第68話 竜胆博士の思惑


「どうしたんだい、空君。そんな風に熱い眼で見られると照れるじゃないか。さぁ、いつものように私に甘えてくれていいのだよ?」

 博士の言動は不自然過ぎる。こんな事を言っておきながら博士は俺の口を塞ぐだけでそこから何かする様子も無いし。胸元のボタンだって俺が最初に見た時からそれ以上は外してはいない。


 意図が読めないこの状態、どうしようもないな。逃げたらいいのか、乗ったらいいのか、とりあえず様子を見て・・・ん?

「・・・・・・」

 右手は相変わらず俺の口を塞いだまま、博士は反対の手の人差し指を唇にあてている。要するに静かにしろってことだろう。

「・・・?」

 わけもわからずこくこくと頷いておく。博士はヒーローじゃないし、いざとなれば力ずくで逃げ出せる。口を押えられた今だって、本気を出せば御せないわけじゃない。

「・・・・・・」

 博士は俺が抵抗しない事を確認すると、俺の口を閉じさせていた手を離してくれた。やはり何か思惑があるのだろう、なすが儘に黙っていると博士はそのまま俺の背中に腕を回し、服をまさぐり始めた。


「えっ!?」

 ふいに出た声を今度は自分の両手でふさぐと、博士は少し困ったように笑って俺の服の中に手を入れ始めた。背中、腰、尻、そしてベルト。まさぐる、という言葉が相応しいほどに俺の服の上を博士の長い指先が滑らかに自由に動き回る。なんだかくすぐったい。


「・・・ほう」

 まさか本当に脱がされるんじゃないかとドキドキしていたところで、博士は安堵のため息のような声を漏らして俺の尻ポケットの方から何かを奪い、手を引っ込めた。

「いや、悪いね。ちょっとゴミを見つけたものだから」

「え?」

 博士が手元を背に隠したと同時、パキッ、と何かプラスチックのようなものが割れる音がした。

「もう普通に喋っていいよ、空君」

「は、はぁ」

 今の奇行はなんだったのだろう。

「いや、すまないね。これから君に大事な話をするのに余計な人間に聞かれては困るもので、少し強硬手段を取らせてもらったよ」

「どういう意味ですか?」

「これだよ」

 博士は先程何かを握った手のひらを俺に見せてくれた。それは直径三センチ程度だったと思われる黒くてちゃちい何かの装置のようなもの。

「なんですかこれ」

「盗聴器だ。君に仕掛けられていた」

「盗聴器!!?」

 って、あの探偵とかスパイとかが使うあれのことか。

「今日は誰と会った?」

「だ、大学の友達と、鶯さんだけです」

「ふむ」

 博士は何を思ったのかキーボードを操作し、無数に並ぶモニターの画面を切り替えた。映ったのは変わらず基地内の監視カメラの映像だが、この広い基地に多少慣れた俺はそれが何処を現しているのか多少はわかる。

「鶯さんの部屋の前ですね」

「そうだな」

 人差し指の背を軽く口にあて、考え込むような動作のままモニターを凝視していたが、暫く経過しても誰かが映る様子はなかった。

「・・・なるほど」

「えっと、説明してもらってもいいですか?」

「すまないが犯人に見当はつかないよ。君に盗聴器が仕掛けられていたからそれを破壊したというだけだ。さっきも言ったが、これからする話は他の娘達に聞かれては困るからね。勿論隠し部屋についても知られたくない」

 盗聴器。誰がそんなことを・・・というか、今日鶯さん以外のヒーローとは会って無いんだよな。大学の友達が俺に盗聴器を仕掛ける意味が解らないし。いや、鶯さんでも意味が解らないけど。でも鶯さんならいつでも隙はあっただろうし、信じたくないけどそんなことまでするのか。

「この部屋自体は安全だ。何らかの方法で入ることは出来たとしても確実に痕跡が残るようにしてある。というわけだ、プライバシーが保証されたところで奥の部屋に行くとするか」

「え、でも、盗聴ってマズいじゃないですか。これからまた仕掛けなおされる可能性もあるってことですよね。ていうか今までも聞かれてた可能性があるんじゃないですか、その、俺が一人で自分の部屋にいる時の独り言とか・・・」

「今更盗聴器くらいで驚かないでくれよ。ヤンデレの三種の神器だろう。安心してくれ、君が夜な夜な一人で少年漫画のセリフを音読して悦に浸る趣味があったとしてもそれくらいで嫌いになるような女性はここにはいないよ」

 残りの二つの神器はなんですか、と聞く余裕は無い。というか気にしているのはそういうことじゃないし、そんな変な趣味は無い。

「気になるなら後で手軽な探査機を一つ貸してあげよう。今度見つけたら私に報告してくれ」

 まるで俺が我がままを言っているかのようにため息をつかれてしまった。そんなに盗聴って一般的なコミュニケーションだったのか?

「は、はぁ。ありがとうございます・・・」

 口先でお礼を言いながら、今までどんな独り言を言っていたのか真剣に思い出そうとしていた。流石にヒーローの誰かを『そういう妄想』に使った事は無いのが救いだけど、とにかく全てにおいて恥ずかしくて死にそうだ。盗聴器は今日だけだったと無理矢理信じることにしよう。


 博士はというと、そんな俺の事を全く気にも留めない様子でタブレットを弄っていた。コンピュータールームの奥の壁がガコンと音を立てて開き、隠し部屋が現れる。最初に未来予知を見せてもらったあの部屋だ。あの時の重々しい記憶が少しだけフラッシュバックしてこの部屋がトラウマになってしまいそうだ。


「お、お邪魔します」

「あぁ、お邪魔されよう」

 相変わらず隠し部屋は殺風景で、小さな会社の応接室のようなこぢんまりとした印象を受ける。

 ソファーに座り脚を組んだ博士は「悪いが粉を切らしているんだ」と笑っていた。コーヒーのことか、別に構わないけど全然悪いと思っていなさそうだ。

「まず、君には言っておくことがあったな」

 そりゃそうだろう。俺のプロポーズのせいで今修羅場に拍車がかかっているのは誰が見ても明白だ。


「・・・・・・鶯を救ってくれてありがとう」


「へ?」

 堂々として、飄々と、いつもと変わらぬ掴みどころのない表情の竜胆博士だが、その言葉にだけは粛々とした重さを感じた。

「必要だったとは言え、鶯と向日葵を同じ任務に行かせた私の判断は間違っていた。二人の気持ちを知っていれば衝突する可能性にだって気付けた筈だし、向日葵が暴走すれば鶯の命が危険だと言うことも想定できない事ではなかった・・・完全に私のミスだ」

「いや、そんな」

 正直叱られると思っていたので、逆にしょんぼりとしている博士に面食らう。

「空君の判断で鶯の命が救われたと聞いた、よくあの場で彼女を救ってくれた。桃に手助けさせた事も含めて君のフィランスブルーとしての行動は素晴らしいと賞賛したい」

「あ、ありがとうございます。でもその、鶯さんを助けるために、俺、プロポーズとかしてしまったんですけど」

「・・・まぁ、それも聞いて驚いた」

 責任を感じているからか濁してくれているが、やっぱりプロポーズはまずかったよな。

「してしまった物は仕方がない。彼女が死ぬよりずっとマシだろう」

「その話ですが、思ったんですけど早いうちに鶯さんにあれは嘘だったと言った方が良いんじゃないですか? 博士の指示があったから誤魔化し通す方向にしましたけど、もう鶯さんは怪我も完治しているのでここで嘘だと言っても命に別状はないと思うんです。もちろん俺への信頼は無くなるでしょうし、悲しませる事になりますけど、無暗に先送りにする方が危険な気がします」

 指示が無ければ嘘を告白できたとは限らないけれど。

「それに、長い間気を持たせるほうが後々可哀そうと言いますか、今なら傷が浅く済むかもしれないかなぁと」

「実は私もそう思っていたのだが、少々状況が不穏になってしまったのだよ」

 これ以上不穏になることがあるのか。今でも十分崖っぷちを渡り歩くような関係性だと思う。


「実は、君がプロポーズしたことによって未来予知の内容が大きく変化したんだ」

「そ、それはっ」

 やっぱり、未来は変えられるんだ。

 鶯さんと夫婦になることによって予知された未来に近付いているように見えたが、実際は鶯さんの考え方が大きく変わっていた。予知の鶯さんは俺に守られるために自傷と嘘を続けていたが、現実の鶯さんは寧ろ俺を養って支えたいと願っている。恐らく俺の行動によって鶯さんが改心しかけているということだ。

「良かった、俺もそうじゃないかと思っていたんです」

 つまりこのまま俺が鶯さんを改心させ続ける事によって、いつか俺達の未来が『ごく普通の夫婦』に代わる可能性もあるということ。やはり俺の行動は無駄じゃなかった。だから今回の料理には何も混入していなかったということか。


「あー、空君。喜んでいるところ悪いが、私の話を聞いてくれるかい?」

「あ、はい、すみません」

「新たな予知について、悪いニュースと絶望的なニュースがあるんだが、どっちから聞きたい?」

「え?」


 あぁ、こういうのが耳を疑うということなんだな、と。まやかしのハッピーエンドにぬか喜びした自分が滑稽だと笑えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る