第83話 桃の計画不信2


「・・・・・・」


 違う、『好きな』はそういう意味じゃない。

 空先輩が私達と出会う前からフィランスレッドを応援していたというのは既に知っている情報だ。それは一般人がヒーローに向けているそれであって、決して蘇芳茜という一個人に対するものじゃない。あくまで日本中の希望を背負った最強のヒーローに憧れる一人の青年というだけ。だから気にすることなんてない。

 そう思いながら桃は、テレビでは無く先輩の顔を見た。先輩は一瞬だけキラキラした少年のような顔をしてから、隣で複雑そうに眉をしかめる向日葵ちゃんを見て、ハッと焦った様子で緊張感ある表情を作り直した。


「べ、別にヒーローを応援するのなんて日本人なら皆やってることだろ。特別好きなわけじゃないって」

 桃は知っている。先輩にとってヒーロー達が手の届かない存在ではなく、仕事仲間になった今でも先輩は変わらずフィランスレッドのニュースを見ていることを。勿論、桃達他のヒーローの情報をネットで集める事もあるけれど、レッドのニュースの時だけテレビでも動画でも必ず全部チェックしている。桃達のニュースは、大きな事件じゃなければ文章を読み流して終わるのに、フィランスレッドの活躍だけは欠かさない。

 だけど、その表情まで鮮明には見えていなかった。先輩は否定しながらも意識をテレビに釘付けにして、自身の答えに対して向日葵ちゃんの反応を伺う事すらしないなんて、桃には想像できていなかった。


『ネットを中心に近年活躍している正体不明のヒーロー達。特にフィランスレッドは毎週のようにトレンドワードに入っているので、知らない人なんていないんじゃないですかね?』


 ヒーロー関連のニュースは通常の事件よりもテレビでの扱いが独特で、バラエティー色の強い情報番組でよく取り上げられる。公的な存在ではないからか、真面目な報道番組では『恐らくヒーローの活躍により』みたいな濁した表現になり、大々的に祭り上げられる事は少ない。主にSNSで話題になった際や、一般人が運よく撮影できた動画や写真がバズった時に沸騰ワードの一つとして紹介されることの方が多い。多分昔で言うならびっくり動画とか珍事件みたいな扱いなんだと思う。

 このお昼の番組でも、MCの芸人がまるでアクション映画のあらすじと感想を語るように熱く、楽し気な口調で解説している。

 そしてそう扱われる大半はフィランスレッドだ。あの人は桃と違って、実力だけで派手な活躍が出来る人だから。

『今回はどうやら、フィランスレッドがバスジャック犯を退治した事件が話題になっているようです。刃物を持った男がバスに乗り込み運転手を脅しルート変更を要求。部活動遠征の為バスに乗っていた中学生集団の内一人がスマホで動画撮影していたそうです。』

『うーん。犯人に見つかったら逆上される可能性もありますので、決して他の方は真似しないで欲しいものですねぇ』

 50代くらいのゲスト評論家が発したコーナーの趣旨と違う真面目な意見に、MCは雑な空笑いで返事した。

 桃はこの人の言っている事正しいと思うけど。確かに桃の活躍を撮影してくれる人は桃にとってファンを増やす要因だから嬉しい。外野の皆さんは出来るだけ盛り上げて拡散とかしてくれるとやる気が出る。

 でも助ける側が助けられる気無いとこっちもやる気なくなるんだよね。やっぱヒーローとしても全力で桃に縋って怯えて頼ってくれる人の方が助けたいって思うよ。そういうのって碌な編集してくれないし。まぁ、世間からすればヒーローの気持ちなんて関係ない事なんだけどさ。


『・・・それで、なんとフィランスレッドはバスの天井に着地し、そのまま天井を貫いて無理矢理バス内に突入したそうです』

『えぇ!? そんな事可能なんですか?』

 今度は中高生に人気のカリスマモデルが大袈裟にリアクションする。

『突入直前のドライブレコーダーの映像をご覧ください。一度バスの隣を並走してどの位置に乗客がいるかを把握し、天井の飛び乗っていますね。その後、丁度犯人の真上に当たる位置に落下し突入5秒で捕獲したそうです。では実際にSNSにあげられた動画と実際バス内にいた中学生たちにインタビューした映像を・・・』

 テレビ局はあの動画を一体いくらで買ったんだろう、それとも学生が喜んで差し出したのかな。どちらにせよ、こういう事されても桃達には一円の特にもならないんだよね。


「・・・ははっ、茜さんらしいなぁ」

 先輩の言葉で、無駄なことを考えている桃の脳がガツンと殴られたみたいに衝撃を感じた。まさに自然に零れた笑い、って感じ。そんな先輩、見たことあったかな。

「お兄ちゃんは、アレのファンなの?」

「えっ、いや、ファンってわけじゃないよ。ほら、言っただろ? 俺はヒーローに憧れているし、カッコいいと思うって。あか・・・じゃなくて、フィランスレッド意外のヒーローも勿論応援しているよ」

 そうやって向日葵ちゃんを宥める顔。フィランスレッドの活躍を見ていた時の顔。

 先輩は、大胆で無鉄砲なフィランスレッドの活躍を聞いて油断した笑顔を見せていた。それは桃が監視している間ずっと見ることが出来なかった表情。それに、『茜さん』だなんて、まるであの女のファンだと言っているみたい。

 一般人にとってはヒーローなんて芸能人で、アニメキャラクターで、歴史上の人物みたいなモノだからそこに恋愛感情は生まれない。『ガチ恋』する人もいるけど先輩はそういうタイプじゃない。

 筈、だけど今の先輩を見たら本当にフィランスレッドにガチ恋していないと言い切れない。いや、出会う前は確かに憧れのヒーローだったのかもしれない、それが茜さん本人と関わりを持ったせいで本気の恋愛にシフトしたとか?

 テレビの向こうでしか会えない人より、握手会とかライブ配信で交流できるアイドルの方がガチ恋しやすいって聞いたことあるし、そういうこと?

「・・・ただの憧れだと思っていたのに」


 蘇芳茜は先輩の中で『ヒーロー』であって『女の子』じゃない。

 だから、少なくともあの女に先輩を奪われることは絶対にないと思っていた。可愛くも無いし不愛想だしガサツだし、何を考えているかも全然わからない。憧れは持たれていても恋愛から一番遠い相手だと認識してた。


「お兄ちゃんは一番活躍してるヒーローが好き?」

「一番じゃなくてもヒーローはみんな好きだよ。努力家で正義感があって、みんなを救う姿がかっこいいからね」


 常盤鶯は女の私から見ても面倒くさい女だ。重たくて面倒な女は普通嫌われて当然なのだから、先輩が彼女を愛することは無いと思っていた。今交際しているのだって桃が助言してしまったからだし、寧ろあの場で『偽りの』恋愛関係を先輩が選んだ時点で本当の恋仲になる可能性はゼロだと思う。

 仕事として仕方なく愛しているフリをしているだけで、本当の心は一ミリもあの女の所にはない。本人がいない場所では清々しく偽りの愛を忘れて生きている。先輩の胃を傷めるだけの存在で、本心では少しも思われていない取るに足らない存在だと認識していた。


「もし、例えばフィランスイエローとかが頑張って、すごーく頑張って、一番活躍するヒーローになったら・・・お兄ちゃんはイエローのこと好きになる?」

 私は、さっきからずっと嫌な推察ばかりで二人の間に入る事も、お義母様とお喋りすることも、そうめんに箸をつけることも忘れていた。

 今日の桃は、いや、最近の桃は変な事ばかり考えてしまっている。席の事だって、先輩が鶯さんの話をしたことだって、フィランスレッドの活躍を喜んでいることだって、今までの桃なら、こんなに心が乱れなかった筈。全然気にしていなかった筈。

 ここまで深刻に考える事じゃないと、心が理解できていた筈。

「・・・そんなことしなくても、俺はフィランスイエローも好きだよ。無理して頑張り過ぎてると逆に不安になるから、自分のペースで活躍して欲しいかな」

 先輩は、何かを心配するように悲しい笑顔で向日葵ちゃんの頭をそっと撫でた。


 朽葉向日葵は中学生だ、子供だ。妹にしか見えないし、当然恋愛感情なんて生まれるはずが無い。向日葵ちゃんからしても空先輩を兄に見立てて懐いているだけ、どれだけ親しくても邪魔になることは無い。二人の間に恋愛は無い。疑似兄妹としての暖かな愛情しかない。


 そう思っていたのに。

「お兄ちゃんは、優しいね」

 ふわふわの頭にのせられた先輩の手のひらに、額を擦り付ける様に身動ぎした。くすぐったそうで、幸せそうで、でもちょっとだけ淋しそう。空先輩は全く気付いていないけど、同じ女からすればそんなの、気付かないわけがない。


 だって、明らかに女の顔してるじゃん。


 妹分として、あたかも自分はマスコット枠です、みたいな人畜無害な顔して甘やかされているくせに、しっかり恋してる。最初はこんなんじゃなかった、なんで、いつから?

 いつのまにあの子は先輩を兄じゃなくて男として好きになったの。先輩がもしそれに気付いたら何か変わるの?

 直ぐに両想いにならないとしても、もし何かの間違いで先輩が向日葵ちゃんを意識してしまったらどうなるの?


 先輩は最終的に誰を好きになるの?

 先輩が桃を選ぶ可能性はあるの?


 可愛くて、気が合う、友達みたいな彼女じゃなくて、桃はただの後輩。特別な好意は、何一つ桃の所になくて、他のみんなは少しずつ何か貰っている。


「・・・そっか」

 桃は、自分の頭の良さが嫌になる。恋は盲目と言うのだからちゃんと最後まで何も見えないようにしていて欲しかった。隣の芝が青く見えるくらいなら先輩以外見えなくて良かった。

 誰かと比べなければ自分の価値を感じることが出来なくて、誰かに讃えられなければ自分の本心すら曖昧になって揺らぐ。そんな弱い心しかないくせに、自己愛という一見して不動だけど本当は最も不安定な愛情にばかり頼って来たから、こんな些細な感情すらどう制御したらいいのかわからないのかな。


 思い出すのは、あの時見たSNS。結局、どうやったって自分を肯定できないように世界ができてる。愛されなくても愛を信じられるような他の子みたいに桃は強くない。だからって自己完結だけで愛が成り立つほど馬鹿じゃない。

―――桃は、先輩の中でも最下位なんだ。

 だったら、仕方ない。好きになって貰えないのなら、好きにさせればいいだけだ。


 仕方ない。愛を手に入れてヒーローでいる為には、正義ではいられない。


 桃の手から、いや身体から、何かがコロンと落っこちたような気がした。

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