第109話 空の居所
空さんが、殺された?
蘇芳茜さんが振り下ろした凶悪な刃は私の背後で風を切った。そこは、空さんがいる筈の場所。
彼女が何か言っていましたが、当然その言葉は頭に入っては来ませんでした。
「ど、どうして・・・?」
振り返らずともわかるのは、寸止めでも、みねうちでもない事実。空さんがいる筈の場所へと向けられた殺意は見事にそれを貫いてしまった。
なのに、私の背中は。私の五感全ては、空さんの死を感じ取ることはなかった。
一瞬で途切れる悲鳴も、頬にかかる血しぶきも、肉を断つ嫌な音も、何ひとつそこには無く、まるでただ刃が私の部屋のカーペットに穴をあけただけのような、そんな音しかしなかった。
「そ、空さん・・・が」
不気味でした。空さんが襲われたというのに私の心は何故かざわつかず、冷静に疑問に混乱している始末。何よりの違和感は、空さんの愛している筈のこの女の表情。
蘇芳さんもまた、空さんを愛する女性の一人。だけど、彼女は微塵の迷いや後悔の無い凛々しい表情で私を見下ろしているだけ。そもそも、手に入らない想い人を殺してしまうなんて『軽い愛』、最強のヒーローと言われるような彼女が考え付くとは思えません。
「何を、したのですか」
私はゆっくりと振り返りました。空さんの安否の為では無く、何かの答えを求めるような心情で。
「空さんは? 空さんは何処に行ったのですか?」
そこに、空さんの姿はありませんでした。
「た、確かにさっきまでそこにいたのですが・・・」
無残な姿でも、危機一髪に回避を終えて焦る姿でもなく、空さんの存在そのものがこの部屋には無い。
「いつのまに? だって、確かに私は空さんと一緒にこの部屋に戻って来て、それで、これからご飯を作ろうと思って」
動揺して眼鏡に触れようとした指先がそのまま目元に触れる。
「あ、今日はコンタクト・・・」
そう。変装の為に髪型を変えて、念のため眼鏡も外したのでした。空さんを尾行するための変装を・・・。
「あれ? そうだ、どうして私は忘れて・・・え? じゃあ空さんは一体?」
もう、何が起こっているのかわからない。空さんはどこ? さっきまで私が見ていたのは何?
「す、蘇芳さん」
心の奥底に漠然とある、フィランスレッドへの恐怖。それは人間も動物であると直感的に理解できるような野性的な勘から来るものだと思っています。会話しただけで、彼女のヒーローとしての活躍を聞いただけでわかる自分達との格の違いのようなもの。圧倒的に強い種にたいして怯える野生動物のような怯えを私は常にこの女に抱いていた。
でも今はそんなこと気にしている場合ではない。本来苦手な相手ではありましたが、私は構わず彼女に問いかけます。
「どういうことですか」
蘇芳さんは少し怪訝そうにして、ため息をついた。
「菫が」
「竜胆博士が?」
「言っていた」
博士。そういえばさっき電話で変なコトを言っていましたね。
「強い洗脳によって、お前は自殺や精神崩壊の危機にあった・・・が、グリーンはそれを自分にとって都合の良い妄想を作り出すことで回避したのではないか、と」
「・・・はい?」
何を言っているのですか。人を妄想女呼ばわりですか?
「悪意を持った者がお前にとって耐え切れない幻覚を見せたが、お前は自身の考える最も理想的な妄想に潜り込むことで精神崩壊に耐えたのだろう・・・と、言っていた」
私に取って耐えられない事は空さんに拒否される事。理想的な事は当然空さんが私を心から愛してくれる事。
「私は空さんが何処に行ったのか聞いているのです。幻覚とか洗脳とか変な話を・・・あっ」
そこまで口にして、合点がいった。
「グリーンはもしかして、過去のヒーロー・・・名前は忘れたのだが、元ヒーローに襲撃されたのではないか?と、菫は心配していた」
相変わらず人間の名前を覚えない。私のことだっていまだにグリーンと呼ぶのですから筋金入りですね。
「なるほど。縹瑠璃さんですね、一世代前のフィランスブルーです」
つまりは先ほどの私との電話で状況に勘付いた竜胆博士が蘇芳さんを呼びつけた、ということですか。私の様子だけで縹さんの存在にまで頭がまわるというのは流石ですね。
しかし、私を助ける為だけに任務中のフィランスレッドを呼び戻すなんて随分と大事にされていたものですね。
「全て思い出しました、やり方はあまりにも残酷でしたが私を助けてくれたのですね。感謝します」
此方からすれば突然現れて空さんを殺される、なんていう別のトラウマが生まれそうな行動でしたが結果として冷静さを取り戻すことができたので素直にお礼は言っておくことにしましょう。
「感謝をしている場合ではない。空が連れ去られた。協力しろと言っている」
「連れ去られた・・・って、縹瑠璃にですよね」
確かにあの場には空さんもいた。それに、縹さんの口振りでは既に空さんは何らかの精神攻撃を受けた状態。彼女の企みはわかりませんが、直接拉致するなんて碌な作戦だとは思えませんね。本人は否定していましたがやはり空さんを愛してしまった故に連れ去り、洗脳によって自分のモノにしようとしていたのでしょうか。
「でも、貴女の能力があれば直ぐに連れ戻す事ができるのではないですか?」
本当は私が助けに行きたいものですが、ここは蘇芳さんに任せてしまえば解決も早いでしょう。
ヒーローがスーツ着用で得られるのは武器や特殊能力、そして身体能力の向上。身体能力は脚の速さや筋力は当然ですが、五感や感覚強化の効果もある。私ですら愛する対象の空さんが近付いて来ただけで姿が見えなくとも胸が高鳴るのですから、フィランスレッドなら何処にいても元居た方角がわかる帰巣本能の如く、空さんの大まかな居場所を特定するくらい訳ない筈なのですが。
「貴女の強さならGPSまがいの事だってできるでしょう」
「・・・できる」
と、答えた蘇芳さんは何故か不服そうに見えました。
「私は意識さえ向ければ常に空が何処に存在しているのかわかる。どこにいても、どれだけ離れていてもわかる」
まがいものどころか普通にGPSですねそれは。
「では何故?」
「任務中はそちらに集中している為気付くことが出来ない。当然、移動中は常に空の居場所と安否を確認していた。昨日、長期救助活動を終えて空の方へと意識を向けた。そうしたら空が、いなかったんだ」
いない? 空さんが?
「今もだ。今もいない。死んだはずはない。それであたしが気付かないわけがないし、空が死ぬはずないんだ」
「ちょ、ちょっと待ってください。それは外国に逃げたとか、そういう話ですか?」
「地球上ならどこにいてもあたしは見つける。追いつける。宇宙の果てに飛ばしでもしない限りあたしが空を見失う事はない」
「では、一体どこに・・・?」
縹さんは変わった能力を持っていますが、簡単に他のヒーローを出し抜けるようなものではない筈。
「地球上にも、あたしが感知できない場所が存在する」
それは悔しそうに唇をかみしめながら、床に突き刺さった武器を引き抜く。
「シャドウの巣穴。空はそこに連れ去られた」
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