第63話 プロポーズの返事2


 深々と下げた頭。深緑色のポニーテールが垂れ下がってテーブルにつきそうになる。

「あの時は意識が朦朧としていて、きちんとしたお返事が出来ずにすみません。でも・・・本当に嬉しかったです、止まった心臓が動き出す程の幸福でした。私を、私との未来を選んでくれて本当にありがとうございます」


 博士の指示で俺は自分の言葉を否定出来ていないが、そんな制約がなかったとして、鶯さんのこの姿を見せられてその場しのぎの嘘でしたと言えるだろうか。鶯さんのシンプルな感謝の言葉からは俺への想いが滲み出ていて、後先とか、罪悪感とかが見えなくなるくらいに「今この人を泣かせたくない」という気持ちが勝ってしまう。いつか真実を伝えなくてはいけない日が来たとして、それをすんなりと口にするのは俺にはきっと無理だ。

「その、空さんは私に興味がないのかもしれないって思っていたので、正直、急なことで驚きはしました」


 俺の頭は何を言えばいいのかわからず口をパクパクさせるだけの無能と化している。あれだけ想定した流れなのに、いざ本気の愛情を目の前にするとそれを振り払う事がいかに重たいか理解してしまった。

 あの日鶯さんを救った俺の判断は正しかったけど、軽率にとって良い行動じゃなかった。言葉に迷っている俺を見て鶯さんは幸せそうにはにかんで、今度は軽くお辞儀をする。

「驚いたけど、ついに・・・って気持ちのほうが強かったです。・・・絶対に空さんを後悔させません。貴方にとって理想の妻になる事を誓います。貴方が永遠に手放したくないと思えるような女性になります」

 まるで俺に『選ばれた』とでも言わんばかりにへりくだった姿勢と、精一杯の献身を誓う言葉に圧倒されるしかない。ただ一言嘘だったと言えば誤解は解けるかもしれないし、有耶無耶にする方法はあるかもしれない。それでも誰かを死ぬほど本気で愛した経験の無い一般人の俺にとって、ヒーローの愛は払うのも退かすのも、押し返す事すら難しいほどの重量。ズシリと身体に大きな鉛玉がくっついたみたいで、それが結婚なんて話になったものだから精神的な鎖に繋がれている錯覚すら覚えた。


「・・・俺なんかで、いいんですかね」

 だから、こんな意味の無い問いかけに逃げてしまうのはただ俺が平凡な男で、非凡な密度の愛情に耐えられないからだろう。だって受け入れられるわけがない、まだ出会って数か月でプロポーズして、それをこんなに喜ばれてしまうなんて。出来る事なら振られるか保留にして欲しい。

「鶯さんはフィランスグリーンで、そうじゃなくても美人で素敵な人だ。俺みたいな目立った才能もない男と交際・・・ましてや結婚なんて、やっぱり釣り合わない気がします」

「もう、どうして急に弱気なことを言うんですか、空さん」

 俺の想いとは裏腹に、鶯さんは弟を宥めるような優しい口調でそう諭しながら、机の上で握りこぶしを作っていた俺の手に自分の手を重ねた。鶯さんの手のひらはすべすべとひんやりが混じったあまり経験の無い感覚で、握りしめた俺の手も自然と緩んでしまう。

「だって、ほら、もしかしたらこの先もっと鶯さんに相応しい男性が現れるかもしれないのに、俺なんかを結婚相手にするっていうのは少し尚早といいますか、鶯さんが後悔したら嫌だなというか・・・」


「そんなのあり得ません」

 スパッ、と切れ味鋭い効果音を幻聴するほどのハッキリとした強い否定だった。


「死にかけた私を救ったのは空さんの愛です。ヒーローの能力には嘘が付けない、私が心の底から空さんを愛し、空さんの気持ちに応えたいと思ったからフィランスグリーンの能力が私に力を貸してくれたのです。愛の力というのは普通なら測定不可な曖昧なものですが、私達にとっては違う。私が今こうして五体満足に健康な姿でここに立っていられるのは間違いなく私の愛が本物であるという証拠になります。死にかけのヒーロー一人を再生しただけの愛が、どうして他の人間に心移りしたり、成就したことを後悔するというのですか」

 そう言って鶯さんは真剣な眼で少し怒ったように俺を見つめる。あの時の事を思い出しているのか、少しだけ泣きそうな顔をしていた。

「私は空さんを愛しています。空さん以外の方を好きになる事などあり得ません。愛の力で私を救ってくれた貴方以上の人間はこの世に存在しませんし、私の愛が今後衰えることは無いとハッキリわかっています。既に私は今朝から空さんに会える喜びで強い力を感じています。貴方が私を選んでくれてから、私は確実に強くなった。空さんがはっきりと私を選んでくれたことで私の愛はより強固なものとなったのです」


 彼女の強い気持ちを聞いて、俺はこの場で鶯さんに振られる展開という一縷の望みを見たことを大分後悔した。この人はもう、俺という存在に今までとは比べ物にならないくらいの強い意味を感じてくれている。それをより鮮明に感じる度に、どうしようもない気持ちが罪悪感によく似た形で俺の心をチクチクと痛めつけてくる。

「ごめんなさい、鶯さん。俺なんかでいいのかって不安になってしまいました」

 上っ面だけの利己的だったり常識的だったりする説得は火に油を注ぐだけだろう。目の前の女性が何も見えなくなっていく様子を目の当たりにして、俺は彼女を振らなくていい現状に安堵するようなずるい男だ。

「いいえ・・・不安なのはいつも私の方ばかりかと思っていたので、少しだけ嬉しいです。ふふっ、悪い妻でごめんなさい」

「つ、妻ですか」

 突然の露骨なワードにドキリとしてしまう。

「・・・だ、だめでした?」

 自分で言って照れたのだろう、鶯さんはいつの間にか俺の拳から手を引っ込めてしまっていた。

「いやぁ、ちょっと実感が沸かないかなぁ」

 そんな顔をされたら駄目とは言えないけど。

「そそ、そうですよね。調子に乗ってごめんなさい。私ちょっと浮かれてるみたいですね」


 口調は冗談めかしているのに、どこか不安そうな、幸せそうなのに淋しそうな複雑な表情を見せる鶯さんに、俺は表面上ですらハッピーエンドに見えなかった。

 このまま鶯さんと嘘の関係を続ける事が正しいのか、あの時未来予知で見た最悪の結末に近付いているんじゃないか、どうしてもそう考えてしまう。


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