第65話 常盤鶯の夫婦計画2


 鶯さんは長いポニーテールの毛先を軽く指先で摘まみ、少しだけ何かを考える仕草を見せると再び俺に向き直った。


「・・・親御さんにはバイト先で知り合ったと嘘をつく事にはなりますが、私が必ず良い妻として気に入られてみせます。唐突な話で最初は不審に思われてしまったとしても、最後は私達の事を信じてもらえるまで説得してみます。それと、空さんのご家族のように信頼できるお相手でしたら万が一ヒーロー活動がバレてしまったとしても黙っていて貰えるでしょう。それこそ反対される可能性も高いので心配をかけないためにもヒーローの事は黙っていた方がいいとは思いますが」

 俺の家族に鶯さん紹介したら美人局に引っ掛かったと思われるのは割とあり得る展開なんだよな。それでも鶯さんが悪い人じゃないとわかれば、反対はしないだろう。俺がフィランスブルーをやっていることについては・・・まぁ、他のヒーローと違って俺自身は危険な任務に就かないし家の親もあまり過保護なほうではないから説得できなくもないだろうな。


「それと、大学の問題ですね・・・あぁそうです、これを機会に大学を辞めてしまえばいいと思います。それなら空さんと一緒にいられる時間が増えますし、これ以上変な女性に絡まれる心配もありません。ずっとお家で私の事を待っていて下さい」

「い、いやそれはちょっと・・・」

 大学中退で専業主夫!? 流石にそれは突拍子もなさすぎる。

「何故です? あまり勉強は好きじゃないと言っていましたよね。進学だって周囲にあわせてなんとなく・・・というよくある理由だと。四年間通い続ければ学費だってかかりますし、興味もない講義に空さんの貴重な時間を大量に割くのは良くないと思うんですよ。ヒーロー業との兼ね合いも大変ですよ」

「でもほら、こんな世の中だし大卒じゃないと就職が心配というか」

「それなら心配いりませんよ。私がフィランスグリーンとしての稼ぎで空さんを養って差し上げますので」

「ぐっ」

 なんとなく皆が進学するからという理由で大学に行き、授業も単位がとれればいいと思いながら受けている怠惰学生な自覚はある。大学で習った事の大半は試験が終われば頭から抜けているし、身についているのはエクセルの使い方くらいだ。

 だからといっていきなり専業主夫になれと言われると困る。


「私の方は元々無趣味ですし、ここは家賃もかかっていないので貯金はあります。これからは空さんのおかげで出動回数も増やせると思うので空さんが社会に出ずとも二人でそれなりの暮らしは出来る筈です。これもあとで相談するつもりでしたが、まずは私の部屋に空さんが引っ越してくるというのはどうでしょうか。狭いですけど我々のような若者が二人暮らしするなら一般的にはこれくらいの狭さもあり得るそうです。勿論近いうちに二人の新居を探しに行こうとは思っています、基地内だと空さんが他のヒーローに出くわす危険性が高いですからね」

 それがいいです、と両手をパンと叩いてニコニコ顔で提案する鶯さん。相当奇異な話をしているのに、まるでデートの行き先を決めるみたいに平然と言うものだからそのギャップが怖くなる。


 未来予知とは逆に俺が主夫となり鶯さんに養われるという展開は確かにあの最悪の未来から大きく遠のいている気はするけど、だからといって大学中退なんてしたら別れた後の俺の人生はどうなるんだという話だ。

 いや、もしかしたら逃げ道を無くして俺が鶯さんから離れないようにする為の策略とすら・・・そこまでは考えすぎか。どちらにせよこの話を呑むわけにはいかない。


「夫婦になるとはいえ金銭的に鶯さんの負担になりっぱなしは嫌ですよ。俺のヒーローの給料じゃまだ自立できるほどじゃないですし、能力もないから鶯さん達みたいにまともに働けない。それに、実家出たことないから鶯さんみたいに家事も得意じゃないし、とても主夫になれるような男じゃないですよ。貯金だって鶯さんが将来本当に必要になった時に使うべきで、簡単に手を付けちゃ駄目だと思います」

「その将来というのが今だと私は思っています。私は空さんと出会う為にフィランスグリーンになって、空さんを幸せにするためにヒーロー活動のお給金を大事にしていたのだと・・・今まさにそう実感している所なんですよ?」

「だとしても、その為に鶯さんが無理に出動回数を増やすのは危険です。急がずに俺がまともな定職に就けるのを待ってもらえば負担も無いじゃないですか。俺と一緒になる為に鶯さんが無理をする必要はない」


 俺が食い下がると、鶯さんはいっそう真剣な面持ちでこちらを諭すように迎撃してきた。

「・・・私が無理をしている、というなら空さんと会えない時間が多い現状の方が無理になります。私の目が届かないところで他の女性と親しくなるかもしれない今が、私には辛いんです。大学の講義で隣に座った女の子に惚れられるかもしれない、基地からご実家に帰る途中で一目惚れされるかもしれない、そう考えると不安で不安で仕方がないんです。空さんはとっても優しい方だから、もしそんな女性が現れたら無下にせず相手を傷つけないように接してしまうでしょう? ふふ、空さんは罪な人ですよね、そういう所が余計に相手を本気にさせてしまうんです。空さんが魅力的なのはもう完全な事実であり、それを止めることは私には出来ません。空さんが私を選んでくれた意思を裏切らないように私は空さんにとって完璧な妻になります。空さんの気持ちが他にそれないような理想の女性になるつもりではあります。それでも空さんがその魔性の優しさで向こうの方から言い寄られてしまうことが心配でならないんです。空さんがずっとお家にさえいてくれれば私はそんな悲しい思いをしなくて済みます。大丈夫です、何も心配いらないです、家事が苦手というなら業者を頼んだって良いです、もちろん男性の方限定でお願いします。そもそも主夫になる必要すらありません、手料理が食べたければ私が作ります。空さんはお家で好きなことをしていてください。テレビでも見て、ゲームとかしてのんびり私の事を考えていてください。もちろんお出掛けもして大丈夫です、でもそれは私がいる時がいいです。とにかく私は空さんと一秒でも長い時間一緒にいたいんです。大学なんて邪魔でしかありません、空さんは働かなくていいです、私の傍にいるという空さんにしかできないお仕事をしてください」


 何故か唐突に恋は盲目、という言葉を思い出した。俺がいることでフィランスグリーンが強化されるのなら確かに鶯さんの傍にいるだけで働いた事にならなくもないけれど、だとしてもかなり無茶苦茶な事を言っている。それがおかしな話だと理解できない程鶯さんは世間知らずではないと思うが、ある筈の常識を捻じ曲げてくずかごに捨ててしまえるような程の何かが鶯さんの中にはあるのだろう。


 やはりヒーローにとって愛情というのは何よりも優先されてしまうような事で、それを手に入れる為ならどんな手段も手駒も惜しまないのが彼女にとっての普通。そんな存在に俺は偽物のご褒美をぶら下げて誘導しようとしているのだから、なりふり構わず手玉に取る気でいないといつか彼女達の愛の重さに喰われてしまうかもしれない。


「私が空さんを想うのと同じように、空さんも私無しでは生きられない程になって欲しいんです・・・」


 絞り出すような鶯さんの言葉を聞いて改めて理解した。ヤンデレな彼女を制するには泣かれると困るとか罪悪感を避けたいとか、俺の常識的な戸惑いを捨てないと不可能だ。自意識過剰で恥ずかしいなんて気持ちは以ての外。


 相手が一人だったらそうやって日和っていても問題ないだろうけど、俺が対面するのは鶯さんだけじゃない。端から無茶なミッションなのだから、多少強引でも構わない、心が痛んでも、自分で自分が恥ずかしくなってもいいからきちんと導くべきだ。そうしないと、あの未来が本物になってしまう。


 愛の重さに気圧されて握られていた主導権、それを奪い返さなければ誰かが死ぬと思わなくてはいけない。

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