第93話 無謀な覚悟

 まだ、目がチカチカする。頭も少しぼんやり。

「だからテレビを見る時は部屋を明るくしないと駄目なんだね・・・」

 子供の頃よく見た注意書きの意味を知った昼過ぎ、常盤鶯はというと神妙な面持ちで少し前を歩く二人組を監視していた。

「お腹空いたね、お兄ちゃん達ご飯いかないかなぁ」

 お兄ちゃん達はおおきなポップコーンを食べていたけれど僕は常盤鶯に振り回されて結局何も買うことが出来なかった。バターがかかったポップコーンも、シナモンの香りがする細長いパンも食べたかったのに、期待が高まっていた分余計にお腹が空いてしまう。


「・・・・・・」

 別にこの人と仲良くなるつもりはないけれど、僕が一生懸命話しかけているのに無視されるのは嫌だな。返事はしないのに僕の隣を離れないコンタクトの女はというと、時折、映画館で僕が言った一言を噛み締めては苦い顔をする。まさか本当に、二人の元に現れて直接聞くつもりなのかな。

 意地悪のつもりで発した僕の提案は、彼女を想像以上に悩ませているみたいだ。でも、これでよかった。お兄ちゃんの気持ちを再確認したいのは僕も同じなのだから。

「あ、下の階に降りるね。ってそれはそうか」


 映画館は大きなショッピングモールの四階に位置していて、その一階にはレストラン街があるとさっき案内板で見た。3つ分の長いエスカレーターを下りながら、お兄ちゃんは目の前に立つ石竹桃の頭を何度も撫でていた。さらには普段より一層広がった身長差を駆使してのしかかるような形で密着し、そのままゆっくりとレストランのある一階へと降りていく。

「もう、先輩重たいですよー」

 なんて、甲高い石竹桃の嬉しそうな声だけ聞こえたりもした。


 穏やかな表情を浮かべて寄り添い合う二人を見ていると昨日、お兄ちゃんの家に行った時の二人はこんな感じじゃなかった・・・と疑問が浮かんでしまう。石竹桃はお兄ちゃんに少し触れられただけで顔を真っ赤にしたり、どこかぎこちなかったり、二人が付き合っているとは思わなかった。

 でも、僕やお母さんがいたからそう見せていただけかもしれない。または、僕と別れた後に何かあったのかもしれない。石竹桃は結局現場には来なかったし、あり得ないことじゃないと思う。

 どれもこれも、僕の貧弱な恋愛経験値ではまともな憶測すらできない。


 ただ、ここまで後をつけてしまったのは二人の関係が突然変わって、お兄ちゃんの様子が変だという違和感を覚えているからだ。常盤鶯に流されているフリをして陰でコソコソ探っているのは、腑に落ちない何かが僕を邪魔しているからだ。

 だって、あまりに急すぎたから。二人が想い合うのも、僕を突き放すのも。


 でもそれは本当に違和感なのかな?


 無言のエスカレーターが動くようにゆっくりと導かれた新たな疑問は、不愉快にもふよふよと僕の頭の中を広がっていく。

 本当は変な事なんてない。違和感なんて嘘。ただ、お兄ちゃんに彼女が出来たことを認めたくない僕の妄想で、実は何の問題も無いことなのかもしれない。常盤鶯の妄想と同じで、何かこれには理由があって本当はお兄ちゃんは僕の事を愛してくれていると信じたい。いや、思い込みたいだけなのかもしれない。

 初めての映画館に浮かれてみたり、年上のグリーンを利用してみたり、本当は後をつけたくないと何度も自分の中で唱えてみたり、今日の僕の行動は全てお兄ちゃんの身に起こった幸せな事実をはぐらかしたいという気持ちから来るものなのかもしれない。


「ねぇ、常盤鶯」

 それじゃあ、いけない。


「・・・・・・」

 エスカレーターの終点。とん、と着地した後に僕は振り返って尋ねる。


「僕が、聞きに行ってもいい?」

 僕は認められていないんだ。まだ諦められていないんだ。このままではずっと事実から眼を反らしていたら、いつまでも迷惑な感情が残ってしまう。


「二人が本当に付き合っているのか、何か理由があるのか・・・僕、知りたいんだ。納得したいんだ」


 もう一度ちゃんと、お兄ちゃんの口から聞きたい。何かの勘違いだと、理由があると、冗談だったと、そんな都合の良い妄想をもう二度と抱いてしまわないように。僕が自分で答えを知らないといけないんだ。

「一緒に付いてきてもいい、隠れてこのまま後をつけ続けてもいい。ただ、僕は行くよ。こんなことしたって、僕達にとっていい事が起こってくれるわけでもないじゃん」


「・・・本気ですか?」

 やっと口を開いた。映画館と違って周囲には人がたくさんいる。だけど絞り出すような彼女の言葉は僕の耳にしっかりと届いた。

「私が何も知らない妄想癖の女だと思っているのですか? 貴女が口では妹と言いつつ空さんに本気で恋をしている事などわかっていますよ」

 僕を見透かしたと言わんばかりに見せる大人の表情。この人の眼がこんなに薄暗くて深くて、不気味な色をしていたなんて知らなかった。既にこの人は気付いているのかもしれない、僕が振られるために問い詰めに行こうとしている事を。

「僕だって、最近気付いたんだ。初めてなんだ。だから僕にはどうしたらいいかわかんない・・・わかんない事は、お兄ちゃんに答えを出してもらいたい」


 決して臆することなく、僕等は気持ちを通じ合わせた。


「空さんに? それで空さんが本心を言うとは限らない。空さんは、大人は、理由があれば嘘もつく。愛しているフリだってできる。あなたのような子供にはわからないでしょうけど、空さんの表面の言葉だけを捉えてその通りにするのが正しいと本気で思っているんですか?」

「思ってる」

 僕は真っすぐと目を見て答えた。ばちり、と明確に視線がぶつかり合うと僕達の間にある価値観の大きな差異が目視で見えたかのように常盤鶯は怪訝な顔をした。気にせずに僕は続けた。

「それがお兄ちゃんの本心ではないとしても、理由あって僕に嘘をついていたとしても。それはお兄ちゃんが僕の為に出した答えで、僕の為の嘘だ。そんな嘘なら僕は・・・信じないといけない。従わないといけない」

「馬鹿馬鹿しい。妄信的過ぎます」


「それが僕の愛なんだ、それしかないんだ」


 常盤鶯は僕を止めようとはしなかった。

「見失っちゃう、早く行こう」

 人込みを器用に潜り抜けて、僕達はレストラン街へと向かった。

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