第53話 石竹桃からフィランスピンクへ


「じゃあ、今から着替えるので見たかったら桃にバレないように気を付けてくださいね」

「だから見ないって!」


 トタン屋根にぶつかる雨音の中。しゅる、という衣擦れの音やジッパーを下げる音が微かに聞こえる。うっかり薄目を開けてしまわないように気をしっかりと持ちつつ、桃の身体を隠している傘を一ミリもずらさないように神経を巡らす。

 しかし、緊急事態とは言え男の目の前でヒーロースーツに着替えるという判断を桃が迷わずにした事は驚きだ。一刻を争う事態だし、こうやって緊張している俺の方が不謹慎なのかもしれないが、それでも年頃の女の子にとって簡単に割り切れる問題じゃないだろう。

 まさか、こんな風に自分の事を二の次にしてしまうのが当たり前な状況に何度も陥っているのか。

「一応言っておきますけど、普段はちゃんと隠れて着替えていますからね」

「えっ」

 俺の心を見透かしたかのようなタイミングの注釈に、危うく目を開けてしまいそうになった。


「桃にとってヒーロー活動は日常の一部なんです。ご飯を食べたりおしゃれをしたり、学校に行ったり宿題をやったりするのと同じで当たり前の一つです」

 ぱちん、と伸縮する素材が肌に張り付いた音。彼女の言葉はどことなく淋しそうに聞こえた。

「一般の人が思う程、桃は事件の解決に真剣に向き合えてはいません。だって毎日ですから、気も抜けるし緊張感も薄れています」

 桃は他人からの評価を特に気にしている子だ。そんな桃が珍しく自分の悪い部分を吐露している。悪いと言っても、それを責めることができる人間なんて世界中どこにもいない。

 ヒーローは一つ一つの事件に心を痛めたり、感情移入する暇がないほどに毎日多くの人間を救っているのだ。

「だって、本当に正義のヒーローなら自分の正体がバレる事なんて気にせずに助けに行くべきですよね。それに桃が学校に行っている間に救えるはずの沢山の命が危険にさらされている。桃はヒーローの素質があるのに自分の幸せを優先してしまうような子なんです」

 自信なさげな言葉を吐く間にもガサゴソと俺の目の前で音がして、着替えの手は止めていないのがわかる。

 こんな状況だからこそ桃は俺に話してくれたのだろうか。桃がそんな風に考えているなんて全く想像していなかったが、ただの気まぐれだとしても俺に話してくれたんだ。桃にとってそれは 誰にも共有できない悩みなのかもしれない。

 それなら俺が言うべきは桃に寄り添う言葉だけ。

「そんなことない、桃は充分たくさんの人を・・・」

「でも」

 ありきたりな俺の言葉を遮るような強い口調。

「今は、先輩の為にちゃんと正義のヒーローになろうと思っていますよ」

 晴れやかなセリフ。


 そして、とんとん、と俺の胸のあたりを指先でつつかれる。

「着替え終わりました」

「あ、うん・・・」

 細く結われたツインテール。戦隊ヒーローの女性枠がよく着ているミニスカートタイプのヒーロースーツに少しアレンジがかかった制服のようなデザインのピンク色のヒーロー。目の前にいるのが石竹桃という女子高生ではなくフィランスピンクだと認識させられる。頼もしく凛々しいマスクに顔を覆った彼女が、マスクのガラス越しにいつも通り無邪気でいたずらな笑顔を見せていた。

「仲間のブルーの危機を察知して・・・フィランスピンク参上! なんちゃって」

 彼女自身は戦隊ヒーローシリーズをあまり見ていないのだろう、なんとなくズレたヒーローポーズのようなものをとって自信満々に俺に見せつける。

「どうです? 桃の早着替え技術」

「早かったね、本当に」

「まぁ。全部脱ぐわけじゃないですからね。実は先輩が薄目を開けてもあまりいい物は見れませんでした」

「えっ、そうなの!?」

「あははっ、ちょっとガッカリしてますね? 大きなシャツの中で着替えたりスカートを先にはいて後からズボンを脱ぐだけだったり、緊急時に外でヒーロースーツが着られるように気を付けて服を選んでいるので、万が一人目に付く場所で着替える羽目になってもそんなに恥ずかしくないようになってるんです」

 そうだったのか。確かに中高の頃はクラスの女子が時々、男子が周りにいるのに気にせずスカートから体育着のズボンに履き替えていたな。まぁそういった方法なら見られる心配もないし、合理的ではあるけど・・・なんだか騙された気分だ。


「さてと、先輩をからかうのは楽しいですけど今日の桃は正義のヒーローフィランスピンクですからね。フィランスブルーに頼まれてしまっては本気を出さざるを得ません。さっさと目的の場所に移動しちゃいましょうか」

 そう言うと桃は自分の鞄を俺に預けて、中空から銃口のやけに大きな二丁拳銃を取り出す。

「・・・あれ。前みたいに手を繋いで空を飛ぶやつじゃないのか?」

 確か俺が最初にヒーロー活動の見学をしたときに触れている間は一緒に空中移動が出来る桃の能力を見せてもらった。あれなら電車やタクシーを使うよりもずっと早く向日葵達の元へたどり着くことが出来るだろう。

「あれはそんなに長時間使えないし、桃的にはあれでもノロいんですよ」

「そうだったのか、じゃあどうやって?」


「先輩には特別に、フィランスピンクの見える速さを体験させてあげますね」

 いつのまにか手に持っていたプラスチックバンドをビシッ、と鞭のようにしならせた。

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