第90話 暴走列車フィランスグリーン


 聞き間違いかも、と思って僕は耳を澄ませ、気になる方へと顔を向けてみた。


「私、心から愛している人がいるんです。他の男性と会話をしてその人に捧げる私の一部が穢れては申し訳ないので、用がないなら話しかけないで下さい」


 胸辺りまで下ろした長い髪と、眼鏡が無いせいで少し違和感のある目元。客観的に見れば魅力的な顔とスタイルにつられて声をかけた二人組の男の人が困惑する程の奇妙な返事。

「まさか私がずっとここに立っているから待ち惚けを受けていると思っています? そんな筈ありませんのでご心配なく。私の彼はとっても優しくて私の事をそれはそれは愛してくれているので。ですから私が殿方とお喋りをしていたと知っては彼の胸が不安で張り裂けてしまうかもしれません、ご理解いただけましたら何処かへ行っていただけますか?」

 男の人達は雑に扱われた怒りよりも話の通じない相手への恐怖が勝ったのか、苦笑いしながら後退って、そのまま何処かへ行ってしまった。


「全く、私が空さん以外の男性を相手にするわけがないのに・・・」

「常盤鶯」

 やっと一人になったところで、僕は彼女に声をかけた。正直気まずくて話したくない相手だったけど、ここにいるという事はお兄ちゃんと石竹桃の事を何か知っているかもしれない。

「ひぃっ!」

 ずざざ、と勢いよく後退る。

「く、朽葉さん」

 青ざめた表情で眼鏡を上げる動作を何度も繰り返すものだから動揺しているのが僕にだってわかる。当たり前だ。だってこの人は僕に殺されかけたのだから。この人に謝らなくてはいけないという『常識』を僕は知っているし、僕だってやり過ぎたと思っている。でもどうやって話したらいいのかわからない。

「い、いえ。失礼致しました・・・急に声をかけられて驚いただけです」

 嘘だ。さっき知らない男の人に話しかけられた時は平然としていた。それだけ僕を警戒しているんだ。


「えっと」

 知りたい事、聞きたいことはある。けど常盤鶯と協力するために僕はまずするべきことがある。

「あの時は、たくさん無理させて・・・その、もうしないから、ごめんなさい」

 素直に口に出してから思ったのは、こんな風に謝るのは初めてかもしれないということ。

 僕は今、いろんな人がやっている打算的なごめんなさいをしている。仲直りの儀式というか、許してもらう為というか、キモチだけじゃない奴。今までした事なかったし、どういうものかよくわかっていなかったけど、ついさっきお兄ちゃんに同じようなごめんなさいを貰ったばかりだからか、僕にも初めて出来た気がする。

「・・・・・・」

 お兄ちゃんや、偽物の家族に謝っている時はもっと身体が震えていた。許してもらえなかったらどうしようという気持ちが全身を満たして、指先が冷え切って、何かで自分を傷つけていないと落ち着かないようなひたすらの恐怖。

 それと比べて今の僕は落ち着いて頭を下げている、常盤鶯が無言なのに怖いとは感じないし、もし許せないと言われても仕方ないと思える。そうか、みんなはこうやっていろんな人と繋がっていたのか。いなくても仕方ないと思えるような関係、僕には理解できないな。


「貴女の事は恐ろしいです・・・が、結果として私は空さんにプロポーズしてもらえました」

 穏やか、というより遠くを見て惚けているような声色に僕は驚いて顔を上げた。

「あの日、私は死を覚悟しました。貴女という悍ましい強敵に怯え、命の灯を失いかけた・・・」

 見上げた先には恍惚とした表情で物思いにふける常盤鶯。僕に対する恐怖も怒りも、そこにはなかった。


「ですがそんな私をこの世に呼び戻してくれたのは他でもない私の旦那様! 世界一素敵な私の空さん。そう、つまりあの夜の出来事は私と空さんが結ばれる為の大きな障害の一つだったのです! 私達は陰ながら世界を救うヒーロー・・・これは簡単な恋ではない。ましてや空さんはあの悪しきヒーロー蘇芳さんに想いを寄せられている。強大な力そして権力、私達は愛の力でそれに立ち向かう必要があるのです! そして朽葉さんもその愛の障害の一つに過ぎない。決して結ばれることが許されない二人の踏み出せない想い、空さんの一歩を後押しするための必要な危機。貴女という一つの障害を越えて私達夫婦は真実の愛へと一歩近づいたのです。もちろん貴女は恐ろしい、再び脅威として私達の目の前に現れる可能性だってあります。ですが私は確信している、誰が何度現れて二人の愛を試そうとも私の空さんへの愛は不変であり、空さんが私を愛すると言う結末に変わりはない、揺らいで傷ついた分だけ私達の絆はより深まるのです。ですから謝罪の必要はありません。可能ならば私達の仲を祝福する天使の一人になっていただけるとありがたいですが、まだ子供の朽葉さんにそのような割り切りは難しいでしょう。いずれ私達は地球上全ての人に認められるような愛し合う夫婦となりますから、貴方の事はそれまでの砂利道の一つとしか思っていませんよ」


 高らかに砂利宣言されたことで、僕の頭からはなんか色々と跳んで行ってしまった。数秒前まで僕に対して怯え切っていた筈なのに、どこでスイッチが入ってしまったのか今はただの夢見る少女だ。

「ですが、私としても痛い思いはしたくないのでもうしないと言っていただけるのはとてもありがたいです。入院期間も大したことなかったですし、後遺症もありません。ここは丸く収めましょう」

「あ、うん。ありがと・・・」


 つまりはこの人、僕が怒りに任せて行った行為をお兄ちゃんとのラブストーリーの一幕としか考えていないってこと?

 わけがわからない、お兄ちゃんが僕の為に頑張ってくれていなかったら死んでいたのに。それに、この人にとってはそうでも実際お兄ちゃんは別に常盤鶯を愛してない。プロポーズが偽りだったと知ったらどうなってしまうんだろうか。

 僕の世界にはお兄ちゃんしかいないし、他の誰かの事を心配する暇なんて一切ないけれど。同じ相手を想う共通点がある常盤鶯がここまで理解できない事に心がちょっとだけ乱される。きっと僕が世間知らずだからこの人の言っていることがわからないだけなのだろうけど、この人を見ていても世間を知るキッカケにならなそうなのは何故だろう。


「それに、今は朽葉さんに気を取られている場合ではありませんからね」

「へ?」

 そう言うと常盤鶯は僕の手首をつかみ改札の方へ向かった。反対の手でスマホを見ている。

「貴女も見ていたのでしょう? 空さんがあの汚らしい泥棒猫に誘惑されて何処かに出かけてしまいました、私に内緒で他の女性と任務外に行動しないでとあれだけお願いしているのに。空さんは私との約束を破るような男性ではありません、つまりあの女が卑しい手を使って空さんを連れ出したに違いありません」

「え、うぅん。でも・・・」

 お兄ちゃんは石竹桃と交際しているって言ってたんだよなぁ。あまりにも急な話過ぎるし、僕との約束を忘れてしまうなんてお兄ちゃんらしく無いとは思うけど、お兄ちゃんがそう言った以上僕はそれを疑ってはいけないし・・・。


「二人が乗った電車が出発してしまいます。見つからないようについて行きましょう」

「え、追いかけるの!?」


 流されるがまま改札を通り、僕達はホームに降りるエスカレーターから少し遠い車両に飛び乗った。

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