第96話 桃と試着室
「先輩の夏休みっていつからですかー?」
「あ、えと、うちの大学は八月から」
「大学生って九月の中頃くらいまで夏休みなんですよねー、いいなぁ」
「うちは・・・十九日とかその辺までだったかな」
「そういえばさっき、中学生くらいのカップルがいましたね! 可愛かったー」
「あぁ、そうかもね」
カーテン越しのぎこちない空返事。刺繍レースの襟が可愛いブラウスのボタンをひとつふたつと外しながら、先輩の落ち着かない反応に緊張を電波させている自分がいる。
お昼食べて直ぐに来るのは失敗だったかな、と上から見下ろした自分のお腹を見て思う。
いや、大丈夫。こういう日がいつ来てもいいようにちゃんとスタイル維持してたわけだし。ちょっとデザート食べ過ぎたくらいで桃の完璧さに狂いはないよね。
試着室の中で一人百面相する桃が手に取ったのは、白とピンクで甘めなデザインのビキニ。さりげない花柄のオフショルタイプでボリュームのあるフリルが胸回りの淋しさを誤魔化せるし、カバースカートのレースがとっても可愛い。露出も少な目で多分桃に似合うやつ。
困惑しまくる先輩を無理矢理引っ張って訪れた水着専門ショップ。女子高生が買うにはほんの少しお高めだけどヒーローのお給料あるし、専門店だけあって滅茶苦茶可愛いんだよね。デザインの選択肢が豊富で王道の可愛いを持ちながらもちょっと個性を出したい桃にはぴったし。
中学時代の桃は大型ショッピングセンターのレディース売り場に期間限定で設置された水着売り場から一着えらんで、お母さんに買ってもらっていた。可愛いけどどこか物足りない水着を抱いて、いつかはお洒落でセクシーな水着を着て彼氏とプールに行きたいって憧れてたもんなぁ。
セクシーなのはちょっとまだ色々足りないから無理だけど、今年は夢が叶いそう。
「・・・えっと、桃?」
独りで考え事をしていたせいで会話が止まり、居心地の悪さを感じた先輩が声をかけてくる。
「なんですかー?」
「ま、まだかかりそうか?」
「もうちょっとですー。暇だったら店の中見ててもいいですよー」
「!? や、いや。いいよ、全然待ってる」
女子の水着に囲まれた空間で黙って立っている気まずさに耐えられなくなっちゃったんだろうなぁ。
「・・・・・・」
あらら、また無言になっちゃった。今頃真っ赤になって店員さんの方チラチラ見たりしてるのかな?
先輩が桃に振り回されて、桃の事で頭いっぱいになってくれるの嬉しいな。もっと桃に夢中になって欲しい。
「あの、桃。やっぱ俺店の外で待ってるから桃はゆっくり試着してて・・・」
「着替え終わりましたーっ」
ひょこ、と試着室のカーテンから顔だけ出してみると先輩は期待したような安心したような変な顔で「お、おう」みたいな返事をした。
「見たいですかー?」
ひらひら、とカーテンを揺らす。先輩は視線をぐぐぐぐっと明後日の方向にそらしたり桃の方を見たりして、やっぱり変な顔をしていた。
「・・・・・・まぁ。それはそうだろ」
「あはっ、正直な先輩かわいー」
頬を指先でポリポリかいて、わかりやすく赤くなる先輩。期待に満ちた熱い視線が桃の方へ注がれるのをひしひしと感じて、同時に桃の胸の奥も熱くなった。他の男からこんな風に見られたら不快感100%だけど、不思議な事に先輩から受ける桃への期待感にはドキドキする。なんか、先輩と一緒にいるだけで自分が恋してるんだなーって事を毎秒自覚させられている気がするなぁ。
「も、桃が言わせたんじゃないか」
怒っているように見せながら全然怒ってない先輩。うぅん、なんて可愛いんだろう。何しててもキュンとしちゃうけど、ここは冷静に桃の方から攻めていかないとね。桃ばっかしメロメロなのは寂しいし、最高に可愛い水着で先輩をドキッとさせないと。
「そっかそっか、先輩は桃の水着に興味あるんだ」
「仕方ないだろ」
否定しなかった! 嬉しいな、えへへ。
「じゃあ、どーぞ?」
カーテンを半分くらい開けて一歩後ろに後退る。調子に乗ってくるりと一周してみたりして。自分がちょっとハイになってるのがわかって照れちゃう。
「ど、どうかな?」
緊張で表情がこわばってしまうのと、今のシチュエーションににやけてしまう気持ちを抑えながら先輩に見せつける。鏡で見る分には悪くないカンジだと思ったんだけど。先輩の眼にはどんなふうに映ってるんだろう。
「・・・・・・っ!」
先輩は桃の全身を視界にとらえた・・・筈なのに、黙ってしまった。
「・・・?」
あ、あれ。なんで何も言ってくれないの?
おかしいな、先輩桃の水着見たいって言ったのに。それともこういう可愛いのは好みじゃなかった? 身近に鶯さんや竜胆博士みたいな大人の女性がいるから下手にセクシーさをアピールしても空しくなるだけだと思って選んだけど、可愛い系の水着は期待外れだったのかな。
まだ一着目、一着目だし次はもっと男の人ウケするやつにしなきゃ・・・と、桃が心の中でどうしたらミスを取り戻せるか悩んでいると、周回遅れで先輩の感想がとんできた。
「・・・・・・か、可愛い」
「は、はいっ」
わわっ、間違えて咄嗟に返事しちゃった。
「え?」
い、いま可愛いって言ってくれたよね。聞き間違いじゃないよね?
「悪い、ちゃんと褒められなくて。語彙ないな俺・・・その、なんていうか。やばい」
その言葉で察しちゃう。直ぐに言葉が出なくて黙っちゃってたんだ!
や、やばいんだぁ。桃の可愛さヤバいんだ。にへへへ。一瞬かたまっちゃうくらい桃は可愛いんだ!
「ああぁぁあ・・・まずいな、なんか。桃ってこんな可愛かったっけ?」
「えぇ、な、なんですかソレ。失礼ジャナイデスカー」
先輩が崩れ落ちてる! 桃が可愛すぎて崩れ落ちそうになってる!! 桃の表情筋も崩れそう!!
「いやいや、ごめん。そういう意味じゃなくて。なんだろ・・・・・・俺、よく今まで桃のこと普通に直視できてたなって思って」
手のひらで雑に口元を隠した先輩が真っ赤な顔で何度も視線をいったりきたり。
動揺してくれてるんだ。え、やば。嘘でしょ。そんなに? そんなに可愛いの?
「た、多分だけど、こんな可愛い子プールに連れてったら全員魅了されてマズい事になるんじゃないか?」
地震! じゃなくて、心臓がぎゃんって跳ねた。実はこの店入った時からずっと大暴れしてたけど今は大災害かってくらいに暴れてる。え、マジで、先輩めっちゃ顔赤い、うそ、可愛い、好き、嬉しい、そんなになってくれるんだ。やばい。魅了ってなに、変な事言ってるじゃん、桃が可愛すぎて先輩おかしくなってるじゃん。好き。
「た、例えば彼女持ちの男とかが全員桃の事好きになって修羅場になったり・・・」
まだその可笑しい話続けちゃうの先輩!?
先輩めっちゃ桃の事可愛いって思ってくれてる! どうしよう嬉しい!!
「あれ、何言ってるんだ俺」
「そ、そうですよー。いくら桃が可愛いからってそんな大げさです」
冷静になれないや。水着姿で攻めてからかうつもりが、なんかこっちまで赤くなってきちゃった。先輩が桃の可愛さに動揺している今がチャンスなんだから、ちゃんと先輩を翻弄しないと!
「・・・・・・別に、大袈裟じゃないけど。それくらい桃は可愛いだろ、実際」
ああああぁぁぁぁもうっ! 馬鹿! なんでそんなこと言うの!
先輩どうしちゃったの、攻め過ぎじゃない? なんでそんな素直なの? 何かさっきから心臓が動いちゃいけない位置まで動いてる気がするんだけど! このままじゃ桃死んじゃうんじゃないの!?
「とっ、とととととにかく! 先輩がこの水着気に入ってくれたのはわかりました! も、もうこれに決めちゃおうかな! そうします!! うん、そうしよう!!」
本当はいろんな水着楽しみたかったし先輩の反応見たり好みを知ったりしたかったけど、もう無理、予定変更。これ買う。こんな褒められたらこれ買うしかない。
ていうかこれ以上褒められたら桃がもたない。水着効果凄すぎる。普段褒めない先輩にここまで言わせちゃうなんて恐ろしい。世界中の彼女さんは水着買いに行った方がいいと思う。ていうか先に一緒に買ってきてよかった。プールでお披露目したら熱出過ぎて死んじゃってたと思う。
「というわけで試着タイム終了です!!!」
「えっ」
閉店ですと強制終了するために桃がカーテンに手をかけると先輩の残念そうな声に引き留められてしまった。
「なんていうか、想像以上に可愛かったから、桃さえ嫌でなかったら。ほ、他のも見たいんだけど・・・駄目か?」
「駄目じゃないですっ!!!」
その後5回程試着をして、全部買いたくなった桃を先輩が止めてくれた。
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