第74話 桃と竜胆


「盗聴器の犯人を知りたかったものでね、少し罠を仕掛けさせてもらったんだ。私と空君が逢引していると知れば犯人は何かしら行動をしてくれるだろう?」

 私がそう言うと、桃は「やっぱり」と言った表情で怒りを解き、露骨に安堵する。私に試された怒りよりも私が空君に手を出していないという安心の方が大きいのか。

「罠ですか。では私は、まんまと引っ掛かってここに来てしまったわけですね」

 悔しそうに見せるのは演技、桃は非常に女の子らしい演技をする。実家でも学校でも、きっと可愛くて素直な少女を通しているのだろう。ヒーローの多くは生きるのが下手でアンバランスな精神状態に悩んでいる者が多いが、そういった意味でもやはり桃は特別だ。

 こんなに完璧で綺麗な外面を持っているのだから。


「そう悲観しないで良い、元々予想はついていた。最初は鶯君がやったものだと思っていたのだが、なかなか部屋から飛び出てこなかったからね。彼女の性格を考えれば、空君と私が浮気をしていると知ったら直ぐに文句を言いにここへ現れる筈・・・鶯君が違うとなれば、他にあり得るのは桃くらいだ。キミが今日ここに現れなくても桃を一番疑っていただろう」

「別にフォローしていただかなくて結構です。どうせ私は向日葵ちゃんみたいに純粋な子じゃありませんから」

「私からすれば桃も充分純粋で可愛らしい恋をしているよ。ただキミの賢さは少々厄介だ。キミはまだ若い、そのエネルギーの使い道を誤ったとてなんの不自然もない。だが、無理のあるアプローチは人生の先輩としてオススメし難いな。あの盗聴器、市販の改造品だった。一度や二度の素人が選ぶようなものでもないし、何より設置の仕方が大変上手だったね。今回が初めてじゃないな、桃」

 小型で音質の良い盗聴器は当然高価なもの。ヒーロー活動の報酬として桃達には充分な給与を与えているが、まさかその使い道が想い人に仕掛ける盗聴器とは驚きだ。

「えぇ、もう数える事もできません」

「家にも仕掛けているのか?」

「はい。先輩の部屋の電源タップに二か所、エアコンとブラインドの上に小型カメラを設置しています」

 随分と素直に教えてくれるな。場所までご丁寧に。隠しても無駄だとわかる程度には頭が回るという事か。


「なるほど、キミは『そういうタイプ』か。好きな人を四六時中見張りたいと言う気持ちはわからんでもないが、流石に盗聴や盗撮はやめてあげてくれないか? 空君が怖がっているからね、彼の為にもこれ以上は諦めてくれ」

「怖がる? それは博士の勘違いですよ」

 それは敵意などではなく、私を心底憐れむような相貌だった。

「博士は私の行為をストーカーか何かと勘違いをしていませんか? 私は自己満足や己の欲望のために先輩を観察しているわけではありません。これはあくまで未来の彼女である私の義務として行っているもの。花嫁修業と同じ、何の邪もないただただ正当な行いなんですよ」

 何を言い出すのかと思えば、酷く破綻した自己解釈だ。

「そのためなら愛する人を恐怖させてもいいとでも? 悪いが私はキミたちヒーローの司令官であり、ヒーロー同士の秩序の味方だ。多少の事は目を瞑るが彼が不安になってフィランスブルーを辞めてしまう可能性がある以上、桃の行動は見過ごすわけにはいかないね」


「そもそも先輩を怯えさせたのは博士です。貴女が勝手に暴いて勝手に教えたからですよね、桃はバレるような仕掛け方はしていません。桃は確かに先輩の事を監視しています。カメラで、マイクで、先輩の人生を拾い集めて毎日毎日毎日繰り返し先輩のことをモニタリングします。でも別に悪い事ではないですよ、先輩には絶対に気付かれませんし、結果的に桃が先輩の心を癒す材料となっているのです。監視によって得られた情報で桃の先輩への理解度は上がり、完璧になり、先輩はよりいっそう桃の事を好きになる。好きな人の事を知りたいと思うのも、相手に好かれるために相手を知ろうとするのも、至極当然の行いだと思いますよ。先輩は今苦しんでいる。そして桃に非がある。桃が鶯さんへの告白を提案したことで先輩は酷くストレスを抱える日々に沈められることになった。ただでさえ鶯さんと向日葵ちゃんのお世話で碌にプライベートを楽しむことも出来ていなかったのに偽装結婚までしては先輩の心はもうボロボロなんです。そんな先輩を助けてあげたいと思う桃の何が責められるべきなのでしょうか、桃にはわかりません」


 私を言いくるめるための屁理屈にも聞こえるが、残念ながら眼が本気だ。

「鶯の件は私が無理な指令を出したのが原因だ、桃に責任は無いからキミが空君をフォローする必要はない、それは私の仕事だ」

「ふぅん。仕事、ですか」

 熟れ過ぎた地獄の果実のような色をした濃くて暗い桃色の瞳が、無機質な蛍光灯に反射して赤茶色にチラつく。この大きな暖色の眼が少しだけ昔の茜に似て、私は苦手だ。

 桃は何もかも見透かしたような深い視線で私のことを閉じ込めようとしてくる。私が気付かない振りをして心の隅に捨ててしまったようなものがこの少女には見えているかのように感じる。


「じゃあ・・・仕事だから、先輩に盗聴器の犯人を教えるの?」

 突然剥がれた敬語は、ヒーローと司令官としてではなく、女同士の会話だと切り替えた彼女なりの意思表示のようにも思えた。

「しないさ、それを伝えたら空君は桃を嫌いになるかもしれないからな」

 これは嘘ではない。誰かが空君に盗聴器を仕掛けている可能性に気付いてから、最初に危惧した事はヒーローと空君の関係が終わる事だ。今の空君は正義感や義務感、危険に身を置くヒーロー達への労いと同情からフィランスブルーをやってくれている。それが未来予知の話なんかではなく、現実世界で自分に危害を加える者がいるとなれば空君の恐怖は増大し、フィランスブルーという役割から逃げてしまうかもしれない。

 幸か不幸か、彼も随分とヤンデレに毒されていたようだから盗聴器に動じない私の様子を見て今回限りのイタズラとして処理してくれた。もし空君が本気で怯えて全員に対して疑心暗鬼になっていたら先の作戦は全て水の泡となる。


「・・・だが、次があれば私は空君に告げ口する。今日も空君の警戒を解くために偽物の発見機を貸し出した。部屋にまで仕掛けられていないと知れば彼も安心するだろうからね。空君の部屋にある盗聴器は全てキミの手で撤去してくれ」

 部屋に盗聴器を仕掛けるのはそう難しい事ではない。部屋に招かれた際にこっそりと偽物の電源タップと入れ替えたり、視覚になる場所に小型のマイクを仕込む程度なら造作ない。

 しかし画角調整のいるカメラとなれば設置にそれなりの時間を要する。部屋の様子を画面に映す為にある程度リスクのある位置取りが必要だ。場合によっては複数回侵入して角度を整える事にもなるだろう。現時点で空君から実家にヒーロー達を招いた話を聞いていない事を踏まえると、察するに桃は不法侵入の常習犯でもある。

「私としてもキミという人材を失いたくはない。だからといってフィランスブルーを逃がすことはもう出来ない。これも我々の活動の為だ、理解してくれるか?」


 息をするように嘘をつき、無感情に罪を犯す。行き過ぎたストーカー行為を罪悪感ゼロで実行する彼女に、こんな常識的な取引は通用するだろうか。

「いいよ」

 と、私の予想に反して桃はあっさり頷いた。

「もう必要な情報は充分手に入れたから。別に桃は空先輩の寝顔を見たりエッチな姿を見たいから盗撮していたわけじゃないもん。ごみ箱を漁ったりもしないし、髪の毛を回収したりとかしない。ただ桃は先輩の情報が欲しいからやっていただけだし」

 ジー、とスクールバックのファスナーを開く。カバンの中から顔を覗かせたのは桃がよく身に着けているブランドのショッパー。その中にはフィランスピンクのスーツが入っていることだろう。

「先輩が桃の事をもっと好きになる為に必要な情報。大学の時間割とか、好きなテレビ番組とか、何時ごろにLINEが来ると嬉しいのか、何曜日に人恋しくなりやすいのか、好きな食べ物、好きな女性のタイプ、好きな漫画、気になっている映画、イベント、ショップ。とりあえず先輩をオトすのに最低限必要な情報は既に集まっているから、先輩が家に帰るまでに盗聴器もカメラも全部撤去しておくよ。あ、着替えるからロッカールーム借りるね」

 悪びれない桃の笑顔に、空君が嬉しそうに「桃とは漫画や食事の趣味が合う」と語っていたのを思い出す。まだ十八歳にもならないこの少女を見ていると、恋愛においても情報戦はいかに有効な手段か身をもって知らされるな。


「それに、ずっと観察して安全な立ち位置にいるのも飽きてきましたからね。鶯さんのせいで先輩の精神はボロボロだし、桃が焚きつけた向日葵ちゃんも行動するだろうから・・・桃もそろそろ本気で動かなきゃ。癒し枠にすっぽり収まるだけで、フェードアウトする負けヒロインは先輩の好みじゃないので。だからもう盗聴してる暇はないかも」

「はぁ、随分と策略に自信があるみたいだね。まぁいい、今回は桃の言葉を信じよう。司令官を裏切るなよ?」

「はいはい、わかってますって」

 背を向けたまま手を振って、もうここには興味が亡くなったのか黄色の地にピンク色のウサギが描かれたショッパーを手に持ち、立ち去ろうとする。


「・・・あぁ、一つ聞きたいんだけど」

 そのままモニタールームを出るかと思いきや、くるりと振り返り意味深な微笑みを張り付けて尋ねた。


「仕事だから先輩を守っているって、本気で言ってますぅ?」


 猜疑心。煽り。挑発。

「質問の意味がわからないな」

 勘が鋭く、嫉妬深い。この娘はもう既に立派な『女性』だな。

「・・・別に、わかんないならいいです。でも、そうやって自分は無関係ってカオして冷静ぶってるの、正直イタイですよ。竜胆は、か、せ?」

 静かに開く自動扉に吸い込まれ、煽るだけ煽ったツインテールは消えてしまった。


「小娘が、何も知らないくせに」

 扉が閉まる寸前の独り言は、声に出ていただろうか。


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