第102話 縹瑠璃は創り出す


 目の前の景色が実は全てトリックアートだった。そんな経験はあるだろうか?


 俺が見ていた美しい世界は紛れもなくリアルで、そこから生まれる感情が本物だということに微塵の疑問も抱かなかった。誰だってそうだろう、世界が五秒前に生まれたなんて信じられないし、周囲の世界が自分の人生の為の作り物だなんて思えない。全てのもの確かに存在していて、それによって育まれた心は俺の物だ。

 俺は自分が恋をしていると気付いた。生まれて初めての胸の高鳴りも、冷静になると恥ずかしくなってしまうくらいに浮かれた自分の行動も、そうなるまでの過程も、全部自然にできたものだと信じ切っていた。彼女の声を聴くだけで幸せになり、彼女の笑顔を見ればこちらもニヤケてしまう。友人の話や、物語で見たような状態に自分が陥る照れも、全て俺の中にある本当の感情。


 けど、どうやら違うみたいだ。俺がいるのはオープンワールドではなくただの箱の中で、目に見えていた美しい情景はリアルな絵画だった。ただ、『浅葱空が恋をしている石竹桃』の絵が描かれただけの空間に立たされていただけ、そんな感じ。


 どうしてこれに気付けたのか、何故こんなにも明確に不自然さを視認しているのかわからない。でも、突然ブラックアウトして、自分がいる場所が狭い箱の中だと知らされたような気分。なにも動けない、感じられない不可思議な浮遊感と堕落に塗れた感覚の中、外の音だけが聞こえている。


 誰かと、誰かが話している。俺はさっきまで、どこで何をしていたのだっけ。

 思い出せない事が多い。あの時何を思ったのか、どうしてあんなことを言ったのか、おかしい、俺に何が起こった、どうして、どうして俺は・・・あんなにも、桃に惹かれていたんだ。さっきまで俺の目に映っていたキラキラと輝く桃は、誰が何のために作ったものだったんだ?


「鶯ちゃん・・・残念だけど、キミの勘は正しいよ。ただもう少し早く気付くべきだったね。昔の鶯ちゃんならもう少し出来る子だった筈だけど、どうしたの? 『自分自身が』愛される現状が幸せ過ぎて女の勘が鈍ったのかな」


 交錯する思考の中、鋭い針のように情報が差し込まれる。さっきまでは雑音としてしか認識できていなかった世界に入り込んできた音。聞こえたのは、誰かの声。声の低い女性か、綺麗な声の男性か。


「彼にはボクの姿を目にしたら意識が落ちるように細工してある、鶯ちゃんがいくら愛を持って声をかけても何も聞こえないよ。この細工は限定的だし、時間も短い、催眠術みたいなものだからかけるのにも時間がかかる。キミ達ならこんな小細工必要なかっただろうに」


 暫く聞くと思い出す。その声はいつかラーメン屋で出会った銀髪水色メッシュのイケメンのものだった。

 違う、それだけじゃない。その後に俺はコイツと再会した。桃と向日葵がうちに来た日、偶然出会って、それで、何か大事な話をして・・・。どうして今まで忘れていたんだ。それに、あの時何を話したのだっけ。大体、何故ここにいるんだ。


「小細工がいらないほどに強いから、今まで何もしてこなかったのかな。その気になればいつでも力づくで手籠めにできる、そうわかっていたから油断して普通の恋愛ごっこを楽しんでいたの? だとしたら笑えるね、ボクみたいな最弱ヒーローにまんまと奪われちゃうなんて」

「私はそんなことしません。そんなことしなくても空さんは私に優しいのですから」

「優しさだけで満足できるほど物分かりがいいんだ? 正義のヒーローらしく正々堂々と戦って、駄目なら諦められる? 嘘だよね。そんな真っ当な恋心もっているやつがヒーローになれるわけがない。博愛主義なんて微塵もない自分しか見えてない身勝手なフィランスグリーンが、そんな綺麗なわけがない。ボクを警戒して強がってるんだろ? ボクは人間の感情には誰よりも敏感だ、そんな小手先の虚勢で誤魔化せるほどボクは甘くないよ。ボクは目的の為ならヒーローの能力を私物化することだって、隊の掟を破る事だって全く怖くない。これはボクが欲しい物を手に入れる為に必要なことなんだ」


 声は彼奴なのに、雰囲気が全然違う。溢れるような感情の波も、抑えきれない欲求を隠せないところも・・・まるで、ヒーロー達みたいだ。

 あぁ、ヒーロー? そうか。あのイケメンは、元ヒーローなのか。


「・・・やはり、あなたも空さんの事を狙っていたのですね」

 ぞくり、と俺に何か向けられたわけでもないのに凍る背筋。それはきっと敵意。

「私達ヒーローは全員、空さんに特別な感情を抱いています。空さんはそれだけ魅力的で、包容力があり、カッコよく、凛々しく、時に可愛らしく、直ぐに人を勘違いさせてしまう優しさを持った罪作りな方です。今まで空さんに言い寄る女性がいなかったとご本人はおっしゃっていますが恐らく空さんがあまりに完璧過ぎて言い寄る勇気が出なかったか、空さんが鈍感で気付かなかっただけでしょう。それほどに空さんは多くの女性の心を無自覚に奪ってしまう方で、恋人・・・妻としては不安な面もありますがその危うさすらも空さんの良い所、その他全ての男性が有象無象に見えてしまうまでの完璧な男性と言っても過剰表現では一切ないでしょう」

 こ、この声は鶯さんだよな、恥ずかしい事を言われた気がする。だめだ、頭がうまくまわっていない。幻聴か?

「ですから、同じく深い愛を持つヒーローである縹瑠璃さんが空さんに恋をしてしまい、その魅力に囚われるがあまり悪事に手を染めたとしても何も不思議ではありません!」


 痛い幻聴だな・・・。ん? 縹瑠璃?

「・・・はぁ」

 呆れかえった、ため息。

「本当に痛々しいな相変わらず。なにその自信、恋は盲目ってやつ? ボクにはどうして彼がこんなにも愛されるのか全然理解できないけどね。キミにも、レッドにも・・・・・・そして、桃にも」

「ッ!?」

 息を呑む鶯さん。何に気付いたのか、いや、何かされたのか? 

 駄目だ、身体が動かないし目も開けない。金縛りにあったみたいに何もできない。

「さっきの続きだけどさ、誰かを助けるという点においては不遇で、特段使いどころのない能力でも役に立つ時はあるんだよ」

「縹さん、あなたまさか・・・!」


「例えば。愛の力が失われれば正常な判断も出来なくなってしまうくらいに感情に溺れた人間を壊す時とか、ね」


 なんだ。なにが。何が起こっている。


「一般市民は救えないよ。でも全てのパフォーマンスが感情に左右されるような存在・・・対ヒーローに関してはボクの能力が最強ってことさ」


「や、やめっ!!」

 鶯さん!? 鶯さんが!

「・・・おやすみ、夢見がちなお姫様。全部終わったら用済みの王子様はキミに返してあげるよ。まぁ、まともに喋れるか保証は出来ないけどね」


 ぐぐもるような一瞬の悲鳴が聞こえたかと思うと、俺の頭も眠りについてしまった。


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