第52話 浅葱空にできること2

 フィランスブルーに任命され、未来予知で残酷な将来図を見せつけられた時からずっと思っていた俺の信念。

「俺は、ヒーロー達を人殺しにはしない」

 鶯さんの言葉が本当なら、向日葵は今鶯さんに手を出そうとしている。ヒーロー同士が殺し合う、それはあの忌々しい未来を思い出させる。未来予知で向日葵は「俺のため」に多くの罪なき人やヒーローを殺していた、その発端となる運命の日が今日だとしたら、俺は全てを捨ててでもその未来を捻じ曲げないといけないんだ。

 人殺しはいけないとか、罪のない人を殺すなんておかしいとか、そういう倫理的な理由はもちろんだが、なにより俺はヒーローの手が悪に染まって欲しくない。子供の頃から憧れて止まなかったヒーロー達が自分の私利私欲のために仲間殺しをするなんて、どうしても嫌だ。

 ヒーローは今や子供達だけでなく全ての人にとっての希望で、正義の象徴となっている。そんな存在が人の命を故意的に奪うなんてあってはいけないことだ。彼女達の心に闇があることを知っている俺だからこそ、彼女達に信頼されている俺だからこそ、強すぎる愛と正義が間違った方向へ暴走するのを止めるのがフィランスブルーの使命だ。

 だから俺は、何よりも優先して二人を止めないといけない。


「とにかく急がないと、えっと、電車、新幹線? いや、タクシーか」

 向日葵のいる場所はただの人間にとってはあまりに遠い場所だった。今から急いだとしても二時間以上はかかってしまうだろう。

「俺が本物のフィランスブルーだったら・・・」

 しかし俺には狂ってしまう程の深い愛情は無い。入隊してから何度か試しにスーツを着てみたが、俺の心にヒーロースーツは力を貸してくれることは無かった。武器も、超人的な力も、何もないただの人間だ。


「待ってよ、先輩!」

「・・・えっ」

 かなり速足で駅の方へと向かっていた俺の背後に、捕まるような形でぶつかって来る小さな桃色の頭。

「桃。どうして・・・」

「奢ってもらったお礼、ちゃんと言っていませんでしたから。美味しかったです、ごちそうさま」

 息を切らして髪を一つ結びにしたままの桃が、傘もささずに俺の元に走り寄って来た。

「安心して、ちゃんと食べきりましたよ」

 乱れた髪と呼吸から、急いで俺を追いかけてきたのがわかる。しかも食べ物を無駄にしないように完食しきったのか。

「だ、大丈夫か桃。食べて直ぐ走ったら具合が悪く・・・」

 ぜぇ、ぜぇ、と肩で息をする桃の背中を軽く撫でさすりつつ、腕時計を見て電車の時間を気にする。桃には悪いが一刻も早く電車に乗りたい。

「お礼なんていいから、俺が勝手に急いで出て行ったんだし。少し休んでから帰りな」

 焦って帰そうとする俺の服をギュッと掴んだ桃が険しい顔でこちらを見上げる。

「・・・先輩のばか」

 桃はキッとこちらを睨みつけて、俺の視線の先にある腕時計の盤を手で覆った。

「そういうときは、電車じゃなくて桃を頼るべきじゃないですか!」

 俺のさしている小さな紺色の折り畳み傘に一緒に入るような形で密着し、不満そうな顔で頬を膨らませる。食事のために括られた乱雑なポニーテールが雨の中走ってきたことでより乱れていて、そんな必死な姿の桃を見て俺の中で過剰になっていた焦りが少しだけ落ち着いた。

 そうだ、冷静にならないといけなかったんだ。

 フィランスブルーは他のヒーローみたいな活躍が出来ない分、俺がやるべきことは全て俺一人の力で解決しなくてはと躍起になっていた。でも、これはヒーローの問題だ、桃を頼ったほうがずっと良い。

「・・・ごめん、桃。急いでいかなきゃいけない場所があるんだ。俺を連れてって欲しい」

 本気で急ぐなら、使えるものはすべて使って、協力してもらうべきだった。

「ふふっ、仕方ないですね。ラーメンとっても美味しかったので、特別に連れて行ってあげますよ」

 はらりと髪を解き、慣れた手つきでいつものツインテールを作った桃は愛らしく歯を見せて俺を路地裏に誘導した。


 大学から駅に繋がる道を大きく外れた路地裏は、天気の悪さもあって人気は無い。シャッターの降りた商店の間に入り込むと、桃は傘を持った俺の腕を掴んだ。

「トイレに入って着替えている暇はないので、先輩壁になってください」

「・・・えっ」

「桃のハダカを他の人に見せる気ですか?」

 有無を言わさずに俺の傘を誘導させて身体を隠すような位置に持っていくと、桃は鞄からフィランスピンクのスーツを取り出した。

「・・・って、ここで着替えるのか!? コンビニとか入ったほうがいいんじゃないか」

 向日葵や茜さんはよく服の下にスーツを着ているらしいけど、肩や太ももの露出した桃の私服では着替える必要があるのか。

「人に見られずに着替えるには周囲に誰もいない公園やデパートのトイレか、桃が逃げ出せるサイズの窓がある駅のトイレとかじゃないとダメなんです。普通のお店で桃がトイレに入ってフィランスピンクが出てきたら正体がバレちゃうじゃないですか」

「確かにそうかもしれないけど・・・」

「大丈夫です、先輩がちゃんと壁になって桃の事隠してくれれば。先輩の後ろ姿ならもし誰かに見られてもフィランスピンクの正体だとは思われないでしょうし。普段はこんなことしないんですけど緊急事態ですし、先輩のお願いですからね。背に腹は代えられません」

「いや、そうなんだけど・・・」

 俺の背中と傘と店の壁で周囲から桃の姿は隠せるけど、俺からは隠せなくなる。

「・・・まぁ、薄目くらいなら開けてもいいですよ」

 ギュッ、と胸を鷲掴みにされる小悪魔な表情。壁に背中を預けて既に靴下を脱ぎ始めている桃の余裕たっぷりな様子に俺の心は先程とは別の意味で冷静さを失ってしまいそうだ。

「ぜ、絶対見ないから」

「そうですか? ざんねん」

 しっかりと眼を瞑ってあさっての方向を向く俺に、見えないけど桃がニヤニヤとからかうような笑みを浮かべているのだろうとわかる。



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