第69話 常盤鶯との幸せな未来

「どういうことですか、未来は変わったんじゃ・・・?」

「あぁ、変わったよ」

 惚けた顔で聞き返す俺に、博士はノートパソコンを開きながら答える。

「おそらく、悪い方にね。何故曖昧な言い方をするのかというと、ここからどう傾くのか私にも想像がつかないからだ。もしかしたら良い方へと向かうかもしれないが・・・どちらにせよ今までの未来よりも大きく傾き、変化したものになることは間違いない」

 博士の神妙な面持ちは、それがただ事で無いと言っていた。

「だけど勘違いしないで欲しい、空君の行動は間違ってはいないよ。もしキミが鶯を助けることが出来なかったら、空君と鶯の未来を見ようとしても永遠にエラーが表示されるだけだっただろうからね」

 結ばれる可能性のない二人の未来は見えない。片方が死ぬ事が決まっていれば未来予知は使えないだろう。


「ただ、今回ばかりはキミの素質が強すぎた。鶯の才能を強く開花させてしまったようだ。言っただろう、誰か一人と結ばれることは危険だと」

 彼女達に愛されている状態で誰か一人を選ぶことはヒーローの暴走を誘発しかねない、元々博士から言われていた事だ。失恋によりヒーローとしての能力を失うだけでなく、拮抗を保っているとは言えない不安定なパワーバランスがより一層崩れ、何が起こるか予測できない。

「幸い、現時点では桃にも向日葵にも能力の低下は見られていない。寧ろ向日葵に関しては何故か日に日にエネルギーが増しているようにすら見える・・・この辺りはまぁ、本人に会えば理由はわかるだろうな。とにかく、今直ぐヒーロー活動に支障がでる事は無いだろう。ただ、この平穏があと何か月、何週間続くかなんて本人達にすらわからないんだ。今我々は導火線の見えない爆弾を大量に抱えているも同じ状況、しかも最大級のね」

「そんな・・・俺はどうしたらいいんですか。やっぱり鶯さんにプロポーズは嘘だったと伝えるべきじゃないですか? その、もしも鶯さんが逆上した時の為に桃達にも協力してもらうとか」

 カチッ。と小気味よいクリック音を合図に壁にかけられたプロジェクターにデスクトップ画面が映る。


「さて、準備が出来たよ。まずはこれを見てから・・・キミの意見を聞きたい」

 殺風景な部屋の壁に映し出される殺風景なデスクトップ。今から見せられるものが何か察した俺は、ソファーに浅く座り直してプロジェクターに目を向ける。すると、博士が聞こえない程小さな声で何かつぶやいて、映像が流れだした。



―――

「空さん、ただいま帰りました」

 どこかで見たことのあるリビング。いや、よく見れば違う部屋が映った。それはかつて未来予知で見た鶯さんと俺が夫婦生活をおくっていた部屋に非常によく似た場所。しかし間取りがなんとなく違う気がする。

 暗い緑色と爽やかな薄水色でまとめられたリビングは女性らしくセンスが良い。壁にかけられたミモザの花の刺繍があしらわれたエプロンは見覚えがあるデザインだ。きっとこの部屋は鶯さんの趣味で構成されているのだろう。

「ふぅ。今日もたくさん疲れました」

 オフィスカジュアルと言うのだろうか、清楚でカッチリした私服に身を包んだ鶯さんは今より少しだけ大人っぽい気がする。髪はセミショートくらいの長さで降ろしていて、より『綺麗なお姉さん感』が出ている。

 鶯さんが帰宅したにも関わらず俺はリビングに姿を現さない。しかし、鶯さんはそれを特に気に留めず奥の部屋に入っていった。


「あら、起きていたんですね」

 映像は鶯さんに追尾するように移動し、寝室を映す。

 明かりのついた広々とした寝室は中央にダブルベッドが鎮座し、すずらんのような形の間接照明がベッドサイドをどこか妖艶に照らしている。ダブルベッドのど真ん中で身体を起こしているのは少し老けた顔をした俺だ。

 驚いたのは、俺の顔色が良い事だ。前に未来予知を見た時は常に顔色が悪かったり不機嫌そうだったり、とにかく自分で見ていて辛くなるような未来の自分ばかりが映し出されていた。しかしこの映像の俺は、妻が帰宅したのを何故かベッドで迎えている事以外は不自然なことが無いほどに健康そうな顔をしている。

「おかえりなさい! そろそろ鶯さんが帰って来る気がして、起きてました」

 俺の声だ。外から聞く自分の声はやはりくすぐったいが、これは今まで聞いた中でも特に恥ずかしい。

 PCから流れる俺の声色は凄く浮かれたもので、こんな短いセリフなのに子供のようにはしゃいでいるのが声だけでわかるほどだった。目の前の相手と喋る事が嬉しくてたまらないといった様子で好意を全然隠し切れていない。傍から見ていて痛々しい程の明るさを振りまく自分を見せつけられ酷い辱めを覚える。こんな事は初めてだ。

 残念なことに俺には浮かれるような恋愛経験が無いので、ただただ画面の向こうのご機嫌な俺が不気味で仕方ない。

「ふふっ、そんなことわかるんですか?」

「わかりますよ、大好きな鶯さんのことですから」

「もう、調子がいい人ですね」

 な、なんだこれは。俺はベッドに身体の下半分をうずめたままニコニコと笑っている。鶯さんもジャケットを脱ぎながら照れ臭そうにそれに応え、まるでごく普通のバカップルのようだ。浮かれすぎて周りがちょっと見えなくなっている、駅の改札前でキスしていそうな二人。目に余るし痛々しいけれど独り身からすると羨ましさとか眩しさを感じてしまいがちなタイプの、二人だけの世界に入っている系恋人同士。

 こんな平凡な未来があっていいのか。


「こんな俺はきらいですか?」

 俺は可愛くも無いのに小首を傾げて甘えた声を出す。やめてくれ。

「馬鹿なこと言わないでください。わかってるくせに」

 本当にどうしたんだ俺は。なんというか、むず痒いしちょっと気持ち悪い。

「・・・鶯さんが俺のことを好きでいてくれるのは知っています。でも、時々心配になるんです。鶯さんみたいな完璧な女性がここまで俺を大事にしてくれるのは何故だろうって」

 色ボケ、という言葉が良く似合う。前世でどんな悪いことをしたら自分が惚けてロマンチストになっている姿を俯瞰で見なくてはいけないんだ。これはグロテスクな映像とは違った理由で見ていられない。

 というか、俺の方が面倒くさい男になっている気がする。感染したのか?

「恋人同士の平凡も、結婚生活の憧れも、俺じゃ殆ど叶えてあげられない。俺の力では鶯さんを幸せに出来ないのに、どうしてこんなに愛してくれるんだろうって。でも、どれだけ考えても答えは出ません。だから俺は、ただ自分に出来ることをするしかないんです」

 でも、これだけ鶯さんの事を愛していると言うのに映像の俺は未だにベッドから出てこようとしない。外から帰ってきた愛する妻に、飛び掛かる勢いで抱きしめてもおかしくなさそうなのに。


「一人で歩けない、食事も出来ない。そんな俺が出来る事は本気で鶯さんに愛を伝える事だけですけどね」


 違和感と、俺の言葉が一致した時。俺の視線は二人の表情以外の場所へと向いた。

 にへら、と笑う俺の肩から向こうに見えるのは玩具みたいにただぶら下がっているだけの腕。そして、さっきまで視覚になっていたベッドの向こう側には車いすが置かれていた。


 その姿を見て、嫌な理解をした。途端に現実世界の自分の指先と足先に冷や汗が溢れ出す。


「何もできなくなった俺を、ずっとずっと見捨てないでくれてありがとう。貴女を抱きしめる腕も、一緒に出掛ける脚も全部動かなくなってしまったのに、全てを失った俺を変わらず愛し続けてくれてありがとう。・・・鶯さん、俺には貴女しかいません。俺は何もできないけど、一生貴女だけを愛しています、俺の心は全部鶯さんの物です」

 画面の向こうの俺はだらしなく枕に寄りかかりながら、心の底から笑って愛を囁いていた。あの時のプロポーズとは違う、本気の愛を。


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