第59話 フィランスグリーンになるまで3


 デパートで小さな子供がお父さんとお母さんに挟まれて手を繋いでいる姿を見て、思わず涙が出た時、私はこの家を出ようと決意しました。


 私はずっと、あんな家族愛を求めて、欲しくて欲しくて欲しくてたまらないのに一滴も貰えなくて、あの人たちから貰うことを諦めてしまいました。

 愛されたい。私の事をちゃんと特別に愛してくれる人に出会いたい。子供の頃好きだった絵本出てくる王子様みたいな、どんな障害にも負けずに熱烈に私の事を愛し、認め、守ってくれるような、そんな素敵な人と一緒になって、今度こそ私だけの愛を手に入れたい。

 姉みたいに心配されたい、姉みたいに想われたい、姉みたいに気を遣われたい。身体が弱くても賢くなくても『私だから』という理由で愛されたい。




 高校卒業と同時に私は一人暮らしを始めました。大学も実家から少し遠かった事もあり、母は全く反対しませんでした。そんな理由が無くても、反対する程私に執着してはいないのでしょうけど。

 これでやっとあの家から逃げられる、もう妹と比べられる事はない。そう思って私は心軽やかに大学生活をスタートさせました。


 結論として華々しい自由な生活が始まる事はありませんでした。


「鶯さんってしっかりしてるよね、同年代と思えないくらい大人っぽい」

『可愛げが無い。私達を見下しているんだろう』

「え、あの問題わかったんだ! 頭いいんだね、今度勉強教えてもらっていい?」

『この子は利用価値がありそうだし、使える間は仲良くしてあげよっかな』

「常盤って美人だよな、高校時代とかめっちゃモテたでしょ」

『どうせ外見目当ての男に遊ばれてるんだろうな』


 家族とは関係ないのに、姉はもうここにはいないのに。誰と話していても聞こえる嫌な心の声。何を言われてもその人の悪意に眼が止まってしまう。逸らそうとしても気付かないふりをしようとしても、その言葉は日常の皮を被って容赦なく私を苦しめた。


「ねぇ、みんなで一緒に外でお昼食べに行こうよ」

『みんな、にお前は含まれてない。呼ばれてもいないのにいつも付いてきて気持ち悪い』

「なんで謝るの? 別に鶯が悪いわけじゃないのに」

『謝った程度で許されると思うな』

「そんな風に謝られたらうちらが悪者みたいじゃん」

『卑屈で鈍くさい、目障り』

「鶯ってさ、うちらのこと全然信用してないよね」

『お前なんか何も考えずに利用されていればいいのに』

「いいよもう、放っておこう。そうやって何でもかんでも疑ったり悪い風に捉える人と一緒に居られない。ていうか被害者ぶってるけど、それ悪口だからね」

『お前に付き合うのに疲れた』


「ずっと独りでいればいいよ」

『ずっと独りでいればいいよ』


 気が付くと私は独りになっていました。利用価値が無いと判断されたのかグループからは追い出され、今まで私に良く話しかけてきた男性の方達も困惑したように離れていき、私は学内で常に一人でいるようになりました。それでも私に構おうとする男の人も稀に現れましたが、誰もがやましい眼で私を見ていて、気まぐれに私の心を弄びたいという気持ちがありありと見えるような人ばかりでした。

 まともになれると思っていたのに、実家という地獄を抜け出した私に待っていたのは別の地獄だったのです。これは幻聴だ、と何度言い聞かせても声は止まず、私の求めるモノはこの世界のどこにも無いと言われたようでした。




 竜胆博士と出会ったのは、私があまり大学に顔を出さなくなった頃です。世界は相変わらず私に厳しく、自分がどうしてこんな辛い目に合うのかと毎日毎日思い悩んでいました。

「女が話しかければいじめ被害者のように振る舞い、男が話しかけると性犯罪者のような目で怯える常盤鶯君・・・というのはキミのことかな?」

 学内で唐突に声を掛けられ、私はこれ以上ないほどに警戒したと思います。

「だ、誰ですか貴女。いきなり失礼ですよ」

「私は竜胆。まぁ、博士と呼んでくれればいいさ。よろしく鶯君」

「どうして私の名前を? まさかあの子達が変な掲示板に私の情報を書き込んだとか? 私になりすまして危ない人と会うやり取りをしていたり・・・」

「くっくっく、予想以上の被害妄想癖だね」

 竜胆博士は今と変わらないデリカシーの無さで、私の話を全く信用しないし聞こうとしない酷い人でした。

「だからなんなんですか! 部外者にそんなこと言われたくありません。貴女は知らないでしょうけど私は同級生の女子から酷い虐めを受けているんです、何を企んでいるのかわかりませんが、あの子達の悪事に加担するつもりなら通報しますよ!」

「気に障ることを言って悪かったね、だけど鶯君をいじめる子とは全くの無関係だ。私は個人的に君に興味があり、君を探していたんだよ。常盤鶯君。君の事は既に知っている、誰からも愛される姉の影響で愛情に対して敏感になり、特に家族愛に執着するようになった。しかし長年虐げられていた妄想が邪魔をして他人の好意を素直に受け取る能力が著しく欠落、被害妄想癖を制御できなくなってしまった。自分に好意を寄せてくる男性には親から暴力を受けていたという嘘をつきその反応で相手を信用できるかどうか判断している、無論どんな言葉をかけても本人が自動的に悪くとらえるのだから合格する男はいないようだけどね」

「さっきから妄想妄想って、妄想じゃなくて事実です。嘘もついてません。私は両親から暴力を受けていました」

「ほほう、ぶたれたり首を絞められたり熱湯をかけられでもしたのか? だったら警察に通報した方がいい、過去の話だとしてもそれは立派な犯罪だ。家族だからって許す必要はないよ」

「こ、言葉の暴力っていうのがあるんです。酷い言葉で私は何度も傷つけられました。証拠も無いですし、もうあの家に戻りたいとは思っていませんので面倒な警察沙汰にする気はないです。というかあなた、私のような不幸な身の上の人間を捕まえて何が楽しいんですか?」

「不幸・・・なるほど。被害妄想は自分の不幸を正当化するための手段か。てっきり単純に自己防衛しているだけなのかと思ったが、可哀そうな自分を演出するためにわざと不幸になっているんだな。確かお姉さんは身体が弱かった、つまりか弱い存在であればある程愛されるという考えから・・・ふむ、なかなか愉快な素材じゃないか」

「何をぶつぶつ言ってるんですか? 私の事を調べまわったり、私がこんなに怒ってるのにニヤニヤしてばかりで・・・も、もしかして貴女私のストーカーですか!? 悪いけどそんな犯罪者に構う事はできません」

「『この変な女は私のストーカーかもしれない』今君はそう思って少しだけ嬉しいと感じたね。口元が一瞬にやけていたよ。明らかに危ないしやばい女だと思っていながら自分に特別な執着を向けているかもと考えて嬉しくなったのか」

「なっ!? そんなわけ・・・」

「年齢は少しいっているが、中身は十二分に子供なようだし、ブルーが抜けてしまって丁度大学生くらいの人出が欲しかったところだ。今は誰彼構わず愛を求める不安定な存在だが相手が見つかれば大きく化けるだろうし、これは予想以上の逸材を見つけてしまったかもしれないな」


 何を納得したのか、竜胆博士は世紀の大発見をしたかのように目を輝かせて、私に手を差し出したのです。

「常盤鶯君。君のその愛に対する執着は才能だ。このままでは君はただ愛を求めるだけの淋しい女となるだろう。しかし、私についてくれば真実の愛を誰よりも大切にすることが出来る素晴らしい女性になれる・・・くっくっく、君は自分の身を滅ぼし不幸になるという幸福に逆らえない。世間の為に人知れず傷つくという私が差し出す最高のヒロイックに抗うことはないだろう、どうせ君の結論は決まっているのだから拒否は手短に頼むよ」


 あり得ない、と思ったのですが竜胆博士の言う通り、結果として私はフィランスグリーンになりました。この人は不気味なほどに私を理解しており、口車に乗せられて誘導されて、まんまと術中にはまってしまったのです。

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