第94話 向日葵と夏の空
お財布に優しそうなイタリアンレストラン前で話し合うお兄ちゃんの姿を、直ぐに見つけることが出来た。
「ランチセットに+200円でデザートだって」
「えー。桃そんなにお腹空いてないなぁ」
「そりゃ、あんなにポップコーン食べてたらそうだろう。途中そっちの分少なくなってひっくり返してたのバレてるからな?」
「えぇっ? ソンナコトシテナイデスヨー」
「いや、味が急にキャラメルになったら気付くから」
「しょっぱいのが食べたかったの」
「にしても食べ過ぎだ」
「うーん、でもこの花丸牧場のカタラーナは美味しそうですよねぇ」
「またキャラメル? じゃあピザ半分にしてデザート個別で頼むか」
「そうする! 先輩ナイスアイデアですねっ」
やっと聞こえた二人の会話はあまりに自然で、どう見ても普通の恋人同士のものだ。普通の恋人についてよく知らないけど。でも、「自然」という言葉が不自然なほどに似合う二人だった。
あまりにありきたりな二人の姿に僕の喉は一瞬だけ収縮したけれど、大きく息を吸って呼び止めた。今度は聞き逃されないようにしっかりと。
「空お兄ちゃん!!」
「「!?」」
レストラン前に置かれたメニューから僕へ、二人の視線が動く。大きな声を出し過ぎたせいか、近くを歩いていた他のお客さんたちも一度僕の方を見ていたが、直ぐに興味を失って進行方向へと歩き出した。
「・・・・・・向日葵? どうしてここに」
「向日葵ちゃん、まさか」
石竹桃の「まさか」で何かに気付いたお兄ちゃんは直ぐさま自分のスマホを取り出した。起動したのは多分、『僕を監視してもらう為の位置情報アプリ』。
「え、先輩なにそれ・・・」
スマホの画面を覗き込んだ石竹桃が顔を青ざめさせる。
「向日葵専用の位置情報監視アプリ」
あのアプリはとっても優秀で、48時間分の僕の移動情報が自動的に保存されている筈だ。緊急事態以外は使わないとお兄ちゃんは言っていたけど、今はお兄ちゃん達にとって緊急事態みたい。
「ごめんなさい。朝からずっと、後をつけてきた」
誤魔化す事は不可能だし、隠すつもりも無かった。
「な、なんでそんなことを・・・」
「私達を尾行してたっていうの?」
「ごめんなさい」
嫌悪より困惑に近い様子で僕の出方を伺うお兄ちゃん達。僕は二人の疑問に答えるように早口で進めた。
「邪魔してごめんなさい。でも、どうしても知りたかったんだ」
僕が一歩、二歩と進むと石竹桃は少し怯えた様子でお兄ちゃんの背中に隠れた。自分の方がずっと強いくせに、もし僕が逆上して二人を襲おうとしていたらどうするつもりなのだろう。そんな風に背後で震えているだけじゃいざという時お兄ちゃんを守れない。僕なら誰が相手でもお兄ちゃんの命を最優先にするのに。
もちろん、僕は襲ったりはしない。どれだけの事をされたとしてもお兄ちゃんに指一本触れる気は無い。
「二人が本当に付き合っているのか、いつから好き合うようになったのか。気になって気になって仕方なかった・・・だって、いきなりすぎるじゃん。僕、頭が追い付かなかったんだ。どうしてもお兄ちゃんの口からちゃんと説明して欲しかった」
「説明って、そんな俺は・・・」
無意識に握りしめた拳。手のひらの真ん中に突き刺さった自分の爪。
「わかってる。ごめんなさい。僕はいま変なことしてる。悪い子だと思う。いけないことしてる。迷惑かけてる。でも、どうしてもちゃんと知りたかったの。それ以外に、僕はこのモヤモヤをどうにかする方法が思いつかなかった」
お兄ちゃんの求めるいい子の向日葵は、朝の会話だけで全て納得して二人の前から消える物分かりのいい妹。でも、僕はそうはいられなかった。納得できる言葉を貰えないと僕は自分がおかしくなりそうで、自分で自分を制御できなくなる気がした。
「諦められない。納得できない。何が起こってるのか僕にはわかんない」
「向日葵、何を言って・・・」
「だ、だって。僕。お兄ちゃんが急にいなくなって、だって。どうしたらいいのって」
咄嗟に眼を瞑る。目玉の奥の方がじわりと熱を帯びて、滲み出た水が瞼をこじ開けようとし始めた。ずず、と僕は鼻音を立てながらもっと大きな声で言った。
「教えて。お兄ちゃんは・・・本当に、その子の事が好きなの?」
言葉と気持ちと同時に決壊するように溢れ出す。ぼやぼやと湿った視界の向こうでお兄ちゃんは酷く困った顔をしている気がした。ごめんなさい。困らせたくなかった筈なのに。こんなカオをさせたくなかったのに。
「・・・向日葵」
お兄ちゃんは石竹桃の元を離れて僕の傍に寄って来た。ふわり、とお兄ちゃんの柔らかくて落ち着く香りが漂うと僕の心臓は生き返ったように暴れ出した。近くにいるだけで、これから嫌な事が起こるのはわかりきっているのに身体が嬉しくなってしまう。
「お兄ちゃ・・・」
「今朝はごめん。ちゃんと説明してやれなくて」
優しくて、少し甘ったるい声が僕の耳元で囁かれる。
「俺に彼女が出来て、急に突き放された気持ちになって、淋しかった・・・のかな」
僕は黙って頷いた。
「辛い思いさせてごめん。俺が曖昧な態度とったせいで混乱しちゃったんだよな。浮かれてちゃんと向日葵の事見てやれなかった。びっくりさせたよな本当にごめん」
謝って欲しく無かったけど、僕はもう一度頷いた。
「向日葵、ちゃんと聞いてくれるか?」
あぁ、嫌だな。と、自分から聞いたくせに聞きたくないと思ってしまった。
「俺は向日葵の事を嫌いになったわけじゃない。ヒーローとしてこれからも沢山活躍して欲しいと思ってるし、元気に成長して欲しいと思ってるよ」
僕は腕でごしごしと目元を拭い、お兄ちゃんの方をじっと見た。
「でも、俺には俺の大切にしないといけない人がいるんだ・・・できてしまったんだ」
お兄ちゃんは真剣な眼で僕の事を見詰めていてくれて、また胸がぎゅっとしたかと思うと直ぐに視界は涙でぼやけてしまった。
ふやふやにぼやけたお兄ちゃんは、ハッキリと言った。
「ごめん、俺は向日葵だけのお兄ちゃんにはなれない」
言われなくてもわかっていた事を、言わなくても良かった事を、言わせてしまった。その罪悪感で僕の胸はいっぱいになった。
それは僕の中にある、生まれたばかりで外皮の柔らかい恋心みたいなものを潰してしまうような残酷な言葉であり、お兄ちゃんの強い意志をわかりやすく僕に突き刺す為の鉾みたいな言葉だった。
「・・・・・・」
僕が求めていた言葉をくれた。やっぱりお兄ちゃんは僕の事をわかってくれている。思ってくれている。
でも、お兄ちゃんが一番大事にしたいのは僕じゃない。
「・・・そっかぁ」
深呼吸のついでみたいな相槌と、絞り出すようにもう一言付け加える。
「お兄ちゃんは、僕にどうして欲しい?」
いっそのこと、死んでほしいって言ってくれればいいのに。なんて一瞬でも考えたことを伝えてしまえば、お兄ちゃんはどんな風に悲しんでくれるのかな。言わないけど。罪悪感でお兄ちゃんを縛りたくない。
「ぼ、くが。かっこいいヒーローで、げ、げんきで、つよくて、みんなを助け、られたら、今でも・・・嬉しい?」
こんな機会があるなら作り笑いの練習、しておけばよかったな。多分いま、変な顔って思われてる。
「あぁ」
お兄ちゃんは右掌を僕の頭上に持ち上げて、空中で一瞬制止させるとその手を元の位置に戻した。
「・・・うん、わかった」
僕は頭を無防備に見せることはせず、なるべく元気に笑って見せた。
「ありがとう、お兄ちゃん」
デートの邪魔してごめんね、と言いたかったけれどそこまで気丈に振る舞う元気がなかったので僕はそのままペコリとお辞儀をして立ち去った。振り返った先に遠くで立ち尽くしていた常盤鶯が何とも言えない様子だった気がするけど、僕には関係ない。
僕はただ、誰もいない場所を求めて無暗にその場から離れた。
いつから、とか。どうして、とか。そういうこと聞くつもりだったのに、お兄ちゃんを前にしたら、手の届く距離にお兄ちゃんがいる喜びと真実を知る辛さでキモチがぐちゃぐちゃになってしまった。
ただ、それらを問いただす必要もないくらいにお兄ちゃんは親身になって僕に応えてくれた。僕が欲しい言葉だけをくれた。
「本気なんだ・・・本気で好きなんだ」
本気で僕を突き放し、本気で僕に謝ってくれた。それは全て、本気で石竹桃に恋をしてしまったから。まるで他の何も見えていないような、見る事を諦めたような。お兄ちゃんに出会ってからの僕みたいにその人の傍にいる事だけが幸せだと理解しきってるみたいな。
僕にとってのお兄ちゃんみたいな存在のように、彼女のことが大事なんだ。
「それなら、諦めるしかないじゃん」
その人の為なら全てを投げだせる。痛いほどにわかる共感が僕の心臓を締め付けた。僕にとってのお兄ちゃんみたいな大切を、お兄ちゃんが僕に抱いてくれてたらいいのにと、僕と同じこのどうしようもなく大きくてキラキラしたエネルギーに溢れている強い感情を、向ける対象が僕だったら良かったのにと。そんな希望、無駄だったのに。
希望はないけど、僕は知ってる。その感情はあるととても幸せなモノ。
「今度は本当に、幸せなんだね・・・お兄ちゃん」
常盤鶯がお兄ちゃんと付き合っていると聞いた時、僕はそれがお兄ちゃんの幸せなら喜ぶべきだと感じた。あの時と同じ、お兄ちゃんが本気で石竹桃を愛しているなら邪魔な僕は消えるべきだと自信を持って言える。今度こそ本当に、僕はいないほうがいい。
僕は消えるべきなんだ。それが愛なんだ。愛っていうのは相手に傷つけてもらうものでも、傷つけさせるものでも、何かを一方的に求めるものでもない、相手がして欲しい事を沢山すること。
お兄ちゃんが今僕にして欲しい事は、僕がお兄ちゃんの世界の登場人物から消えてフィランスイエローとしてお兄ちゃんの知らないところで一人でも多くの人を救う事。朽葉向日葵を消して、フィランスイエローでいることが僕にできる一番で唯一の愛情表現なんだ。
眼を瞑っても、開いていても、僕のぼやけた世界にはお兄ちゃんの姿が浮かんでしまう。
お兄ちゃんは最後にはっきりと、答えをくれた。僕はやることが決まった。
ご褒美なんていらない、両想いなんていらない、僕はただ、自分の愛をお兄ちゃんに伝える事が出来ればそれで満足できる。おこぼれの愛情も、名前の無い優しさも無くていい。
満足できる。それが僕の幸せ。
「あはは、おなかすいたなぁ・・・」
いつの間にかたどり着いた屋上駐車場、そこからは涙で輪郭が鈍くなった夏の空が見えた。
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