第107話 悪夢を断ち切る最適なやり方

「嫌い?」

 私を?

「迷惑?」

 私が?


「・・・そんな、そんな事、空さんが言うはずないですよね。ね、おかしい。何かの間違いです。だって空さんは私に優しいですから。厳しい事を言うならそれは全て私を想っての為のことです、なにか理由があるんです、本当は空さんもこんなことしたくないんです。だから迷惑なんて、嫌いなんて、嘘ですよね。えぇ、そうです。嘘なんですよね、空さん?」

 顔を上げても、既に空さんの姿は無く、何処かもわからない空間だけが広がっていました。本当に去って行ってしまった。私の顔なんて、もう見たくないと言うように。

 いつもなら簡単に思い浮かぶ自分を納得させられるだけの理由すら、今は出てこない。


「好きでいる事すら・・・許されないのですか?」


 彼に言われた言葉を復唱して、心臓が止まった気がした。こんなに深い絶望を今まで味わったことが無く、どうやってもう一度動かしたらいいのかわからない程に、涙の流し方すら忘れてしまう程に、心が凍り付いてしまうのを感じた。

「貴方の傍に立つことすらできないなら・・・私は」

 今私が死にたいと強く願えば、そのまま消えることが出来ると、何故かそんな確信を持ち、それがあたかも正解であるように輝いて見えたのです。おかしい、おかしいのに、私はもう自分を鼓舞する方法がわからないのです。

「そう、そうですよ。空さんに嫌われて生きるくらいなら私はもう、終わっても構いませんよね」

 あんなに怖かった終わりが、何故かとてもハードルが低い物に見えてしまう。この世界はきっと何かがおかしい、でも、それに抗えるだけの元気が出てこない。

 私に現実と向き合って戦う強さなんて、もうずっと前から無かったのかもしれません。


「それでも、空さんはやっぱり私の理想の王子様だから―――」

 もうやめてしまおう、全てを終わらせたい。そう願う寸前、私の心の奥底で暖かに煌めく優しい記憶が微かに主張したのです。記憶の中の空さんはいつでも私を大切にしてくれて、私の心が傷付かないようにと奮闘してくれる優しい方。

 あんなに素敵な人を見たことが無い。この人に尽くせるなら、この人に愛されるなら生涯の幸せは保証されたと自信を持って言えるくらいに、彼は私の人生史上最高の男性だった。


「空さんは私を傷つけない」

 えぇ、そうです。そうなんです。空さんは私をとても愛してくれていて、常に笑顔で、私をエスコートしてくれる素敵な旦那様。

「そう、あんなに完璧な方が、おかしいです。例えば・・・」

 一度空さんによって凍り付かされた心が、空さんへの憧れでゆっくりと動き出す。

「私がこんな風に、辛い思いをしていたら直ぐに駆けつけてくれるはずです」


『うぐいすさん?』

 私の願いに応えるかのようなタイミングで、優しい声が聞こえてきました。


「えっ?」

 私が振り返ると、そこには空さんが。

「帰って来て・・・くれたのですか?」

 先ほどまでの冷たく軽蔑するような目ではなく、いつも以上に温かい表情に木漏れ日の様な安心感を覚えます。ホッとしたのか、自然と涙が溢れてきてしまい、空さんはびっくりした顔になりました。


『泣かないで、うぐいすさん』


 触れると、男の人なんだなと思わされるゴツゴツとした指先で涙をぬぐう。私は何が何だかわからずに震えた声で尋ねました。

「ななっ、なんで、もどってきた、の、ですか? わ、私の顔なんて見たくないのでは」

『俺がそんな酷い事言うわけないじゃないですか』

 困ったような笑顔。あぁ、そうです、いつもの空さんの可愛らしい笑顔。

「た、確かにそうですね」

『怖い夢でもみたんですか?』

 地面にへたり込んでいた私に会わせて膝をつき、同じ目線で優しく声をかけてくれる空さん。跪くようなその姿は、本当に童話に出てくる王子様みたいでドキドキします。

「怖い夢・・・そうかもしれません」

『それは大変だ。うぐいすさん、今日は一人で寝られますか?』

「えっ?」

『怖いなら、俺が付いていてあげます。それなら大丈夫ですよね?』

「へっ?」

 な、な、な、なんでしょう。今日の空さんはいつもより男らしいといいますか、元々全女性の理想が詰め込まれたような完璧でかっこよくて可愛い方でしたが、より一層キラキラしている気がします。

『うぐいすさんが悪夢を見ないように、ずっと俺が傍にいます』

 背景に薔薇を錯覚してしまうくらいの魅惑的な表情と声。さっきまでの恐怖と不安との温度差で身体から力が抜けてしまいます。

「へ、へぁい・・・」

 ふにゃふにゃになった私がかろうじて返事をすると、空さんはニコリと笑って私の手を取り、起こして、一緒に歩いてくれて。


『俺はうぐいすさんの味方ですよ』

 と、自然に私の指に空さんの指を絡める。大きくて暖かい手、これだけで全てのストレスから解放されてしまいそうな程です。

 さっきまで壊れかけていた私の色々が空さんの言葉一つで修復されていくのを感じる。

 これは、夢? 私は夢に助けられたのでしょうか。あのままでは間違いなく可笑しくなっていたような気が・・・。

『絶対に貴女を傷つけたりしませんから、もう泣かないでくださいね?』

 いえ、夢なわけ無いですね。だって空さんが目の前にいるのですから。こんなに心が温かいのですから。

 苦しんでいる私を本物の空さんが助けに来てくれたんですね!


「嬉しい、空さん・・・」

『じゃあ、一緒に帰りましょうか』

「はいっ」

 頭がぽーっとする。ふふ、手を繋いでいなかったらスキップしていたところですね。


『かわいいです、うぐいすさん』

『夕飯、俺の為に作ってくれますか?』

『うぐいすさんみたいな女性に好かれて最高に幸せだな』

『早く一緒に暮らしたいですね』


 空さんは私が欲しい言葉を全部くれた。さっきの悪い夢が嘘のようです。

「私、幸せですっ」




―――

「ねぇ見て。あの人、さっきから独り言凄いね。酔っているのかな」

「なんか、隣に誰かいるみたいにずっと喋ってるな。酔っぱらいというより、おかしくなってんのかも」

「へぇ、勿体ないね。美人なのにさ・・・あ、電車来るよ」

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