第91話 フィランスブルーを尾行せよ

「・・・ねぇ、ここ何?」

 薄暗い照明と対照的にチカチカと眩しく輝きを放つカウンター。そこから漂うキャラメルポップコーンの香り。


「なに、って。映画館ですけど」

「これが映画館・・・」

 僕は、数週間前に殺しかけたヒーロー仲間の常盤鶯と映画館に来てしまったみたいだ。もちろん仲良くお出掛けしに来たわけじゃない。

「あそこに並んでいるポスターみたいなやつはなに?」

「パンフレットがどうかしたんですか・・・って、ちょっと大きい声出さないでください。空さん達に見つかるでしょう」

「ぱんふれっと」

 お兄ちゃんに内緒で後をつけるなんてイケナイと思いつつ、何故か僕は常盤鶯の勢いに逆らえずにここまでついてきてしまった。どうしてこんな事態になったのかよくわからないし、人生で初めて訪れた映画館にどうしてもドキドキして浮足立ってしまう。

「映画館って本当にポップコーンを食べるんだね。あ、なんかかけてる。なんだろあれ」

「バターに決まっているでしょう。そんなにお腹が空いたのなら食べればいいでしょう」

 そう言われると僕のお腹がきゅるると鳴いた。言われてみれば昨日のお昼そうめんを頂いてから何も食べていない。熱中症に注意しなさいとお兄ちゃんに言われたから飲み物だけは飲んでいたけど。

「じゃあ僕あのバターかけるポップコーンと細長いやつを・・・」


「ストップ朽葉さん!」

 カウンターに向かおうとした僕の服がぐいと引っ張られ、常盤鶯のふかふかした身体に吸い込まれた。食べていいって言ったのに。やっぱりこの女嘘吐きだ。

「な、なに」

 嘘吐きが真剣な表情で見つめる先は勿論お兄ちゃんと石竹桃。食べ物を売っているカウンターの隣にあるモニター付き装置の前で何か相談しているようだ。あれは多分、チケットを買う券売機かな。

 僕達が身を潜めた直ぐ隣には特大サイズのポスターが何枚も並んでいた。きっとこれが今やっている映画のラインナップなのだろう。

「空さん達が見る映画を特定しないと。できれば座席も・・・」

「えぇ、中まで追いかけるの?」


 そもそも僕も一緒について行かないといけないのだろうか。初めての映画館、どうせならお兄ちゃんと来たかったな。

 さっき仲良さげな親子が真ん中で区切られた大きなポップコーンを買っていた。二人で食べる用なんだと思う。もしお兄ちゃんと一緒に来てたらあれを半分こしてくれていたのかな。お兄ちゃんが隣にいるならどんな映画だって楽しめちゃうけど、僕は漢字があまり読めないから英語の映画は選ばないでいてくれるといいな。

 ふと、目に入ったのは優しい絵柄のアニメ映画のポスターだった。『ひとりぼっちの少女と不思議な生き物レミィのひと夏の大冒険』と大きく書かれ、小学生か中学生くらいの女の子がウサギみたいな犬みたいなフワフワした生き物を抱いている。


『なんだ、向日葵はこれが見たいのか?』

 な、なんて。

 どうしたんだろう急に。僕、お兄ちゃんと一緒にお出かけする妄想しちゃった。なんか恥ずかしいな。お兄ちゃんの事好きだって気付いたせいで変なこと考えるようになったみたい。


 そんな事考えちゃ駄目だ。今は尾行に集中しないと。別にしなくてもいいけど。

「まずは作品がどれか・・・まぁ、男女が二人で見るものと言えば恋愛映画に決まっていますからね。丁度今話題の作品があるのでそちらでしょう。少女漫画原作で朝ドラ女優が素敵な演技をしていると話題になっていましたし」

「ふーん」

 常盤鶯が指さしたのは制服を着た男女がライバルみたいに背中合わせにしているポスター。でもバトルするんじゃなくてこの二人はくっつくらしい。よくわかんないし、あんまり興味ないなぁ。

「・・・それにしても空さん、私があの映画見たいって知っている筈ですのに何故他の女と見に行くのでしょうか。もしかして本命もとい本妻の私と見た時に気まずいシーンが無いか確認のために下調べをしようと考えているのかしら。私が楽しみにしているからつまらない作品だったら私を悲しませると思ってわざわざ? もしそうだとしたらその心遣いは空さんらしい優しさですが私には逆効果です。だってどんなシーンがあろうと、どれだけ原作を踏みにじるような駄作だったとしても空さんと初めてを共有できたというそれだけで私の中では最高の作品になるのですから」

 うん、それはわかる。

「ですが、旦那の間違い数度限りは許すのが良き妻です。ここは同じ回を同じ映画館で見ることが出来るということで妥協致しましょう。十一時からの回がありますね、二人の声が聞ければ座席の位置までわかるのですが・・・」


「声が聞きたいの?」

 なんだ、そんなことだったんだ。

「電車の中は難しいけど、ここなら静かだから多分大丈夫だよ」

 そう言って僕はTシャツの下に着込んだヒーロースーツを見せた。

 ヒーロースーツが僕達に付与するのは単なる腕力だけじゃない、身体能力全般の向上だ。個人差はあるみたいだけど視覚や聴覚も充分に強化されるので雑音の少ない場所で会話を聞き取る程度ならできるだろう。

「こんな時にまでスーツを着ているなんて、子供のくせにワーカホリックが過ぎると思いますよ。まぁ、今回に限っては非常に都合が良いのですけど。さっそくお願いしますね」

「別に僕はヒーローでしかないんだから、常にヒーローでいるしかないんだもん」


 目をつぶって、感覚を研ぎ澄ます。この距離だとちゃんと集中しないと言葉を正確に聞き取れないので、身体の隅々まで緊張させて聴覚だけに意識を向ける。この力は本来災害現場等でより多くの人のSOSを聞くために培われたもの。僅かな綻びを見逃さず、たった一人も取り残さない為の正義の力。


『向日葵、本当にそれはヒーローの仕事のなのか?』


 聞こえる筈のない答えに僕の意識は一瞬にして自分自身に引き戻された。

「何か聞こえましたか?」

「・・・・・・いや」

 僕は今、やってはいけないことをやろうとしたんじゃないか?

「ごめん、やっぱり上手く聞こえなかった。僕、こっち方面は適正薄いみたい」


 さっき聞こえたお兄ちゃんの声は、多分現実のものじゃない。さっきと同じ、僕の妄想のお兄ちゃんが勝手に喋っていただけだ。それなのに、今の言葉はやけに僕の胸を突いた。本当にお兄ちゃんが今の僕を見たらそう言う気がしたんだ。

 お兄ちゃんはヒーローが好き。そして僕は正義のヒーローフィランスイエロー。そんなヒーローが自分の私利私欲のために力を使ったりしたらきっとお兄ちゃんは幻滅する。

 そんなこと、僕には出来ない。僕の力はお兄ちゃんの為に使わなくてはいけないのに、お兄ちゃんを騙す為に使うなんてそれこそ本当の裏切りだ。


 今だってお兄ちゃんの後をこっそり追いかけるなんて本当はやめたい。でも辞めたい気持ちと気になって不安で真相を知りたい気持ちがごちゃ混ぜになって常盤鶯に流されてしまう。いっそのこと、全部バレて失敗してしまった方がいいのに。

「諦めるしかないんじゃないかな」

 それとなく促してみる。このまま帰るのが一番僕達にとって幸せな気がしたから。

「残念ですが仕方ないですね。ですが諦める必要はありません、とりあえず座席は諦めて恋愛映画の11時の回だけ購入を・・・」

 土砂災害の時はあんなに簡単に諦めていたのに、お兄ちゃんへの愛は偽物でも執着は本物なのか意地になっている。このまま僕だけ帰ることも出来ず戸惑っていると、券売機から離れる途中の元気な声が自然と耳に入って来た。


「せんぱーい、デスピンクのモノマネしてくださいよー」

「こんな場所で出来ないから! ていうか何故ピンク・・・」


 あぶない、こっちに来る!

 僕達は咄嗟に案内板の裏側に身を潜めた。


「えー? だって先輩にはいついかなる時でもピンク推しであって欲しいんですよー?」

「無茶言うなって。それに、俺が推すピンクは一人だけって決めてるから」

「えっ、そそ、それって・・・えへへぇ」

 チケットを手にしたお兄ちゃんと石竹桃はそのままデレデレとしながらキャラメルポップコーンの香り漂うカウンターへと向かっている。

「で、でもビックリですね。先輩と桃、見たい映画が同じだなんて」

「ヒーローブームに乗っかってるとか食傷気味だとか言われてるけど、やっぱフィクションの戦隊シリーズも好きなんだよな。大学生にもなって子供っぽいだろ?」

「桃だって見たかったので子供なのはお互い様ですね?」

「いや、桃は高校生だし・・・」


 お兄ちゃんの腕には相変わらず石竹桃が引っ付いている。それを嫌がったり困ったりする素振を一切せずに時折長いピンク色の髪を撫でたりしながら談笑しつつ歩くお兄ちゃん。多分誰が見ても仲良しの恋人同士だ。


「な、なななんですかあれはっ!」

 隣を見ると、いい加減都合の良い解釈が出来なくなったらしい常盤鶯が顔を青みたいな赤みたいな変な色にさせていた。

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