第70話 収束する恋心


 指先が凍り付くような感覚。それは無意識に広がり、じんわりと面積を広げていった。肩の向こうと、太ももから先の触覚がぼんやりと曖昧になる恐怖に耐えられなかった俺は、右手で拳をきつく握って自身の膝をたたいた。


「どうしてこんな未来に・・・」

 容赦なく振り下ろされた痛みに俺は現実を取り戻し、精一杯の冷静さで竜胆博士に尋ねた。

「未来の俺に、何があったんですか。一人で何もできない身体になって、貧弱な雛鳥みたいに鶯さんにお世話されて」

 再生終了の画面が表示されたプロジェクターに目を向ける事すら怖い。

 最初に見た未来予知で、俺は自分が殺されるところを見た。その時も強い恐怖に襲われ、彼女達と顔を合わせるのが怖いと感じてしまった。でも、今回はそれよりも怖い。死ぬよりはマシな筈なのに。

 多分、何処か安心していたのだろう。自分は安全だって、二股をかけるとか好意を踏みにじるような酷い行動をとらなければヒーロー達が俺に危害を加えることはきっと無い。もし死人が出るとしても、それは俺じゃないと心のどこかで安寧を確信して自分の死という一番怖い未来をそこまで深刻に見ていなかった。

 それなのに、未来の俺があまりに幸せそうに、心の底から恋をしていたから。そしてそれが自分の中で強くしっくり来てしまった。今まで見てきた悪夢みたいな未来じゃなくて、あり得る世界だと俺はハッキリと感じたんだ。


「ヒーローの仕事は・・・危険な仕事は、しなくていいんですよね。博士」

 俺に何か不幸が起き、自立できないからだとなってしまう。それを甲斐甲斐しく世話してくれた鶯さんの優しさに胸を撃たれて、あの世界の俺は鶯さんを好きになった。短い映像から導き出された予測は、俺の身に危険が迫っている予知になる。

「もちろんだ。今後も空君を危険な場所へ出動させる気は無い。キミの仕事は彼女達との交流だけ、普通のヒーローと同じような活動は一切求めないと誓おう」

「だったら。どうして俺はあんな目にあっていたんでしょうね」

 片腕を骨折する程度なら日常生活でもあり得る話だろう。階段から転げ落ちたり、小さな事故にあったり。でも、四肢が完全に動かなくなる程の大事故となれば、自分が遭遇する可能性をどうしても否定せずにはいられない。

「この話は、向日葵の・・・いや、桃の方が刺激は少ないな。桃の新たな予知を見てから空君自身で考えて欲しい。これ以上不快な思いをしたくないというキミの気持ちもわかるが、それでもキミはこの先を見ておく必要があるんだ」


 返事をする元気もない俺は、その代わりに未だに留まらない冷や汗だらけの手のひらを改めてギュッと握り、白い壁面へ目を向けた。





 その映像は、直ぐに始まった。場所は見慣れた景色。この基地内の映像だ。

「何をしたの」

 会議室か多目的室のような、折り畳み机とパイプ椅子だけ置かれた殺風景な部屋に現れたのは桃だった。ヒーロースーツを着たまま、マスクだけ脱いでいる。呼吸は乱れ、細いピンク色の横髪が汗で頬に張り付いている。その姿は今の桃と大差ないように見えた。

「空先輩に何をしたんですか、と聞いています」

 二人の新居等を映した他の未来予知映像と異なり、画面に映っているのはただのヒーロー基地の一室。そして、何故かそこには俺の姿が無い。

「なんのことでしょう?」

 代わりに桃の話し相手となっているのは、鶯さんだった。素朴なデザインのジャージに身を包んで少し高い位置で髪を括っている鶯さんは、ついさっき会った本物と全く違いの無い姿をしている。これだけでもこの未来が比較的近い物だとわかる。

「あんたが・・・」

 俺と桃が結ばれた未来を再生している筈なのに、桃は鶯さんを強く睨みつける。出会って直ぐの頃に見せた、フィランスレッドに強く嫉妬していた仄暗い表情とはまた異なる果てしない怒りを込めたような眼。

「あんたが空先輩をあんな風にしたんだろうがぁ!!」


 ガシャン。と、桃の傍に会ったパイプ椅子が吹っ飛ぶ。

「桃にわからないとでも思ったのか、騙せると思ったのか。あんな事できる人間はこの世であんたくらいだろうが。常盤鶯!!」

 桃が宙に手を広げるとその殺意に応えるように二丁の銃が現れた。チープな玩具の銃口からは鋭い金属が顔を覗かせている。激しく揺れるツインテールも、殺意と怒りに顔をゆがめ、荒々しい口調となった桃には似合わない。かつて未来で俺を殺した時ですらいつもの可愛さを貫いて笑顔だったのに、こちらの桃にはそんな余裕すら見えない。

「治せ! 今すぐ先輩を元に戻して! そうしなきゃあんたのこと殺すから」

 微塵の迷いも無く金属は丸腰の鶯さんに向けられる。広い部屋だがその間は3メートル程度、桃なら外さないだろう。

 そして現実の俺は、桃の怒号に圧倒されながらもその言葉の奥に込められた嫌な事実を察しかけていた。

「・・・嫌です」

「はぁああぁ!?」


 バシュン!

 怒号と共に響く金属がしなる音。放たれた切先は鶯さんの数センチ横の壁に勢いよく突き刺さっていた。そして、拘束で巻き取られたワイヤーがあっという間に桃と鶯さんの距離をゼロにする。ボロボロと崩れる壁に鶯さんを追い詰め、もう片方の手に持った拳銃を今度はしっかりと鶯さんのこめかみに突きつける。

「もう一度同じことを言ったら、今度は本気で殺す。次は外さない」

 引き金にあてた指が震えているのは恐怖では無く増大する殺意。ヒーローがヒーローを殺すところなんて、例え予知でもこれ以上見たくない。


「いいんですか? 私を殺して」

 しかし、当の本人は不気味なほどに落ち着いていた。

「私を殺したら空さんは2度と元には戻れない、貴女もそれをわかっているから・・・外れたんじゃなくて、外したんですよね」

「なっ!?」

「自分の物にならないくらいなら殺してやる。今の貴女にはそんな決断考えられない筈です。だって夢見がちな可愛い少女のアクセサリーとしてではなく、本気で空さんを好きになってしまったのですから」

「そんな、そんなことない、殺す。あんたも、桃の事を2度と思い出せなくなった先輩も、全部殺してやる、殺す。殺す殺す殺す殺す殺す!!」


 こんなに言葉にしているのに、桃の言葉は殺意の無い空砲みたいに鶯さんには届いていなかった。カラカラの叫び声をあげ続けた桃は、ついにぼろぼろと涙をあふれさせる。

「殺してっ・・・やる、ぜっ、ぜったい」

 手に持った銃は、見た目通りの玩具のようで、壁に追い詰めたはずの桃は立っているのがやっとなほどにぐしゃぐしゃに崩れ始める。

「貴女が身を引けば空さんは無事です。それが一番、効くでしょう? 今の貴女には」

「なんでっ・・・どうして。好きなら、酷いことしないでよっ、先輩、怯えて、ぐすっ、辛そうで、もう、見てられない、こんなの可笑しいじゃん」

「可笑しいのは私でも空さんでもなくこの現状です。私が空さんに愛されていないという事実が可笑しいだけです。私はただ、それをやり直すだけです」

「ゲームじゃ、ないんだ。本気で先輩は苦しんでる、ねぇ、お願い、お願いだから先輩をもとに戻してよ、あんたなら出来るんでしょ、お願いだから、先輩を返して、お願い、お願いします・・・」

 言葉を詰まりながら、言いたいことをかき混ぜながら吐き出てきたセリフを鶯さんは冷たく見下ろしていた。普段の気弱でおとなしくて、押しが強い時もあるけどいつも穏やかだった鶯さんとは似ても似つかない、冷酷な魔王のような視線。


「自分の可愛らしさにしか興味がない筈の石竹さんが、こんな風になるなんて・・・やっぱり私の旦那様は魅力的な人」

「あんたも先輩の、空先輩の事好きなのにどうしてこんな事になるの」

「・・・私は、空さんの何者にもなれなかったの」

 ハッとした顔で見上げる桃に、余裕綽々にクスリとほほ笑む。

「妻なのに。私は空さんの愛も、慈悲も、憧れも、何も得ることが出来なかった。私が選ばれたのに、私には何の役割も与えられなかった。空さんの人生における何役にも選んでもらえなかった」

「な、何を言って・・・?」

「気付いていないとでも思ったの? いいわね、石竹さんは空さんに愛されて。空さんには私という妻がいるのに空さんの愛情を全て注いで貰った気分はどう? ただ嬉しいのか、背徳的なのか、罪悪感はなかったのか。私にはわかりませんけど、それはきっと幸せなのでしょうね」

 萎み切った桃の殺意をあざ笑うかのように、銃口に掌を当てる。

「無かったことにして欲しい、と言われたの。私が気付いていないとでも思ったのでしょうね、空さんは意外と鈍い所がありますから。愛する夫の好意が誰に向いているかなんて、風向きを知るよりもずっとわかりやすいのに」

「だからって、あそこまでしなくていいじゃん、先輩を傷つける必要はないじゃん」

「空さんを傷つけるつもりはありませんよ。ただ、あの人を手放さないだけ。もう一度、全部やり直して改めてあの人の特別な妻になるの。今の空さんにとって私は向き合う価値の無い女だった、特別に昇格させるに値しない妻。そんなのいけない、私は空さんの特別な愛を受けて初めて私になれるのだから。だからやり方を変えるの。それには貴女達は邪魔。蘇芳さんも朽葉さんも、全員舞台から降りてもらわないといけないの。孤独になって、世界一心が弱った時に私が癒してあげるの、そうすればきっと、空さんは今度こそ本当に私を愛してくれる。私から離れないでいてくれる。無理矢理縛り付けた愛に意味なんて無い、ちゃんと私を心から好きになってもらって、それで、その時は、本気の告白と愛を空さんから貰うの。今度こそ絶対、上手くやって見せる、愛されてみせる。無かったことにしたいなんて思わせない、私を選んでよかったと、最高で特別な女性だと空さんに想われて見せるの。だから・・・」

 弱々しく退路を塞いでいた桃の腕を軽く払い、鶯さんは幸せそうに言い放った。

「ごめんなさい。空さんの事を愛しているなら私に譲って下さい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る