第79話 フィランスブルーにも母親はいる


 物心ついた時から住んでいる実家の玄関。当然ながら、もう数えられない程にこの扉を開け閉めしてきた。だが、ここまで実家の扉を重々しいと感じた日は無い。


 小学校の頃、遊びに夢中でうっかり門限を破ってしまった日も、中学の時に仮病でサボったのが教師にバレて家に電話がいった日の帰りも、高校時代に初めて赤点を取った日も、家に帰るのが相当億劫だったと記憶しているが、今日に比べれば大したことは無いと笑い飛ばせるものだ。


 あの日、母親の怒りを買って締め出されてしまい泣きながら扉を叩いていた小学生の俺には想像もつかない。これ以上家に帰るのが怖い日は今後無いだろう、だって今から同時に親しくしている女子が実家(母親在宅)でバッティングするのだから。


「た、ただいま」

 独りでこの場に立っていたらウジウジと家の前で悩んでいたかもしれないが、俺の後ろでカップアイスを首元にあてて暑さに耐える向日葵に早く水を飲ませてやらなくてはいけないので、どれだけ気が進まなかろうが構わず扉を開けた。

 リビングから漏れ出したエアコンの冷気がじんわりときいた玄関に、思わず俺も向日葵も少し顔を緩める。

「あぁ、やっと帰って来た。ちょっと空、お友達来るんならちゃんと言っておきなさいよ。うち今そうめんしかないじゃない。大体いつのまにあんなに可愛い彼女が・・・」


 涼しい空気と一緒に現れたラフな格好の中年の女性。白髪染めをさぼり気味な髪と五年前母の日に貰った地味なエプロンを軽快にはためかせて現れたのは、当たり前だけど俺の母親だ。実の息子に「おかえり」を言う前に背後に隠れている小さなヒーローに目を丸くしていた。

「えーっと、そちらの可愛らしいお嬢さんは?」

 まぁ、当たり前の質問だ。めんつゆ買いに行かせた息子が小さい女の子もオマケで連れて帰って来たのだから。ただ、想像以上に母親の目が輝いている。

「バイト先でお世話になってる人の娘さん。よく休憩室で父親の仕事終わるのを待っているから、そこで仲良くなって・・・それで、俺に会いに来てくれたみたいなんだ」

 炎天下を歩きながら考えた即席の言い訳だが、まぁ母は俺にあまり興味が無い人だから特に問題ないだろう。

「あら、あらら。そんなそんな。空ったらこんな小さい女の子に好かれるなんて才能あるじゃない」

 なんの才能だろうか。母は無駄にテンションの高い口調を維持したまま少しだけかがみ、向日葵の視線にあわせる。

「こんにちは、お名前は? 小学生かな?」

「・・・・・・」

 向日葵は困惑した表情で俺の方をチラと見る。こうしている間にも律儀にアイスで首を冷やしている辺り、向日葵らしいな。

「ごめんな向日葵、うちの母さん娘が欲しいが口癖みたいな人だから。ちょっと舞い上がっちゃってるんだ」


 あんまり首ばかり冷やし過ぎて凍傷しても困るのでアイスを取り上げてから、ふわふわの茶色い頭を少し雑に撫でる。それを『質問に答える許可』と受け取ったのかは知らないが、口をぽかんと開けていた向日葵はかなり怯えた様子で母の方に向き直り、

「くちば、ひ、向日葵です。中一です」

 と、震えながら答えた。

「か、か、か・・・可愛いじゃない! 向日葵ちゃんね! あぁ可愛い! ちっちゃいわ! うちのバカ息子に会いに一人で来てくれたのね、ありがとう! どこから来たの? お外暑かったでしょ? うちの息子のどんなところが好き?」

「えっ、え、えと」

「母さん、はしゃがないで」

 家族と共に暮らしていない上に学校にも行っていない向日葵にとって、ヒーロースーツ無しで他人と触れ合う機会なんて殆ど無い事だろう。博士は生活面のサポートは完璧だがメンタル方面のケアは疎いし、向日葵の外交力は公園デビュー前の幼稚園生並みと言っても過言ではない。

「人見知りする子だから、あんまり怖がらせないように」

「ご、ごめんなさいね向日葵ちゃん。・・・で、でも空だって悪いのよ、急にこんな可愛い女の子連れてくるんだから、母さん心の準備が全然できて無かったし。ただでさえ彼女さんが来て驚いてたのに・・・あ、向日葵ちゃんもお昼ごはん食べるよね? ごめんね今日のお昼そうめんなの。お客さんが来るってわかってたらもっと美味しい物用意するのに、この子ったら全然教えてくれないから。でもそうめんも美味しいからね、向日葵ちゃんも一緒に食べるならもう一束多く茹でましょうか」


「ちょっと待って母さん。その、俺の友達が来てるって言ってたよね」

 目の前で母親がはしゃぐ、という思春期を過ぎても中々にキツいシチュエーションのせいで忘れそうになっていたが、目下のトラブルはそっちだった。

「えぇ、お客さん来るなら今度からちゃんと言ってちょうだいよ、ほんとに。母さん危うくすっぴんであんたの彼女に初対面するところだったじゃない」

「いや、彼女というか・・・」


 まさか鶯さんがこんな強硬手段を取って来るなんて思っていなかった。

 いや嘘だ、まったく予想していなかったわけではない。鶯さんには前から「お母さまにご挨拶したいです」や「空さんの御部屋にも行ってみたいです」と言われていて、その度に適当に誤魔化し続けていたからだ。いつまで待っても招待されないから自分で出向いてあわよくば先手自己紹介で親公認になろうという算段だろう。

 まぁ、妻じゃなくて彼女と偽った点は良かった。大学生の息子が恋人の存在を隠すのはありがちだから俺がちょっと気まずい思いをするだけで済むけど、婚約を隠していたとなれば父親に即報告されて流れによってはめちゃくちゃ叱られる。

 ただ問題は向日葵が一緒にいる事なんだよな、向日葵と鶯さんは例の一件の事もあるからあまり会わせたくなかったし、他のヒーローの前で恋仲をアピールするのも良くないだろう。だからと言って母親の目の前で鶯さんとの仲を否定するのは鶯さんの気持ちを否定するのと同じことになるだろうし、地雷だらけだ。

 本当にタイミングが悪い。せめて別々の日に訪問してくれ。


「その、鶯さんの事は・・・」

「ウグイス? 鳥がどうかしたの?」

 腹をくくって鶯さんの話をしようとした俺の言葉を、母親の大きなハテナマークが遮った。

「まぁまぁ、玄関でおしゃべりしててもアレだから上がっちゃいなさい。ほら」

 靴を脱ごうと足元に視線を送ると、我が家にある筈の無い、ピンクのワンポイントの入った白のサンダルが目に入った。フロント部分には花のような形の太めのリボンがついた可愛い系のデザインで、涼し気な素材で出来た程よい高さのヒールで、きっと歩きやすいのだろう。サイズは結構小さい。大人っぽい女性が履くには少し可愛すぎるそのサンダルに最も似合う知り合いの顔が自然と浮かぶ。


「・・・ほら、桃さんをいつまでも待たせちゃ悪いじゃない」


「え、そっち!?」

 脳内に浮かんだ少女の名前がまさか母親の口から出たので素で反応してしまった。見ようによっては相当クズ男の発言だな、これ。

「何よ『そっち』って、何の話してるの?」

「や、えっと、その」

「しかし今まで女の子の友達がいる素振りすら全然見せなかったあんたが、あんなに可愛い彼女がいる上に、中学生の子にまで好かれてるなんて・・・もしかして空、モテ期ってやつでもきたの?」


 すみません、実はあともう1,2人程います。と、ため息をつきながらも初めて訪れる息子の女友達に喜びを隠せない母親に心の中で謝罪した。



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