第86話 フィランスブルーは堕ちていく
夏の夜は日差しが無い分湿気が気になる、刺すような暑さの日中と違って纏わりつくような熱を感じる。安全を名目に大半の遊具が取っ払われ、ほぼ空き地に近くなった公園に淋しく残されたベンチに座ると、隣にはジャージ姿の王子様。夜の公園というのはこの年になってもどこか非日常感がある。ドラマだったら何かが始まりそうなシチュエーションだが、俺は何故こんな事になっているのかと頭を悩ませるばかりだ。
「お兄さん、飲める人?」
大量に買い込んだビニール袋からチューハイとビールの缶を取り出して見せつけてくる。
「いや、まだなんで」
「あ、そうなんだ。ごめんね」
にへら、と笑うだけでスマホの広告で見る女性向け恋愛ゲームのイラストみたいに様になる。黒ジャージに缶ビールなのに。
というかコイツ、年下と認識した途端敬語消えるタイプか。
なんでついてきちゃったんだろう、俺。と既に後悔しながら相手の動きを伺う事しかできない。
「大学生だよね、えーっと?」
「浅葱です」
「浅葱君は、一年生?」
「そうですね」
我ながら不愛想だとは思うが、俺はこの手の初対面でぐいぐい来る奴が苦手なんだ。可愛い女の子だったら「俺に気があるのかな?」なんて浮かれる可能性もあるが、男が急に寄って来ると真意が読めなくてなんだか怖い。
「この前一緒にいた子、もっと幼く見えたけど・・・もしかして、高校生の彼女とか?」
桃のことだろうな、なんで客の事そんなに詳しく覚えているんだと思ったが行列に並んだ上に金だけ払ってさらに女を残して何も食べずに退店した変な客なら記憶に残るか。
「彼女じゃないですよ、高校の後輩」
「・・・ふーん、部活の?」
「いや、卒業してから・・・って、なんで初対面の人にそんな事聞かれないといけないんですか」
その見た目のせいで他人からあまり嫌悪されずに生きてきたのか、距離の詰め方が雑だな。
「ごめんごめん、実はボク、あれから浅葱君の事が気になってて・・・だから今日偶然出会えて舞い上がっちゃったんだ」
「はぁ!?」
そ、それってもしかして。
「あはは、違う違う。そういう意味じゃないよ。ほら、変なお客さんだからって意味ね。何かすっごい訳がありそうで、もしかしてボクは彼の中で繰り広げられた壮大なドラマの登場人物の一人になったのかなー、なんて妄想してたんだ」
「な、なるほど」
「で、実際どうなの? キミはドラマの主人公だったりするの?」
確かにすっごい訳はあったし、正体を隠したヒーローなんて普通の人からすればフィクションの世界だ。
「残念ながらそういうのでは無いですよ。ちょっとバイト先に大きなトラブルがあっただけです」
広義の意味で嘘はついていない。俺の本分は大学生だからヒーローはバイト、と言えなくもないからな。それに俺の物語は確かに壮大だが、主人公は俺じゃなくて、彼女達だ。
「ふーん。バイト先ねぇ・・・どんなバイトなの?」
「それは・・・」
駐車場の整備員です、という俺の言葉は俺自身の喉に飲み込まれた。
「・・・あれ?」
「もしかしてあの可愛い後輩も、バイト先の知り合い?」
身体に違和感を覚え、眩しくて眼を反らしていた整った顔に視線が誘導される。
「そ、そうです・・・あ、いや、そうじゃなくって」
すると、コンビニで見た時は海みたいで綺麗だなとしか感じなかった青い瞳に、今度は宇宙みたいな不気味な深淵を感じた。じっと見ていると、悪い意味で吸い込まれそうというか、寧ろ呑まれそうな混沌とした色で、眼を反らしたいのに影を踏まれたように俺の視線は動かなくなった。
「さっきは彼女じゃないって言ったけどさ、本当はあの子の事好きなんじゃないの?」
じっと見つめられたまま、俺の脳内は徐々に濃霧に沈んでいく。モヤモヤになって、一寸先が見えないような、でも見たくない部分だけクッキリと無理矢理見せられているような。
「・・・桃は」
何かがおかしい。
立ち上がらないとダメだ、眼を反らさないとダメだ、逃げないとダメだ。数か月の非日常で俺が得た危険信号みたいなものが全身で警鐘を鳴らす。
「桃ちゃんか、可愛い子だよね」
青年が不気味な程に美しく微笑む。そこに強い神性と、懐かしさと、恐ろしさと、あとこの人どこかで見たことある気がするというモヤっとした記憶と。
「あぁ、そうだ」
とか、全部置き去りにしてしまっていいんじゃないだろうか。俺は無意識に口を開いた。
「桃は可愛い。さっきだってそうだ、なんか、いつもと違って」
そうだ、そんな事、考えている場合じゃない。
「へぇ? いつもと違うって、どんな風に?」
あれ、そんな事ってなんだっけ。
「余裕がないというか、不安そうに見えた。いつもは堂々としていて、自分が主役だって理解して、俺を翻弄してくるのに」
「・・・へぇ、不安。でもそれが可愛いの?」
「そう。可愛い。というか魅力的に見えた、今日は特別に。今まで可愛いのは嘘じゃない。だけど、今日は初めて・・・本当に本気でそう思った。客観的なヤツじゃなくて『俺が』そう思った。人間らしい、ともいえる。多分、それまでと違って、ちゃんと俺の事を見ていたからなのかな、とか自意識過剰か。目は合わなかったけど、なんだか見られていると感じた」
何かを『確認』するために両手で大事に握っていた四角いモノが、手のひらをすり抜けてボトリと地面に落ちた。
「別に女の子が苦しんでる姿が好きなわけじゃない。けど何かに悩んでいる桃が何故か凄く可愛く見えた。もしかしたら、俺が本当に守らないといけないのは桃なのかもしれない。放っておいても大丈夫だって、甘えて、普通に接していたけど、本当に一番苦しんでいるのは桃だったのかもしれない。ただ強がるのが上手だっただけで、俺が鈍感過ぎただけなのかもしれない」
「守る? 浅葱君みたいなただの人間が?」
「・・・そうだ。そうだな。違う。守るなんて、みんなを平等に大事にするなんて俺の思い上がりだ。おだてられて調子に乗っていた。自分が特別な人間になったのかと勘違いしていただけだ。守るとか平和の為とか、そういうんじゃないんだよ」
「そう。キミは普通の人だ。普通の人間なら、普通に恋をするのも普通だよ」
「普通」
桃はきっと、普通を捨てがたいから周囲に溶け込む努力をしているのかな。普通。普通ってなんだ。どうやったら手に入る。どうやったらあげられる。
「浅葱君もそうだ。キミは何のために自分の気持ちを封じ込めてるの?」
「俺の・・・」
「もっとシンプルに考えようよ、わからない?」
「わからない、何を言っているのか」
「そうか、じゃあボクが代わりに教えてあげるよ」
いつのまにか手のひらには、代わりに別のモノが乗っかっていた。それはひんやりして細長くて、綺麗な手だ。
「ボクの眼をじっと見ていてね」
近付いた距離、視界の隅。暑苦しいジャージの向こう凄く見覚えのあるものが見えた気がした。
けど、なんでもいいかそんなこと。
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