第62話 プロポーズの返事1


 相変わらず無機質な白い廊下の途中、突如現れる『グリーン』とだけ書かれた扉。

「どんな顔して会えばいいんだ、まず何て言おう」

 こんにちは? 退院おめでとう? 無事でよかったです?

「いや、考えすぎても変だよな。普通に、普通のテンションでサラッと」

 こうして考えている時点で普通にするというのは難しいもので、思考の泥沼にはまっているのが嫌でもわかる。向こうが今どんな気持ちでいるのかもわからないのだから、これ以上考えても無駄だと思い、観念してドアノブに視線をうつす。

 鶯さんの部屋の扉ってこんなに重そうだったか。ここを開けたら色々後戻りできなくなる気がして怖い。もう後戻りなんて出来ないけれども。

「よし、行くぞ!」


 意を決しドアノブに手を伸ばしたと同時。ガチャ、と扉の方から勝手に開いた。

「やっぱり空さんでしたか」

 扉の向こうからひょこっと顔を出したのは血色もよくいつも通りに朗らかな笑みを浮かべる鶯さん。

「お部屋の外で何やら物音がしましたので。どうしたんですか? こんなところで立ち止まって」

「あ。いえ、そのっ」

「ふふ、もしかして恥ずかしがってくれていました? 私も同じですけど・・・早く空さんとお話ししたいので中に入ってください」

 鶯さんは今日退院したばかりとは思えない程に元気そうだ。いつもより高めにくくったポニーテールも相変わらず艶々だし、ベージュにミモザの刺繍が入ったエプロンも良く似合っている。そう言えば前に部屋に来た時もこの格好だったな。

「ということは、もしかして」

 お邪魔します、と言う前に俺の推理を裏付ける香りが漂ってきた。

「料理中でした?」

「はい、もう準備は終わったので後は温めて焼くだけですよ」

 ビーフシチューか何かだろうか、コクのある香りが狭い部屋に充満している。

「今日退院したばかりですよね、あんまり無理しない方がいいのでは・・・」

「入院と言っても後半は殆ど『念のため』の検査入院みたいなものでしたから。早い段階で体調は良くなっていたんですよ。今までの私だったらこんなに早く元の生活に戻ることは出来なかったでしょうけど、その・・・」

 さっきまで平然としていた鶯さんだったがそこで一瞬ためらうように言葉に詰まって、頬を赤らめた。

「空さんへの愛の力が・・・私を変えてくれたんです」

「えっ!?」

 言った後自分でも恥ずかしくなったのか直ぐに視線をそらして、パタパタと手で顔をあおいでいる。

 これは、聞いている俺の方も照れ臭いな。今までもっと強烈な事を言われていた筈なのに、こうやってごく普通の恋する乙女みたいな対応をとられてしまうと、なんというか俺も戸惑ってしまう。ヤンデレには多少慣れてきた気がするけどピュアな反応を平然とスルー出来る程俺の恋愛経験値は高くない。

「だ、だから私の身体の事は心配いりません!」

 とにかく二週間前には死にかけていた人間とは思えないほどに明るい彼女を見られて、ひとまず安心だ。あの時の俺の判断は間違っていなかった、元気な鶯さんを見るとそう確信できる。


 前回と同じように水色のクッションに腰を下ろすと鶯さんは冷たいお茶を出してくれた。外は暑かったのでありがたい。

「それに、空さんにまたご飯を食べて欲しかったから・・・夕飯、食べていきますよね?」

 その言葉を聞いて俺は目の前に置かれた青空色のグラスに伸ばした手を引っ込める。

「俺の分もあるんですか?」

 前はとっても美味しいドライカレーのオムライスを御馳走になったのだけど、恐らく睡眠薬的なモノを盛られた。不思議なことに特に何かされた様子もなく俺は近所の公園で目を覚ましたし、鶯さんも「知らない」で押し通していたので有耶無耶になってしまったが、推定前科がある人の料理はどうしても気が引けてしまう。しかも今回は料理中の様子を見張れていないわけだから何が入っているのか本当にわからない。

「もしかして、ご迷惑でしたか?」

 思わず鶯さんの指先が全部残っている事を確認した俺を、悲しげな眼で見つめてくるものだから強気に出られなくなってしまう。

「あっ、前回の食事が口に合わなかったのですか? 大丈夫です、今回は前よりも時間をかけられましたし、変わったアレンジとかもしていません。もし苦手な味があるのでしたら今から作り直します。まだ食材もありますし、その、ソースも作ったんですけど市販のやつも買ってあるので手作りの味が苦手ならそちらを・・・」

 黙って考え込む俺に焦ったのか畳みかける様にフォローしようとする鶯さんの姿が辛い。病み上がりの彼女が時間をかけて俺の為に用意してくれた夕飯だ、無下にするのは駄目だろう。

「い、いえ、とっても嬉しいです。ちょっと家に夕飯いらないって連絡しなきゃなーと思いまして」

「あぁっ! そうでうよね、ごめんなさい、先に言っておけば良かった。空さんと御夕飯を一緒できるのが嬉しくて、配慮に欠けていました」

 なんだか可愛い事を言ってくれるな、異物混入で頭がいっぱいな事に逆に罪悪感を覚えてしまう。アレルギー持ちだから飲んだらまずい薬があるとか言っておけば考え直してくれるかな、あとは料理を冒涜する人は嫌いですとか・・・うん、この辺の防御は自分で何とかする事にしよう。俺に危害を加えたりはしないと思う・・・多分、少なくとも今は。

「今日の夕飯はハンバーグにしたんです。空さんのリクエストを聞くの忘れてしまったので、ネットで調べたんですけど、男の人はとにかく肉料理が好きだと書いてあったので。あっていますか?」

 まぁ強ち間違ってはいないけど、俺の好物はざるそばです鶯さん。

「あと、やたらお洒落な料理とか、量が少ないオーガニックな品は男性に好まれないので、シンプルな定番料理が喜ばれるとも書かれていました。空さんも男の子ですからね、ボリュームのある定番の肉料理は何かなと思いまして。それでハンバーグと唐揚げで悩んだんですけど、空さんがもも肉派か胸肉派かわからなかったのでハンバーグにしたんです」

「色々考えてくれたんですね、ありがとうございます」

 シンプルというかお子様ランチみたいなチョイスだけど、まぁ大抵の男は喜ぶメニューだろうな。鶯さんくらいの美人がこれだけ悩みに悩んで作ってくれたものなら喜ばない男はそもそもいないと思う。

「でもそんなに俺の好みに悩まなくていいですよ、大抵なんでも食べますし」

 俺自身食の好みは結構雑だ。好物にこってりラーメンとざるそばが並んでいる時点でお察しだが、何となく好きなものが好きなだけで大きなこだわりはない。唐揚げの肉が何処の部位だろうが、勝手にレモンをかけられようが気にせず食えるタイプだ。

「次は鶯さんが好きなものが食べたいです」

「空さん・・・」


 些細な言葉をうっとりと噛み締める様に頬に手を添え、俺の目の前に座った。背筋をピンと伸ばして俺の方をじっと見つめ、鶯さんの色白の肌が火照っているのがよくわかる。

 多分、来るな。


「空さん。あの時のプロポーズの御返事ですが・・・」

 ごくり、と生唾をのんだ音が静かな部屋に響く。それがどちらのモノかわからないくらいに俺の心臓は騒ぎ出していた。

「私は空さんの事を愛しています。正式に貴方の妻になれる事、とても嬉しいです。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」

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