第66話 浅葱空の夫婦計画


「鶯さん・・・!」

 机に手をついて中腰に立ち上がり、鶯さんとの距離を詰める。すると、彼女の黄緑がかった瞳がきゅっと縮こまった。視線をそらさせないと言わんばかりに俺が熱心に見つめると鶯さんはか細い声で返事をする。


「は、はぃ」

 この人は自然に触れてきたり、積極的な言葉でアピールする割に、前に俺がうっかり手を掴んでしまった時にはかなり動揺していた。鶯さんは大人っぽいし美人で落ち着きのある雰囲気から多くの男性に言い寄られたりそれをかわす術に馴れていると勘違いしがちだが、実は男性の好きな料理をネットで調べるくらいには交際経験に乏しい。


「鶯さんの気持ちはよくわかりました。でも、俺の気持ちもわかってください!」

「そ、空さんの気持ちですか?」

「いいですか、男はとにかく格好つけな生き物なんですよ。馬鹿なくらい変なプライドを大事にしているんです」


 つまり鶯さんは押しに弱く、男性の事をよく知らない!


「高収入の奥さんに養ってもらって専業主夫。確かに魅力的に聞こえるかもしれない、正直俺だって心が揺れます。男子ですから、馬鹿な男子大学生ですからね。毎日イチャイチャし放題な新婚生活なんて夢に決まってます!」

「い、いちゃ・・・」

 ぼっ、と鶯さんの顔が真っ赤になる。夫婦が一緒に暮らすことになったらどうなる事を想像していなかったとは思えないが、今まで流される側だった俺の口から言われると照れてしまうのだろう。

 ちなみに俺も内心滅茶苦茶に恥ずかしくなってきたがここでブレーキを踏んでいてはフィランスブルーの名が廃る。

「でも! でもですよ!? 鶯さんはフィランスグリーンです。確かに一般的な話なら家の事をするのも外で働くのもどちらも大変だからそこに優劣をつけるのは良くない・・・夫が家に居るというのも珍しくはないでしょう。ましてや将来的に子供ができたら育児の負担だってある」

「こここ、子供ですかっ」


「ですが! 外での仕事というのがヒーロー業ならわけが違う。間違いなく日本で最も厳しくて辛くて命がけで大変なお仕事でしょう。秘密を守るためにプライベートには制限があるし、この間のように命に係わる任務も避けられない。災害や事故が起これば早朝だろうが深夜だろうが誕生日だろうが家族の葬儀中だろうが構わずに出動しなくてはいけない。しかも殆どの仕事が単身で、ヒーローとしての辛さを分かち合える相手も少ない。確かにその分多くの給料は貰えますが、医者や救急隊を凌ぐレベルの、ぶっちぎりで精神的にも肉体的にも苦労の多い仕事だと思うんです!」


 ここだけはちゃんと本音だ。本人達があまり深刻にしていないせいで忘れがちだが、彼女達が心も身も削って働く孤独な功労者であることは間違いない。人数が少ない上に能力の差があるから任務によっては非番でも呼び出されるし、桃みたいに普通の学生のフリをするのは至難の業だと思う。

 だけど今は、その一般的な大変さを利用させてもらう。


「つまり俺は、鶯さんにそんな大変な仕事をさせて養ってもらう事になるんです」

「先ほども言いましたけど私は空さんの為なら別に・・・」

「俺が嫌なんです! 鶯さんに危険な仕事をさせて俺は安全な自宅で安全な生活。金銭的にも労働力的にも俺が鶯さんを支えられるのはほんの少し。鶯さんはほぼ自力で立っていて、ほんの隅っこを支えているだけの生活。対して俺は鶯さんが身を削ったお金で食わせてもらうなんて、どれだけ部屋をピカピカにして毎日お弁当作ったとしても割に合わない。鶯さんの功績が大きすぎて割に合わないんですよ!」

「私は別にそんな凄い事は・・・」

 俺の言い分に困惑しつつも満更でもない様子。前々から感じていたが、鶯さんは現実でも未来予知でも直ぐに不安になって相手に縋ろうとする節がある。それらは鶯さんの自己評価の低さから来ているもので、ヒーローという職業の秘匿性と、茜さんという最上位の存在がいるせいで自分の活躍を実感できていない事が原因だろう。

 ならば俺は、鶯さんを肯定して、さらに男としての願望を突き通して見せる。

「そんなこと無いです! 鶯さんは凄い人だ。国民にとっても、俺にとっても頼りになる素敵なヒーローです。鶯さんの力で救われた人や鶯さんのファンはどれだけいるのか測り知れない。それはとても良い事です・・・けど、俺は鶯さんに頼られたいんです」

「私に頼られたい、ですか?」


「・・・男が一番カッコつけたい相手は好きな女性なんです!」


「す、好き!?」

「そうです、俺が最もカッコつけたい、頼られたいと思うのは鶯さんです。大学も卒業してない、就職経験もない、ヒーローとしての能力も凡人なままで貴女に尽くしてもらっていては俺の気が済まないんです!! 俺は貴女に心の底から頼れるカッコいい素敵な旦那様だと思われたい! そう思われていると自信が持てる自分になりたいんです!!」

「・・・・・・」

 ヒートアップする熱弁に、鶯さんは口をぱかっと開けたまま呆然としてしまった。かなり強引だし無理のある主張かもしれない。鶯さんなら自分に自信が無いという意見に共感してくれると思って言ったが、これでちゃんと伝わるだろうか。


「・・・空さんって」

 少しだけ間があいて、何か言い始めた鶯さんの顔を見ると、手のひらで口元を覆い隠すようにしていた。

「空さんって結構、強引な方なんですね」

「えぇっ」

 やっぱり強引で感情的な主張は駄目だったか?

「・・・ふふっ」

 多分絶望した気持ちが顔に出ていた俺を見て鶯さんは上品にふき出した。なんだ、どういう心境だ。

「空さんのそういう子供っぽいところ、かわいいなって思っちゃいます」

「え?」

「私にいいところを見せたいだなんて、そんなこと言われてしまったら貴方の意見を無視できるわけないじゃないですか。それに、空さんが私の事そんな風に思ってくれた事も嬉しいですし」

「ということは・・・?」

「四年も待たされるのはとっても淋しいですけど、いいですよ。正式な結婚は空さんが卒業して一人前になってからで」

「本当ですか!?」

「ただ恋人であり婚約者は私ですからね、なるべく会いに来て欲しいですし、デートもしたいです」

「も、もちろんです! ありがとうございます、俺の意見を聞いてくれて」

「ふふっ、これが惚れた弱み、というものなんでしょうか。それに私、空さんのこと信じていますから数年くらい待てますよ」

 ぐっ。俺の言葉は100%その場しのぎの嘘だ。この人の信頼を間違いなく裏切る事となる。でも痛んだ胸のことはとりあえず無視して大人しく勝利を収めよう。


「ただ一つだけ忘れないで欲しいのですけど」

 頭をフル回転させて熱くなった俺の頬に、少し冷え性気味の鶯さんの手のひらが添えられた。

「私にとって空さんは、今でも十分過ぎるくらい格好良い旦那様ですからね」

「・・・さ、さらに惚れ直してもらえるように頑張ります」


 というわけで、首の皮一枚で浅葱鶯を回避した俺は婚約という形で鶯さんとの関係を一先ず保留することとなった。

 卒業までという大きな猶予が出来たのは非常にありがたい事だけど、これはただ問題を先延ばしにしているだけでしかない事を忘れてはいけない。鶯さんは今後も俺の事を恋人として扱うだろうし、俺のプロポーズを恐らく聞いていたであろう向日葵がどう思っているのかも気になる。それに最近会えていない茜さんは大丈夫だろうか。鶯さんだけでなくヒーロー全員との関わり方も練り直す必要がある。

 と、鶯さん御手製の煮込みハンバーグを食べながら悩んでいるとタイミングよく博士から連絡があった。


『まだ基地にいるなら帰りにコンピュータールームに寄ってくれ』

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