第84話 緊急(?)出動要請

 *

 遠慮の塊みたいに中途半端に残されていた0.7杯分くらいのそうめんを、母さんが全部さらっていくのを確認する。箸を置いてぼんやりとテレビの方を見ると、視界の少し手前で俯く桃が目に入った。いつの間にか母さんとの会話を終えていた彼女は微かに目を見開いて震えていた。具合が悪いのか嫌なことがあったのか、今日の桃はいつもと様子が違う。

 しかし、この場でそれを指摘するのは桃の気分を害してしまうだろう。どうしていいのかわからず、ほんの少し残った麦茶を全部飲み干して今度は向日葵の方に眼をやる。此方のお嬢さんもやっぱり少し不満そうな顔をしていた。理由は当然、俺がフィランスレッドのファンだという事を知ってショックを受けたからだろう。

 俺は子供の頃からずっとフィランスレッドに憧れているから、それが茜さん個人に対する気持ちではなく純粋なファンとして応援したい気持ちだと言い切れる。だが今ここでそんな事説明するのは困難だし、そもそも母親の前で自分達がヒーロー関係者だと漏らす様な発言はできない。


 どちらをフォローするにも一般人がいる場では難しい。これならヒーロー基地で鉢合わせた方がずっと楽だった。実家がこんなにアウェイに感じられたのは初めてだ、せめてなんとかして場所を移動したいな。


 手も足も出ない状況とやや沈黙気味な食卓に頭を悩ませていると、

『ビー、ビー、ビー』

 突然アラーム音とバイブレーションが気まずい食卓に鳴り響いた。

「ああっ、ごめんなさい。僕だ」

 直ぐに向日葵は鞄からスマホを取り出して音を止めた。どうやら電話でもタイマーでも無かったようで、向日葵はその場で慌てて画面を確認し出す。

 緊急メッセージか、向日葵のスマホに来る連絡なんて一つしかない。

「もしかして、出動要請?」

 画面を見て少し驚いた表情を見せた向日葵に小声で耳打ちする。話には聞いていたが緊急休日出勤を間近で見るのは実は初めてだ、本当に突然連絡が来るんだな。この場に桃と向日葵がいるという事は今日の待機隊員は鶯さんだが、待機隊員だけでは解決できない案件が入ったのだろう。

「うん。せっかくお家まで連れて来てくれたのにごめんなさい、遠いから今直ぐ行かなきゃいけないみたい・・・けど」


 一般人にとっては緊急事態でも、ヒーローからすれば大体いつも通りの仕事内容で危険は滅多にない。俺は不謹慎にもこの場の収束に内心ほっとしていたが、対する向日葵は眉間にしわを寄せ、何やら神妙な面持ちで目の前に座る桃を睨みつけていた。

「行かないの?」

 いつもとは違う、少しドスの利いた強い怒りを含む声色で尋ねる。それが誰に向けての言葉なのかは尋ねるまでもない。

「・・・・・・」

 桃は誰とも目を合わせずにただ沈黙している。二人の間を漂う何とも言えない重たい空気に、そうめんを食べたはずの胃も重たくなる。

「どうして黙ってるの? 僕は行くけど」

 そう言うと向日葵は席を立ち、俺に向けて深くお辞儀をした。

「ごめんなさい。急な用事ができたから、行かなくちゃ」

 もしかして桃の手を借りないといけない程に急ぎの案件なのか。複数のヒーローに声がかかるなんて、大きな事故かもしれないな。見知らぬ場所で起きた惨事を修羅場回避に役立てたと思った自分を心の中で反省しつつ、黙りこくる桃に尋ねる。

「桃は一緒に行かなくていいのか?」

 その言葉に桃はバチリと目を合わせ、バツが悪そうに直ぐに視線を逸らした。

「・・・っ。えっと」

「また今度、時間があるときに来てくれればいいからさ」

 向日葵と同じで、せっかく家に来たのに直ぐに帰るのに気が引けているのだろう。まぁ、このまま帰ってはただそうめん食べに来ただけになるからな。

「そ、そうですね。そうさせて頂きます・・・突然お邪魔してすみません先輩、お義母様。今度はちゃんと手土産もお持ちして事前にご連絡しますね」

 説得がきいたのか、桃はあっさりと立ち上がり自分の鞄を手に取る。

「あら、そうなの? なんだか訳があるみたいね。空、二人を駅まで送ってあげなさい。また迷子になったら大変」

「はいはい」

 まぁ、家を出たらヒーローの能力で屋根の上とか跳んでいくだろうから俺が送るまでもないんだけど。




 二人を家に招いてから一時間ちょっとしか経過していないので、相変わらず外は暑かった。家を出て暫く歩いたところで向日葵が切り出す。

「この辺りなら人気も無いし、あとは跳んでいくよ」

 Tシャツの裾をぺろりとめくって、中に着込んでいるヒーロースーツを見せる。

「真夏にまでそれ着てるのか・・・」

 だから熱中症になるんじゃないか。

「接触冷感のスーツ作って貰うよう博士に言っておくよ」

「僕は大丈夫なのに・・・でも、ありがとうお兄ちゃん」

 さっきは全然大丈夫じゃなかっただろう。向日葵は本当に自分の痛みに鈍感過ぎて時々怖くなるな。

「石竹桃も、着替えたら現場に来てね」

 周囲に人がいない事を確認しながら向日葵はその場でTシャツを脱ぎ、ポーチから取り出したヒーローマスクを着用する。

「このままお兄ちゃんの家に戻ったりしたら、許さないから」

「・・・そんなこと、するわけないじゃん」

 自分だけ仲間外れにされるのが本当に嫌なんだろうけど、わざわざそんな嫌味を言うなんて向日葵らしくないというか、出動要請が来てからちょっと攻撃的じゃないか?


 これから一緒に現場に向かうヒーローが睨み合っているのはいかがなものかと思うので、俺もフィランスブルーとして出来るだけのフォローはしておきたい。

「安心しろ向日葵、フィランスピンクが仕事サボって帰ってきたりしても絶対に家にいれたりしないから」

 桃の言う通り当然そんなことするわけないので精一杯冗談めかして言う。

「・・・っ!?」

 が、桃の表情が凍り付いたような。

「そうだよね、お兄ちゃんは頑張ってみんなを助けるヒーローが大好きだから、お仕事サボってふらふらしてるヒーローなんて嫌いになっちゃうよね」

 反対に向日葵は何故か機嫌が直った得意げな顔をしている。

「ま、まぁ。嫌いというか、うーん。でも、そうだな。ヒーロー本人の体調や事情も大事だからやむを得ない理由があるなら仕方ないかもしれないけど、俺はやっぱり、沢山活躍してるヒーローの方を応援したいよ」

「ふふん、そうでしょ? じゃあ僕行ってくるね!」

 いつの間にかズボンも脱いで完全にフィランスイエローになっていた向日葵がちょっと大げさに戦隊ヒーローみたいな決めポーズをとる。


「ちょっと待って向日葵」

「うん?」

 あまり時間を取らせるのは良くないが、それでも先に聞いておかないといけないことがあった。

「もしかして向日葵、今日俺に何か話があったんじゃないか?」

 基本的に『言いなり』の姿勢を貫く向日葵が自分から俺の家に向かおうとするなんて、何か大きな心境の変化があったとしか思えない。

「もし話があるなら・・・今日の任務が終わった後、どこかで待ち合わせしないか?」

「えっ!?」

 マスク越しでも驚いた顔がわかる。

「い、いいの?」

「あぁ、もし長引いて疲れていたら明日とかでもいいんだけど・・・」

「ううん! 今日! 今日がいいの! ぜったい!」

 喜びの勢い余ってぴょんと跳ねると、スーツによって強化されたバネで高跳びみたいなジャンプになった。

「えっと、暗くなるまでには終わらせるからね。ぜったい終わらせる!」

「そ、そうか?」

 任務にあまり焦らせたくは無いけれど、まぁやる気になるのは良い事か。

「じゃあ九時頃にそこの駅前でいいか? 疲れてたら別の日にしてもいいし、遅れてもいいからな?」

「ううん。僕疲れないから大丈夫」

 それは無いだろ流石に・・・。

「無理して怪我するなよ」

「わかった! ぜったい来てね、お兄ちゃん!」

「・・・あぁ、夜遅くだからちゃんと駅前で大人しくんだぞ。もし駅員に何か聞かれたら家族を迎えに来たとか言えばいいから」

「はい! ちゃんと待ってるね!」

 ニカッ、とヒーローに相応し過ぎる眩しい笑顔でフィランスイエローは熱々のアスファルトを蹴り上げ、あっという間に小さくなってしまった。

「いやぁ、ピンクほどじゃないけどあの脚力は凄いな・・・なぁ、桃」

 と、振り返るとそこには誰もいないジリジリと暑苦しい空気が漂う住宅街の外れ。

「あれ? 桃がいない」

 話が長いから先に着替えに行ってしまったのだろう。まぁ、桃のことだから心配はいらない。俺は夜の約束に向けて昼寝でもして英気を養っておくとするか。

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