第57話 フィランスグリーンになるまで1


「将来の夢。私の将来の夢はお医者さんになることです。お医者さんになって、お姉ちゃんみたいに元気のない人をたくさん助けてあげて、世界中の子供達がみんな元気に遊べるようになることが私の夢です。2ねん1くみ ときわうぐいす」


 授業参観での作文発表、題材は『将来の夢』。

 よくあるスケジュールによくある内容の作文。小学二年生の作文なんてみんな似たり寄ったりで、どの親も自分の子供の発表以外はどうせ上の空でしょう。私の書いたものだって特別すごいわけじゃないし、医者になりたいと似たような作文を書いた子は私を含めクラスで三人いました。一人は獣医でしたけど。

 でも、母は私の将来の夢に大喜びしてくれました。お姉ちゃん想いの子に育ってくれて良かった、って。

 今思い出せばあの作文を書いた頃から、私の心は純粋ではなかったのでしょうね。姉に早く元気になって欲しいなんて聞こえの良いお願い事に変換していただけで、私はただ私が持っていないモノを欲していただけなんだと思います。子供って、大人が思っているより自分に向けられた感情に敏感なんです。


 私、常盤鶯は真面目で利発な子供でした。周囲の大人からは「お行儀の良い子」「大人びている」「手がかからなくていいわね」なんてよく言われていましたし、実際そうだったと自負しております。つまり、私はいい子でした。

 私には二つ年上のお姉さんがいます。名前は常盤翡翠(ヒスイ)、姉妹仲は非常に良好だったと記憶しています。

 作文にも書いた通り、姉は病弱でした。とはいえ不治の病に侵されているわけでも、頻繁に入退院を繰り返しているわけでもなく、ただ人より身体が小さくて細くて弱いだけで充分健康な女の子です。

 生まれたばかりの頃、あまりにも体重が軽く衰弱していて生死を彷徨う程だったせいか、両親は姉に対してやたらと過保護な部分があります。



「ごめんなさい、鶯。ちょっとお姉ちゃんの具合が悪くなっちゃったの、一人でバスに乗って帰って来られるわよね?」

 私が小学四年生の時。通い始めてまだ4、5回目の塾が終わる時間にお母さんからかかってきた電話をよく覚えています。

 まだ一人でバスに乗ったことが無い私は不安で胸が潰されそうでしたが、物分かりの良い子だったので精一杯冷静に、

「うん、私は大丈夫だから。お姉ちゃんについててあげて」

 と返しました。十歳そこらの子供が咄嗟についた嘘です、きっと声が震えていて大人ならそれが「大丈夫」ではない事くらいわかっていただろうと今では思います。

「ありがとう鶯。気を付けてね」

 という言葉で切られた母からの電話。降りるバス停の名前の確認も、路線の確認も、なにもなく切れたあの電話に大きなモヤモヤを覚えたのを今でも鮮明に思い出せるのです。


 姉は母によく似た色素の薄いくせっ毛が愛らしく、私が小学五年生になったあたりで身長を抜かしてしまった程に小柄でした。幼馴染婚の父曰く昔の母によく似ているそうです。だからでしょうか、父は私よりも姉を可愛がる素振りを見せます。

 単身赴任で週末のビデオ通話が楽しみの父ですが、社内では愛妻家で有名だそうです。母に似ている姉の方を可愛いと感じるのは仕方がないことなのでしょう。私は父親似なので少しだけ羨ましいと思うこともありました。



 姉は『儚い』という言葉が良く似合う線の細い美少女でした。伏し目がちな瞳や、か細くも透明感がある声、太陽に弱い白い肌、痩せている四肢がガラス細工のように繊細に映り、物語に出てくる薄幸の美少女のイメージにぴったりです。そんな見た目とは裏腹に話せばとても明るく、フレンドリーな人で友達も多いです。


 姉は私と同じ学校に通っていますが体育の授業はいつも見学をしているし、時々保健室で眠っているのを知っています。それは姉の体質によって仕方がない事で、多少具合が悪い時に頑張って授業を受けようとする真面目な姉を見ると大人は口をそろえて「健気でいい子だ」と言います。

 病弱なのに普通の子供と同じラインに立とうと振る舞う姿が多くの大人の心を射止めていたのでしょう、姉の書いた作文はよく入賞します。芸術家は持病もちが多いせいでしょうか、絵や工作でも良く入選しています。か弱く美しく聡明な常盤翡翠は、妹の私から見ても特別に愛された存在でした。


 もちろん、私に取っても自慢の姉です。

 だから私は別に、姉を恨んでいるわけでも姉の体質を恨んでいるわけでもありません、ただ私は他の子供より少しだけ大人びていて、少しだけ賢かったから。色々と知らなくていい事実に気付いてしまったのです。

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