第101話 フィランスブルーの掌上で
「・・・・・・空さん。私と一緒に帰りましょう?」
ゆっくりと両手を差し出し、空さんを迎え受けるポーズを取ります。しかし、空さんはその場から動こうとしてはくれません。周囲に誰もいないとは言え、公共の場で触れ合うのは気恥ずかしいのでしょうか?
「恥ずかしがらないで良いのですよ。私にだけは・・・未来の妻であり婚約者である私、鶯の前だけでは素直に甘えてくれて構わないのです。ほら、お家に一緒に帰りましょうよ」
「い、嫌だ。鶯さん、おかしいですよそんな・・・」
首を振り、後退る空さん。どうして、そんな、まるで私を拒んでいるような素振を見せるのですか。
「私の空さん。大丈夫。大丈夫ですから、私が幸せにしますから。ね? ねっ?」
そのまま広げた手を伸ばし、空さんの体に触れる。
「いいから私と一緒に来て下さいよ、ねぇ!」
スーツも着ていない私の身体は貧弱で、腕を掴まれたとしても空さんなら簡単に振り払えるでしょう。それでも、愛する私にそんなことはしませんよね。
「ねぇ、空さん」
「やめてください!」
ぐっ、と腕に力が籠められる。振り払われることはなかったけれど、石のように動かぬ空さんの身体から明確で強固な拒絶の意を感じます。おかしいです、何故でしょう。答えは一つしかありません。
「・・・やっぱり、正気じゃないのですね。あの女のせい? それとも他の理由? 私の能力で治療できるでしょうか、そのような使い方をしたことがありませんが愛の力があればきっとなんとかなりますよね」
大変です、はやくお家に連れて帰って治療しないと。空さんはおかしくなっているんですね、優しい空さんが私を拒むなんてあり得ませんから。そう、そうに違いない。
「心の病気も病ですから、きっと私のお薬が効く方法があるはずです。空さんは心が疲れておかしくなってしまっているのですね・・・可哀そうに、こんな風になるまで働かされていたなんて。気付いてあげられなくてごめんなさい、もう大丈夫ですよ、私がいますからね。私が治してあげますから」
空さんが正気で無いのなら私があるべき姿に戻してあげます。
あのピンク女は邪魔。それに他のヒーロー達も邪魔です。彼女達は全員空さんに叶わぬ片想いをし続けて勝手に正義の味方をしていればいい。その間に私は空さんが私だけを好きになってくれるよう、元通りになる方法を思いつけばいいだけです。そうだ、例えば空さんが誰かに頼らざるを得ない状況の時に私だけがたった一人甲斐甲斐しく手を差し伸べるとか、そんなシチュエーションを作ることが出来れば空さんはきっと改めて私をパートナーに選び、そして心の底から私を愛してくれるのではないでしょうか。
「だったらいっそのこと・・・」
そのために必要なこと。その第一歩を成し遂げようとした瞬間、
「羨ましいな、何も考えずに強硬手段に出られるチート能力持ちは」
まるでその登場を待っていたかのように、予想外の声の主の方へ風が一気に吹き抜けたのです。
そこには、既に私達のいる場所から離脱した筈の人間が立っていました。
「ひさしぶりだね、鶯ちゃん。ボクのこと覚えてる?」
銀のウルフカットに水色のメッシュ。かつて私が王子様と『勘違い』しかけた憎たらしい程に整った中性的な顔立ち。懐かしいけれど、別に会いたくも無かったその人物の名前を私は不本意ながら覚えています。
「・・・縹さん」
「瑠璃さんって呼んでよ、昔みたいにさ」
美しく微笑むその姿は、アイドルのようでもあり、美術品のようでもあり、儚さとか輝きとか、全てを持っている者のそれ。昔となにも変わらない美しさが、その人物の捻くれた性格も変わっていないのだと思わせ、私の心の奥底に燻ぶった嫌悪感を蘇らせるのです。
「いいよね。君達は当たり能力だからさ、自分が活躍できる場所がある。ヒーローなんて世間からあぶれた生き物なのに、やっと手に入れた居場所にすら居場所がない・・・なんて可哀そうなコトないじゃん?」
神秘的な美青年のような外見ですが彼女が陰湿な性格をしているのは、選ばれた能力が物語っていることでしょう。その微笑みは性根の悪さと本人の危険性を知っている者ですら思わず見惚れさせてしまう程のヒーローきっての美形。かつて私もこの人の美しさに憧れ、そして嫉妬した時がありましたが、既に忘れていた存在です。
しかし彼女は元ヒーロー。何故今更・・・。
「精神感応系っていうの? そういう能力ってさ、少年漫画とかではそこそこ凶悪で邪悪でインパクトあるボスの能力じゃん。トラウマ回とか言われるタイプの。ラスボスとまではいかなくても相当強キャラ感あると思うんだよ。だけどさ、現実では全然役に立たないんだよね。他のヒーローに比べて制約は多いしさ、人数とか動かせる感情の範囲とか。戦う相手が悪の秘密結社だったら使い道はあったんだろうけど、台風にも地震にも意思はないから意味ないよね。災害を説得して改心させられたら最高にヒーローだったのに。せめて心の声が聞こえるとかなら生き埋めにされた人を見つける事ができるけどそういうおまけも無い」
飄々とした語り口調。微塵も思っていないような不幸自慢。ただそこに立っているだけで全ての人間に愛されてしまうような生き方をして、多くの女性を悩ましてきた彼女の言いたいことが私にはわかりません。
「な、何を言っているのですか。ヒーローを辞めた貴女が今更考えるべきことではないでしょう」
お互いスーツ無しの状態で会話をするなんて想像もしていなかった、私は緊張で強張るのを強引に隠していつも通りを装う。
「ボクにできるのはせいぜい銀行強盗を辞めさせるだけ。でも、どれだけ人質がいようと目に見えない速さで跳んできて犯人を的確にぶっ飛ばせる仲間がいるならボクいらないよね」
私の言葉なんて気に求めず、ただ自分が話したいだけ話す。親しくも無かった私の顔を見に来るとも思えない、一体何故ここに・・・?
「ずっと思っていたんだよね。目の前の人間の心をちょっと動かせるだけの能力に・・・なんの意味があるのかなって」
深海のような瞳が、一瞬妖艶に鈍く輝く。その言葉にある含みを見せびらかすように。
ぞわり、と背筋が凍る。そうだ、此奴の能力は。
「・・・空さんっ!」
性根の悪さと危険性。私は彼女の能力を思い出し慌てて空さんの方を振り返る。
「この人と話しては駄目ですっ!!」
空虚な瞳で何もない場所を見る空さんを見て、私はまた何かに出遅れたのだと悟りました。
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