第77話 フィランスピンクは正常

 幸い、桃はまだフィランスピンクでいられた。

 人気投票の結果にショックを受けて、そのまま一週間くらい引きこもってやりたい気持ちだったのに博士からの出動コール。内容は飛行機のエンジントラブルで不時着の恐れありとのこと。フィランスレッドを呼べない場合、こういった空のお仕事は桃にしかできないので仕方ない。平日だったけど学校をずる休みしてスーツに着替えた。


 愛の力が弱まってスーツが桃に応えてくれなくなったらどうしようかと心配していたけど、なんとか武器は現れてくれた。でも、身体がずっしりと重たくて、簡単に疲れてしまった。まるで桃のもう一対の手足のように、または自由自在な翼のように桃を支えてくれていた拳銃は、普通の拳銃みたいに扱い辛くて少し重たい。普通の拳銃なんて勿論持ったことないけど。

 あぁ、スポーツ選手が衰える感覚って、多分こんな感じなのかなと思った。または疲労で大きな怪我をする一歩手前の状態みたいな。ヒーローとしての寿命が短くなっていることを、桃は身をもって知ってしまった。嫌なお仕事、愛情なんて目に見えないし測定できないから美しいのに、ヒーローは能力の衰えというとても分かりやすい形で自分の愛がくすんで逝くことを、身をもって知ることになる。


 予定調和の救出劇を終えても、桃の心は晴れなかった。このまま桃が自分を好きでいられなくなったら、いつかはヒーローを辞めないといけなくなるかもしれない。そんな不安が、桃自身の愛の力に動揺を与えている感じがした。

 あぁ、たぶんこれ悪循環はいってるぽいな。気持ちを疑い始めたら、キモチなんてどんどん離れてっちゃう気がする。

「愛するだけで愛が成り立つ人たちはいいな」

 きっとあの人たちは、本当に愛しているかなんて悩んだ事ないだろうな。愛されているかどうかは・・・流石に気になるか。


 多分この世界で誰にも共感されないヘンテコな悩みを胸に抱えながら私服に着替えたところで、監視用SNSにいい情報が入った。

「あ、先輩今日午後休講なんだ」

 先輩を手に入れたら、この悩みも消えるのかな。恋する桃は本当に可愛いのかな。先輩は桃の事好きだけど、それはどれくらいの好きなのかな。ちゃんと好きでいてくれていると信じていいのかな。もし桃が本当に恋をしたら、桃は彼氏への気持ちと桃への気持ち、どちらで変身するのかな、どっちもかな。

 でも、茜さんや他のヒーローがあんなに愛している空先輩を桃の彼氏にできたら、不安でいっぱいなこの気持ちも、少しは安らぐ気がする。ほんと、悪い女になっちゃったな。

 今まで見て見ぬふりしてた『本心』とか汚い部分が顔を出したせいで、モヤモヤする。でも不安な顔は可愛くないから、桃はいつもみたいに『明るくて可愛い後輩』の皮を被り、電車に乗った。



「えへへ、来ちゃいました!」

「聞いてないぞ馬鹿浅葱。こんな可愛い後輩がいるんなら先に言わなきゃ」

 先輩のお友達も一緒だったので、よりいっそう可愛い後輩をアピールしておく。先輩好みの明るい色味のトップスに活発だけどちょっと大人なデニムのスカート。桃の趣味から少しずれるけど先輩はこういうのが好きだっていうのはわかっている。

 お淑やか過ぎる高嶺の花より、女友達みたいに親しくできる明るい子。結局先輩も、こういう桃の方が可愛いんでしょ。

「私服も可愛いな」

 ほら、やっぱり成功。ちゃんと好みだった。

 先輩には桃に会ったら「可愛い」と言ってもらう約束をしているけど、具体的に褒めてくれたのは今回が初めてかな。よかった、やっぱり先輩は桃のこと好いてくれてるね。

 先輩の趣味に「偶然」を装って合わせれば、先輩からすれば桃は運命の女の子。初めて先輩を任務に連れて行ったあの日から、先輩の気持ちは桃にある。

 でも、桃はそれに奢らずに先輩の愛を独占するためにずっと頑張って来た。先輩という最高の彼氏を手に入れてより輝くために。そうすればきっと、自分の可愛さに不安になる事もなくなる。

 ハリボテで作られた桃の自尊心を、本物にするためには、空先輩が必要なんだ。桃がまともだって証明するのに、先輩の心が欲しい。

 そのために先輩にもっと可愛いと思われないと、それで、先輩に告白してもらわないと。


「ごめん、桃! 急な用事ができたんだ。鶯さんと向日葵に何かあったみたい」

 大学のお友達と別れて二人で並んだラーメン屋。桃の事が好きな筈の先輩は、大袈裟に両手を合わせて頭を下げてそう言った。その不安そうな表情は、桃が先輩の気持ちを確信したあの日のカオによく似ていた。なんか、また嫌なことに気付きそうで、苦しい。

 先輩は、ヒーロー『達』の事を心から心配していた。その不安で心配で、臆病なのにどこか強気で震えたカオは、自分が執着されていると勘違いしそうな程に真剣だ。

 桃を一人置いてラーメン屋を飛び出す先輩は偽善でも下心でもなく、本気で焦っていた。鶯さんと向日葵ちゃんがもめているみたいだけど、先輩が行って止めるつもりなのかな。


 なんのために? どっちのために?

 先輩はもしかして、誰にでもそうやって真剣で不安で、苦しそうな顔ができる人なんですか? だとしたら、あの日桃が感じた先輩のキモチは、先輩からすれば特別なモノじゃないんですか?


 空先輩にとって、桃は特別な「可愛い」じゃないんですか?


 ただでさえぐちゃぐちゃにしまい込んでいた感情が、さらに乱雑にかき回された。都合の悪い現実を全て見て見ぬふりしてのんびりゆったり微温湯を味わえるあいつ等が羨ましい、残念だけど桃は最後まで勘違いしていられなかった。

 多分先輩の桃への気持ちは、そういうのじゃない。

 先輩は、桃の事が好きじゃない。好きだけど、そういう好きじゃない。


「・・・ごちそうさまでした」

 ラーメン一杯分のシンキングタイムは、桃の頭をすっきりさせるのに丁度よかった。急いで食べたからかなりお腹が苦しいけど、これは必要なことだから。

 薄々気付いていた事実を再確認したからって、そこで行動不能になってしまうほど馬鹿な女じゃない。先輩が桃に恋していないなら、今からオトせばいい話。勝ち確じゃなくても、桃が有利な状況には変わりない。だって桃はいままで油断せずに全力で先輩を『攻略』していたんだから。

 先輩の好みに合わせ、先輩が退屈なときに現れ、先輩が心細いときに手を差し伸べる。そんな可愛くて健気でいい子な後輩がいたら、恋に落ちないわけがない。

「そうだよ、だって桃は可愛いから。だから」

 わけがない、なんて思ってるのに。桃の心の奥底にある不安はぐつぐつ熱湯みたいに煮えたぎっていた。不安、不安。不安で仕方がない。苦しい。なにこれ。

 桃の為に先輩を手に入れたい。桃の為、全ては世界一可愛い桃が世界一可愛くある為。

 一度ぐちゃぐちゃにかき混ぜられてから再度固めた自尊心は、なんだか変な形をしていた。


「先輩のばか。桃を頼るべきじゃないですか!」

 冷や汗を流して非効率的にうろつく先輩を見つけた自分の口から出たのは、まるで正義のヒーローみたいなセリフだった。自分でも驚いた。そんな、暑苦しい少年漫画みたいなの可愛いには似合わないよ。

「桃にとってヒーロー活動は日常の一部なんです。ご飯を食べたりおしゃれをしたり、学校に行ったり宿題をやったりするのと同じで当たり前の一つです」

 明かす予定の無かった、桃のズルい部分。そんなの、教えない方が有利なのに。桃の心は暴走して、非効率的で感情的で、自分でも何を言っているのかだんだんとわからなくなっていた。

「一般の人が思う程、桃は事件の解決に真剣に向き合えてはいません。だって毎日ですから、気も抜けるし緊張感も薄れています」

 こんな可愛くないところ、見せない方がいい筈なのに、グリーンもイエローも、いなくなれば都合がいいのに。打算的で、ずる賢い、それでいて最高に可愛い。それが石竹桃という少女の筈なのに。真剣な先輩を前にした桃は、桃らしくない。

「今は、先輩の為にちゃんと正義のヒーローになろうと思っていますよ」

 自分は一体先輩の何にあてられて、こんな事を口走ってしまったのだろう。

 何故か桃は、自分の事が一番可愛い筈の桃は、どうでもいい他のヒーロー達の為に必死になる先輩を眩しいと思ってしまった。先輩の為に動く非効率的な自分を認めたくなってしまった。


 おかしい、おかしい、おかしい、こんなの桃じゃない。汚い部分も我儘な部分も人間らしさなんて、思えない、だってそんなの無い方が完璧だよ。桃は。完璧で可愛くて誰からも愛される理想の女の子になるんだよ。


「桃は嫌がるかもしれないけど・・・フィランスピンクはめちゃくちゃかっこいいよ」


 それなのに、先輩の心からの「ありがとう」が、「可愛い」よりも胸に響いて、今まで自分の姿しか映らなかった大きな鏡が、突然広い世界とつながる窓になったような、そんな清々しさ。

 可愛いに無関係などうでもいい筈の感情が、宝石みたいにキラキラして、今まで何とも感じなかった先輩の視線がもどかしくて苦しい。

 それはきっと、桃が一番欲しがっていた気持ちなのかもしれない。可愛さ以外にも、愛する形があることと、先輩を想う自分は可愛いよりもずっとずっと輝いている事。


 先輩からもらった「かっこいい」が、何百万人の「可愛い」よりも尊いと感じた。


「・・・どうしよう、もしかして、これが」


 自分を制御できない。だけど、屋根を蹴る足取りは今までで一番軽やかだった。土砂降りの雨空は両手を広げて桃を受け入れ、力強く桃に抱き着いた先輩の腕に、胸の高鳴りを感じると同時に身体がスッと軽くなるのに気付く。

 先輩はアクセサリーじゃない。たぶん、桃の好きな人。桃の可愛い以外の魅力を教えてくれる人。


 そして、桃を「正常におかしく」してくれるひと。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る