第81話 フィランスピンクは恋する乙女

 完璧に計算されたいつも通りの今日は、先輩のせいで全部吹き飛んでしまった。


 先に言っておくけど、今日の待機隊員は桃だ。

 要するに、いつ出動要請が出てもいいように予定を開けておいてねって意味。コンビニエンスストア並みに年中無休で働いているフィランスレッドを除いたヒーロー達はシフト制で連絡待ちする事にしている。勿論、この前の飛行機墜落事故や梅雨時の土砂災害みたいな特定のヒーローじゃないと解決できない緊急案件もあるから非番だからといって油断していて良いわけではない。

 例え授業中でも、友達とカラオケフリータイムに入っていても、デートが盛り上がって「あ、多分今日キスされるかも」なんて察しちゃうようないい雰囲気だとしても、博士に呼ばれたら何を差し置いてでも出動しないといけない。それが桃達ヒーローの決まり事。

 フィランスピンクは、石竹桃より優先されるべき存在なの。


 とにかく、今日の桃は予定をまっさらに開けて自宅で宿題したり予習したり話題のドラマをチェックするべきだった。でも、『念のため』軽く監視していた向日葵ちゃんが突然先輩の家に向かって行くのだから呑気にしているわけにはいかない。だって、先輩のお家に初めて訪問する女の子は桃のポジションなんだから。

 こんな可愛い子がお友達なんて驚いたわ、なんてお義母様に言われて、うちにお嫁に来てくれればいいのになんて冷やかされるのは桃の役目。誰にも譲れない。先輩みたいな年頃なのに恋愛にガツガツしてないタイプは周囲からの後押しに弱いっていうのは桃の人生経験上わかっている。だから大学に行った時もわざわざ先輩の友達にも挨拶したんだから。

 そう。だから、これは。桃が先輩に好きになってもらう為に絶対に必要な事なの。他の誰かに譲るわけにはいかないの。


 桃の想定ではもっと先だったけど、何度も完璧にシミュレーションしていた『息子を慕う可愛い後輩が突然家にやってきた』を無事にやり遂げて難なくお義母様に好かれる事に成功した。程よい否定と親しさの匂わせでちゃんと勘違いさせつつ、桃の好感度をばっちり稼ぐ。

 空先輩は自宅にいる時、あまり自室に籠り切るタイプじゃない。夕飯前後のまったりしたい時間とか、寝る前とか、理由が無ければリビングで過ごしている。つまりそれだけ家族と会話をする機会が多いということ。三人家族の先輩宅の団らんは口下手なお父様と聞き役になりがちな先輩を圧倒するお義母様のマシンガントークで成り立っている事が多い。鬱陶しそうにしながらも部屋に逃げることなくちゃんと話を聞いている先輩はお父様に似てとてもやさしくて素敵。あぁ、勿論お義母様の趣味も把握済だったからそういう意味でも気に入られるのは容易だったかも。

 家族仲が良い家庭なら、親御さんに気に入られれば桃の有利は絶対。向日葵ちゃんはまだ子供だし、茜さんはコミュ力に難がある。鶯さんは未知数だったけれど、こういうのは先に訪問した方が良い印象を与えられるものだから先の心配はいらない。

 要するに、今日一日で桃が先輩の彼女になる確率はぐっと上がったと言える。


 ・・・の、だけど。

「あら、やっと戻って来た」

 先輩不在のご実家でお義母様と仲良くお喋りしていると、玄関から賑やかな音が聞こえた。先輩が帰って来たみたい。

「ちょっと待っててね、桃さん」

「はいっ」

 そう言ってお義母様はリビングを出て行った。閉じ切らなかったリビングのドア越しから、お義母様の驚きの声が響く。やっぱり、向日葵ちゃんも来たんだ。無理してでも今日先輩の実家に来てよかった。これなら後から来た向日葵ちゃんの印象は薄れるし、例え気に入られたとしても「息子の嫁に欲しいタイプ勝負」なら桃に分がある。

 そ、それに。

「二人っきりになっちゃうし・・・」

 桃ですら先輩がいない時にしか入った事の無い先輩の部屋で、空先輩と向日葵ちゃんが二人きりになるという展開もあり得る。流石に中学生相手に何かが起こる事はないだろうけど、そういう特別な初めてを別の子に奪われるのは良くない。

「・・・そ、そう。男の人は最初の女の子を忘れられないって言うし」

 そう。だからこれは戦略的な行動であって別に桃が焦っているとか衝動的になっているわけじゃない。

「そっち!?」


「!!!?」

 ドア越しでは張りがあるお義母様の声しか聞こえていなかったけど、突然空先輩の焦ったような声がこちらまで聞こえてきた。そう言えば、久しぶりに先輩の声聞いたかも。

「あ、あれ・・・?」

 どくん。と急に家が傾いて、机がガタガタと揺れ出す。おかげで机の上に乗せた桃の手間で震える。

「じ、地震かな、こんな時に・・・」

 大きな窓の外を見ると、電線は小鳥が休憩する程に静かだ。


 暫くすると、先輩がリビングに入って来た。いつもより一回り小さく縮こまった向日葵ちゃんを背中にひっつけて。

「あ、おかえりなさい先輩。お邪魔しています」

 用意したセリフで冷静に迎える。冷静なつもりで発した言葉は、桃自身にしかわからないくらい微かに震えた。それは意識的なモノというより、反射的な、生理的な現象に近い僅かな綻びで別に先輩もお義母様もそれに気付きはしなかったけれど、桃にとっては大きな違和感。

 あれ、これでいいんだっけ。なんか緊張してる?

 いや、緊張してる演技。咄嗟に言い聞かせる。そう、先輩のお家に来たんだからいつもよりかたくなるのが普通だから、うん、演技演技。

 先輩は向日葵ちゃんを気遣いながらもお義母様に困らされている。あぁ、音声でしか聞いたことなかったけど家ではこんな感じなんだ、やっぱ桃と一緒にいる時より表情が柔らかいっていうか油断してる、なんか可愛いなぁ。あ、また向日葵ちゃんの頭撫でた。いいな、ずるいな。

「もー、お義母様ったら。私は先輩の彼女じゃないですってばー」

 え、ちょっと、先輩どこ行くの?

 冷静に可愛い後輩を演じながらも桃の意識はわかりやすくブレていた。

 あぁ、向日葵ちゃんの為に飲み物とって来たんだ。中身なんだろ、色的になんかスポドリかな、薄っすいカルピスだったら笑っちゃうかも。あ、グラス全部同じ色だ、家族でコップ使い分けたりしないのかな、桃の家は食器分けてるけど。それとも来客用かな。もしかしたら桃が今使っているこのコップも普段先輩が使ってたりするのかな。あ、また向日葵ちゃんの頭撫でてる。幸せそう。子犬みたい。撫でてる先輩もなんか嬉しそう。桃にはそんな事しないのに。

「母さん!!?」

 あ、危ない危ない。また別の事考えてた。いくら予定通りの流れとは言えちゃんとお母様との会話に集中しなきゃ。そうそう、先輩のお嫁さんになって欲しいなんてからかわれて・・・。

 お、お嫁さんに。

「!」

 あれ、なんかまた揺れてる。手足が冷たいし、変な振動。地下でダンスパーティーしてるみたいな、ズンズンッって音がする。でも誰も気にしてない。なんでだろう。


「桃、今日はなんか・・・」

 気が付くと、先輩の真っ黒い瞳がジッと桃の事を見詰めていた。なんでこんな展開になったんだろう。あれ、おかしい。先輩がこっち向くと桃、先輩の方向けない。

 いつも通り、いつも通り。可愛くて小悪魔で無邪気な後輩。あれ、いつも通りってこんな感じだっけ?

「どっ、どうしたんですか?」

 これちゃんと石竹桃の顔できてるかな。重たい女は桃のキャラに似合わないから、ちょっと遊び半分くらいが可愛いから。わかんない、ちゃんと笑えてる? ていうかまだズンズン音するんだけど。うるさい。机に触ってないのにまだ手震える。肩もなんか震える。なにこれ。

「・・・桃?」

 空先輩がミステリアス且つ優しい表情で桃を見ている。ていうか、先輩ってこんなにカッコ良かったっけ。あれ、背伸びた? イケメンになった? 気のせい?

 そもそも今どういう状況だっけ。あ、そうだ、多分可愛いって言おうとしてる。桃に。約束だからね。うん。

 約束ってことは嘘って事か。

 別に思ってないけど桃が無理矢理言わせているんだよね。いや、だってそうした方が先輩は素直になれるし他の女達の牽制にもなるし、これは必要な事だから。大体桃が可愛いのは嘘じゃないし、本当に可愛いから無理矢理というわけでも・・・。

「あ、ああ、あのっ!!」

 冷静なフリを装う御暑い脳みそがプシュ、とする筈の無い音を立てて止まった気がした。

「約束ですケド・・・もういいですっ」

 両手をぶんぶんと振り、首も一緒にぶんぶんと横に振る。

 それに気付いたら、桃は先輩に可愛いと言わせる事が出来なくなった。

 桃は今までずっと可愛いの頂点を歩いてきたから、多分わかってしまう。偽物の「可愛いね」がどんなものか気付く。だって、今まで桃の隣にいた子が言われていたヤツだし。多分今の桃なら、先輩の可愛いに心が籠っていなかったら勘付いてしまう。

 そんなの、怖すぎる。多分耐えられない。今までは平気だったその約束が、途端に死刑宣告のように思えた。想像しただけで身体が凍り付くような恐怖に襲われる。


 ぽかんとする先輩。さらにうるさくなる地下のダンスパーティー。いや、わかってる、わかってるよ、認めたくなかっただけ。

 先輩と目を合わせられない。声を聴くと緊張で手が震えて、心臓が暴れ出す感覚。今まで見てきた。でも、「見る」側だった。

 先輩を好きになった事は理解していたけど、自分がこんな風になるなんて知らないじゃん。こんなのドラマとかの誇張表現だと思うじゃん。本当に熱風邪引いたみたいに頭の中ぐちゃぐちゃになって、いつもできている当たり前の事が出来なくなっちゃって、自然でいるのも難しいなんて、桃知らないよ。

 桃は自分以外を愛したことがないんだから、好きな人の気持ちや反応に一喜一憂したり、言葉の裏を深読みして疑心暗鬼になったり、誰かと親しくしている場面を見て嫉妬したり、そういう不安定で曖昧な「愛」を桃は経験したことが無い。


「・・・本当に可愛いと思ったら、言ってくれてもいいですよ」

 シンプルには語れない。愛がいかに混沌とした複雑な色の塊だと気付かされる。自分を傷つけるかもしれない発言や、相手に嫌われる事と嘘をつくことの天秤。そんな非合理的な人間関係、無い方が上手くいく筈なのに。

 恐怖と、欲張りと、謙遜と、期待と、あと、全部を凌駕する大きなキモチが桃から冷静さも今まで培ってきたいろんなモノも崩す。今までみたいに「演技」していた方が絶対に有利な恋愛が出来るのに、頭ではわかっているのに感情が馬鹿になっちゃって桃らしくない言動をどんどん引き起こす。そんな事、言わない方がいいのに。

「な、なーんて・・・」

 自分でもキツイなって思うくらい無理矢理冗談めかした発言に、さっきまで余裕綽々で実家訪問の初陣を飾る気でいたのが恥ずかしくなる。ふと逸らした視線の先にいた向日葵ちゃんが、なんか冷めた目でこっち見ているし、先輩も様子変だし、ていうか桃が変な事に気付いてるし。こんなの、やばい、嫌われるかもしれない。どうしよう。


「・・・っ!?」

 感情と思考であふれた桃の頭の中を肩に触れた感覚が一瞬で晴らす。

 先輩の手が、桃よりも大きくてちょっとゴツゴツした男の子の手が、桃の肩に触れる。先輩の方から触れられる初めてだ、とか思う暇もなく今度は先輩の顔が近付いてきた。何が何だかわかんなくて眼を瞑る。


 と、真っ暗な中研ぎ澄まされた耳元から優しくて、甘い声。

「桃は可愛い、と思う」


 ・・・・・・何かが吹っ切れた気がした。

「なにそれずるいんだけど!?」

 咄嗟に出た鳴き声みたいな自分の声にびっくりする。けどそんな事どうでもいい。


 あぁ、本当にずるい。空先輩はズルい。

 頭も心も、部屋中がとっ散らかされる。なんでそんな事するの、つまり桃の事が好きってことかな、そうなの、それでいいの? 勘違いしちゃうけどいいの? 耳熱い、顔も熱い、全部熱い! 既に先輩の事大好きなのに、なんでそういう事するのかな、可愛いって、言わなくていいって言った傍からワザワザ言うの可笑しくない? 普通そんなことしないよね? ってことはやっぱり桃のこと好きなの?

 あぁ、もう駄目だ。駄目。全然駄目。こんなの桃が勝たなきゃ気が済まない。冷静とか知らない、圧勝とか知らない、可愛いとか、そんなの、そんなのよりもっともっともっと譲れない。

 わかってたけど、再確認。桃は先輩が好き。大好き。浅葱空先輩が大好き。愛してる。欲しい。絶対欲しい。自分以外でこんなに大事な人初めて。見たことないくらいのエゴが溢れてる。桃のモノにならなきゃ嫌だ。見栄とか当てつけとかアクセサリー感覚とかそういうのじゃなくて本気で欲しい。いっそのこと桃と先輩以外全人類滅ぼして二人きりになりたい。無理なら二人で無人島に行きたい。多分真っ赤なゴリラが邪魔するから宇宙船に乗って旅に出たい。先輩が欲しい。先輩と恋人になる。結婚する。絶対桃が先輩を手に入れる。もう決めた。無理だから。他の女に髪の毛一本も渡せない。勝率とか人権とかどうでもいい。もう好きだから。桃が絶対一番になるから。この桃が決めたんだから覆るなんてあり得ない。先輩の可愛いも愛してるもカッコいいも苦しいも全部全部桃だけのモノにするから。なんでもする。うん。桃は何でも出来る。他の生半可な女とは違う。桃だけが出来る本気と全力で何としてでも掴み取らないといけない。本能でわかる。桃は先輩を手に入れないといけないんだ。

 あぁ、そうだ、盗聴器仕掛けなおそう。今度はもっといいやつ。いや、それより何とかして先輩の家に潜り込めないかな。いっそ結婚したいけど無理なら同棲みたいな感じで。例えば桃の両親が急にいなくなったら同情して一緒に住まわせてくれないかな。それより先輩の行くところがなくなれば桃の所に来てくれるかな。駄目だ、どっちにしても博士が邪魔する。他のヒーローも。先輩にとってヒーローそのものが大事なわけだから、桃だけを見てもらわないといけなくて、その為には先輩の中からいろんな執着や未練を断ち切ってしまえばよくて、その為に必要なものは・・・。


「・・・あぁ、忘れてた」

 先輩を台所に追いやって、桃はケータイの電源を切る。連絡が来たら困るからね。



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