第103話 フィランスブルーの夢の中


「せーんぱい」


 あれ、ここはどこだ?


「ちょっと、起きてくださいよ。せんぱい!」


 身体が綿に包まれたような、ふわふわとした感覚。いったいここは?

 さっきまで俺、どこで何をしていたんだっけか。思い出せない。


「ねーえ、せんぱいっ!」

「う、うぅん・・・」

 重たい瞼をゆっくりとこじ開けると、そこには美しい青空と白く輝く雲に囲まれた空間。そして俺の顔を覗き込む美少女。


 そうか、ここは天国。俺は死んだのか。短い人生だったなぁ。大して良い事はしていないけど悪い事をもしていないし、天国に行けただけ良かったと思うしかないか。

「キミは・・・天、使?」

 俺は目の前の美しい少女に声をかけた。


「へぁっ!? ちょっ、急になんですか先輩! 寝ぼけているからってそんな甘い口説き文句、らしくないですよ!」

 ・・・顔を赤くする少女。実際に会ったことが無いのであくまでイメージだけれど、その動揺の仕方は天使や女神ではしないようなモノな気がする。

「・・・・・・」

「ま、別に嫌ではありませんけどね。先輩にしてはちょーっとキザじゃないです?」


「なんだ、桃か」

 そうだ、この子は桃。石竹桃。俺の後輩だった気がするな。そうそう。可愛くて人懐っこくて、ちょっと小悪魔だけどそこが接しやすい。俺なんかにも気さくに話しかけてくれるいいやつだ。

「なんだってなんですかー。もう、桃と一緒にいるのに寝ぼけないで下さいよ」

「ごめん」

 頬を膨らませて、横たわる俺の胸に軽く乗っかる桃。決して苦痛ではない心地よい人間の重みで俺の背中がふわりと雲に沈む。体重を気にしているのか、身体の半分だけで俺に乗っかる桃は、怒ったフリをしながらもなんだか嬉しそうだ。


 こんなに可愛い後輩がいるなんて、俺も幸せだな。知り合えた運の良さに感謝だ。

 そういえばどうして桃と知り合ったのだっけ、そもそも何の後輩だ?

 大学、ではないな。俺一年生だし。高校の後輩か。でも、部活も委員会もやっていない俺に後輩が出来るなんてことあるか?


「せんぱーい。せんぱい! ごめんって言ったのに、また上の空ですか?」


 そうだった。バイトの後輩だ。俺は駐車場の整備員をやっているんだ。なんか、デパートかスーパーの。そう言っておけば伊崎のバカが遊びに来ることも無いからな。いや、違う、これはフェイクの話。親しい人間に嘘をつくのは大変だし罪悪感もある。それでも秘密にしなくてはいけない事はあるのだから仕方ない。

 桃はいつもこんな風に嘘をつきながら高校生活をおくっているんだったな。意外と努力家な娘だ。


「もしかして、具合悪いんですか?」

「いや、ごめん。ちょっと寝起き悪くて」

「へぇ? なんか意外かもです」

 とっても砕けた敬語、別段面白くも無い俺の話を興味津々に聞く表情、物怖じせずに俺の眼をじっと見る石竹桃は、見た目通りのか弱い少女ではなく芯のある美しい女性だ。

「桃はですね、早寝早起き得意・・・というか夜更かし苦手なんですよね。中学校の時の修学旅行でもね、消灯後にみんなで恋バナするの楽しみにしてたのに桃だけ暗くなったら直ぐ寝ちゃって。次の日起きたらなんかみんなニヤニヤしてたんです、これ酷くないですか? そんで、そのあと友達に聞いたら前の日の夜にクラスの男子が実は桃のこと好きなんじゃない? って話で盛り上がっていたらしくて。その男子がガキ大将系っていうんですかね、「女子と遊ぶなんでダサい!」とか普段から言ってる男子だったから余計喰いついちゃったみたいで・・・」


 他愛のない話。その声はやっぱり眼を瞑ったら天使の声と聞き間違えそうだし、桃の笑顔は女神のソレに引けを取らないだろう。自然と世界が輝いて見えて、いままで普通に会話していたのが不思議なくらいに心臓がどくどくと主張し出す。


『浅葱空は桃に恋をしている』


 そうだ。俺は桃が好きなんだ。


『二人は両思いだ。交際している。キミは本気で彼女を愛している』


 そう、そうだった。何故こんな大事なことを忘れていたんだ。


『キミに大切なものなんてない。あるのは石竹桃への愛だけだ』


 俺は今まで何かを本気で追いかけたことも、夢中になったことも無い。

 平凡に生きて、平凡に成長して、平凡な大人になっていく。

 そんな俺を特別な一人に選んでくれた桃を、俺は本気で・・・。


「・・・だから、結局友達が言っていたのは全部勘違いだったんです。とんだピエロですよねぇ、もう!」


「桃、好きだよ」


「はいっ!?」

「俺の事、好きになってくれて嬉しい」

「ど、どうしたんですか・・・もう。今日の先輩はとっても桃のこと甘やかしちゃいますね。えへへ・・・桃だって先輩の事大好きだし、好きになってくれて嬉しいなって毎日思っていますよ」

「・・・ありがとう」

 俺が桃の手を優しく握ると、細く小さな指が俺の手を握り返す。


 あぁ、幸せだ。俺には彼女さえいればそれでいいんだ。他のことなんて考える必要ない。





「・・・ふぅ、どうやら上手くかかってくれたようだね。全く、まさかスーツを着たことがあるだけの一般人がここまでボクを手こずらせるなんて思わなかったよ。もしかしてボクと鶯ちゃんの会話でも聞かれていたのかな? まぁ、覚えていないだろうからいいけど、なかなかしぶとい一般人だ。いや、寧ろ彼が一般人だからこそかな? 鶯ちゃんは一瞬できいたし、こういう恋愛絡みの使い方は現役の時はしなかったから気付かなかったけど、恐怖を植え付けるだけよりもかかりにくいものなのかな。どちらにせよボクの傍にいさえすれば彼の思考も言動も思うままだ。ここなら他のヒーローが入って来ることはないし、直感にばかり頼るフィランスレッドでは居場所を察知できないだろう」

「・・・話が違う気がするんだけど」

「何を見てたの? 全く違わないよ。ボクはキミの言う通りに浅葱空君に催眠をかけた。キミはそのおかげで彼と付き合うことが出来たじゃないか・・・だからさ、ボクの望みを叶える番だと思わない?」

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