胆博士か」

 現在は空さんがいる筈のシャドウの巣穴を目の前にしているわけですが、これはフィランスレッドの探知能力では無く、私の持っていた発信機が見つけたものです。

 妻として当然のことなのですが、空さんと彼を狙う間女には発信機をつけています。石竹さんが空さんのご実家に訪問し、さらに翌日も通おうとしていた動きを確認できていたから二人が待ち合わせした駅前にて待ち伏せすることが出来ました。夫婦円満の為に必要不可欠なコミュニケーションアイテムの筈でしたが、今回は空さん救出に役立てそうで良かったです。

 だから何故この女に破棄しろ、なんて言われなくてはいけないのか理解に苦しみますが、今彼女を怒らせても特にメリットが無いので大人しく頷いておきます。


「空さんと石竹さんが同じタイミングでシャドウの巣穴に飲み込まれた。確か、シャドウの巣穴は生成時にその場にいた人間を内部に巻き込むのでしたよね。つまり二人が何らかの理由でこの周囲を訪れ、運悪く中に?」

 シャドウの巣穴に飲み込まれてからは神隠しに会ったようにGPS機能は途絶えていました。ですがそこは最新の機器ですので最大120時間分のデータを遡ることができます。二人は一緒に行動し、そしてこの場所で一緒に消えたようです。

 データが示したのは北関東に位置する大きな街にある病院。どうやら数か月前に医業停止処分を受けて現在は営業停止中のようですが、特に観光名所も大きなショッピングモールも無いこんな場所に任務関係なく出向くことがあるのでしょうか。

 我々の基地から電車で二時間はかかる。少なくとも、ここを訪れる理由はデートではなさそうです。


「蘇芳さん・・・その、私も中に入ることは出来ないのですか?」

 二人にゆかりが無い街の病院、偶然巻き込まれたとは思えないタイミングで生成されたシャドウの巣穴、そして今回の件に絡んでいるであろう元フィランスブルー縹瑠璃の存在。空さんの身に何が起きているのか、私の想像力では碌な推理すら出来ません。

 この目で全てを見て、できれば私の手で空さんを救い出したい。かつて空さんが死の淵を彷徨った私を愛の力で目覚めさせてくれたように。

「足手まといにはなりませんので、連れて行ってもらえませんか?」

「無理だ」

 私が意を決して頭を下げる前に、彼女はピシャリと拒否した。


「ここに入ることが出来るのは私だけだ」

 ここ、と彼女が示す何もない場所。病院の敷地から10メートル程離れた何の変哲もない道。フィランスレッドは唯一、生成済の巣穴に侵入することが出来る。条件はあるようだけど、私含め歴代ヒーローが同じことに成功した歴史は無い。

 私からすれば何もない場所であるという事実が、私の存在が蚊帳の外だと判りやすく示す。

「どうして、私だってヒーローなのに・・・!」

 これだけ空さんを愛しているのに、それでもこの女の愛の力に負けているというのでしょうか。私は彼を助ける権利すら得られないのでしょうか。仮にも私は空さんに選ばれた恋人、未来の妻であるというのに、ただ一方的に空さんの事を愛している女共に奪われ、救助され、それを無関係な場所で待つことしかできない。

 悔しさや不甲斐なさに苛まれ、むしゃくしゃになって、私はあろうことか蘇芳茜に掴みかかろうとした。もしかしたら彼女に触れていれば一緒に中に入ることが出来るかもしれないと言う都合の良い希望をもって。


 しかし、彼女は

「菫に連絡を入れ終えた。返事はお前にするように言ってある。巣穴が崩壊したら真っ先に空の安全、次点で犯人の確保を頼む。それでは」

 私の手をすり抜けて、早口に指示だけ出すと目の前からふわりと消えてしまった。


「・・・・・・えっ?」

 あっけない消失に頭も感情も置いてけぼりにされる。

 彼女が先ほどまで触れていた、見えない何かに触ろうと手を伸ばす。病院の方へ走る。空を見上げる。地面に目を凝らす。けど、何も起こらない。

「消えた」

 目の前でこんなになってる人間がいるのに、私の事など全く目に入らないかのように。蘇芳茜は言いたい事だけ言い終えて消えてしまった。右を見ても左を見てもその姿はない。

 きっと、空さんを助けに行ったのだろう。

「本当に、空さんしか見えてないのですか」


 何より、私が助けになるなど、一ミリも考えてはいないのでしょうね。

 あの女は私が知る限り地球最強のヒーロー。彼女が助けると言うならばきっと空さんは帰って来る。

「・・・なんでもいい。それでもいいです。無事に帰ってきてくれるなら」

 私はただ、誰もいない場所で愛する人の帰りを願う事しかできなかった。


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