第73話 竜胆博士の謀
*
『私は女である前に研究者だ』
ついさっき口にした自身の台詞を思い出して、思わず笑みが零れる。
「世界平和に尽くす研究者か、くっくっく。私も随分なペテンだな。存外、研究者なんかより詐欺師のほうが向いているのかもしれん」
一寸たりとも感情の籠らない独り言を呟きながら、私は『スリープ』の文字をクリックした。テーブルに置かれたリモコンを操作するとプロジェクターは静かな機械音と共に上へと収納され、露になった白い壁と部屋の隅に置かれた棚にさり気なく増えた未開封の紅茶缶が目に入る。
現フィランスブルーを除いてだれも入れたことが無い秘密のプロジェクタールーム。その先にある更なる秘密が膨れ上がる事に内心怯えながら、私はタブレットを手に密室を後にした。
「さて、彼は上手くやってくれるだろうか」
浅葱空。変わった青年だ。話してみるとなんともつまらないほどに常識的で、人並みで、多少度胸がある面もあるがなんとも面白みのない人間だ。幼いころから研究者の血に支配されてきた私からすれば、茜という最高の素材があの平凡な青年に心を奪われているという現状が理解できなかった。
何故こんな男が茜の心を掴んでいるのか、それだけでなく他のヒーローにも好かれているのか、最初は不思議でならなかった。それは私自身が色恋に無関心で、ヤンデレとは対極の価値観を持つ女だからだと勝手に結論付けていた。だが今は、その結論が間違いであったと認めることが出来る。
「無駄なことを考えていても仕方がない。私達にはやるべきことが山ほどある」
今日の会議で空君への情報共有は成された。鶯の変化、そして茜が非常にアンバランスな状態になっているという事実。鶯に関しては現状維持をキープする他無く、空君も自分の判断で婚約という曖昧な関係性を作ることに成功している。
茜の問題は、どう解決すれば良いか私にもわかりかねるが、一番はやはり茜と空君をしっかり対面させることだろう。茜が空君と再会してから二人を長時間会わせなかったのはそもそも私の判断だ。それは一重に茜の目が覚めてしまう事を恐れたからだった。
茜は過去の出来事からくるほんの小さな記憶を美化し、その結果不自然な形で空君に執着していた。本人が目の前に居なければ思い出はいつまでも美化され続けるが、今の空君と出会ってしまえばそれは叶わなくなる。茜がもし空君に幻滅してしまったら、自分の恋心は勘違いだと悟ったら、あの子の強大な愛の力が失われてしまう恐れがある。
ただの恋愛感情ならば一瞬で萎える事は少ない。よほど相手にとって『地雷』になる言動をしない限りは、好意というものはゆっくりと萎んでいく。だがその好意が記憶と妄想だけで作られた場合は違う。自分の理想と空君という現実のギャップを知った時、茜が作り出した恋心は泡と消えてしまうかもしれない。
「まぁしかし、彼のヤンデレメーカーとしての才能は本物だと証明されたからな。もはやその心配は無用だろう」
適当に買ってきたデート雑誌を手に取る。コンピューターとモニターだらけのこの部屋に似合わない俗なアイテムは、先ほど空君に返されてしまったものだ。茜や他のヒーローとの逢引の参考にして欲しかったのだが、彼も実家暮らしの男子大学生、家族にこういった本を所持しているのを見られるのは恥ずかしかったらしい。
好きでもない女を助ける為にプロポーズする度胸や、あの自己愛に溢れた少女を照れさせるだけの才能を持っていながら、色めきだった事を母親にバレたくないと悩む小心を兼ね備えた青年。奇妙なことに、なんの能力も持たない彼がこの世界の未来を転がす最重要人物だ。
決して傷つけたり、逃がしたりしてはいけない。逃げ出すことがより寿命を縮める行為だと本人も理解できるだろうからその心配はないだろうけれど。
「鶯や茜、たった一人を相手にするだけなら彼も相当楽だっただろうに。才能というのは罪深いな」
プロポーズの件には驚いたが、幸い桃と向日葵は告白に至るまでの事実を知っている。向日葵に関しては鶯を傷つけたという罪悪感がある為、逆恨みの心配も少ない。望まない相手との婚約なんて、夢見るヤンデレ少女からすれば寧ろ好都合だ。空君がただ曖昧にするだけで彼女達は「本当は私の事が好きなのはわかっている」と解釈してくれる事だろう。
少し気になるのは向日葵の好意の形が出会った頃と変化しているように見える点だが、そのあたりは空君自身に接触を頼んだから報告を待つとしよう。幼い少女の恋愛というのは、我々大人には想像できない跳び方をするからな。かつてのヤンデレヒーロー達も、より年齢の若い子程能力にムラがあったものだ。
さて、空君との情報交換と方向性の指示という目先のタスクを済ませたこと再確認したところで、一休みするとしよう。息抜きがてらモニターの前に腰を下ろそうとしたと同時、客人の訪問を知らせるブザー音が鳴った。
「やはり彼女だったか」
どうやら息抜きはもう少しだけ先になるようだ。
音声も繋げず直ぐに自動扉を開けると、そこには予想通りの人物が立っていた。
無防備に扉を開けたのは、ここで私に手を出す程彼女が馬鹿ではないという信頼と、なにより殺す気で来たのならスーツを制服の中に仕込んでくるはずだとわかっていたからだ。監視カメラに映った今日の恰好を見れば、ヒーロースーツを着用していないことくらいはわかる。他のヒーローだったらそうはいかないが、彼女は常日頃スーツを持ち歩き、任務の度に着替えてから出動している。周囲に怪しまれることなく、きちんと社会に溶け込んでいる歴代でも数少ないヒーローだ。
「桃。今日は非番の筈だろう」
私が平然とした顔でその名を呼ぶと、彼女は咄嗟に余所行きの笑顔を作る。
「えぇ、ちょっと博士の顔が見たくて」
当然私には、桃が何をしにここへ来たのかわかっている。しかし、念のためある程度焦らしておく方が良いだろう。
「最近お話しできていませんでしたから、ちょっとお邪魔させていただきますね」
私の許可も取らずに、ずけずけとモニタールームに入っていく。桃は部屋を見回してから私に向き直った。
「今日はおひとりですか?」
「あぁ、さっきまでいたのだが。もう帰ってしまったよ」
まるでついさっきまで誰かがいたことを知っているかのような口ぶり。そもそも、この無駄に広く作った基地内で私のいる部屋を即当ててしまう事なんて監視でもしていなければ不可能だ。
「・・・先輩と、何をしていたんですか?」
私がいたずらに焦らしているだけだと気付いたのか、桃はさっき張り付けた笑顔を剥がして敵意を剥き出しにする。私がこの部屋にいることも、空君がここにいたことも、知っていることを隠そうとするのはやめたようだ。
スカウトした時から思っていたが、桃はヒーローの中でもかなり肝が据わっている。今もこうして、上官である私を、泥棒猫を見るような鋭い視線で睨みつけている。
「別に、ただ仕事の話をしていただけさ」
「年下の部下に迫るなんて、恥ずかしいと思わないんですか?」
「なんのことだね?」
「空先輩とお付き合いしているんですか?」
「君がそう思うならそうかもしれないね」
「・・・っ」
プルプルと震え、両こぶしを地面に突き出して俯いてしまった。少し揶揄い過ぎたようだ。
「いやいや、すまない。さっきのはただの演技さ。私と空君にふしだらな繋がりは無いよ」
「・・・」
相当私の事が信用できないらしい、桃は先程から脅すようにスクールバックをちらちらと見てはこちらに鋭い視線を送ってくる。スーツさえ着ていればいつでも殺せる、とでも言いたいのだろう。
残念ながら、そう簡単に下剋上させる気はない。
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