第50話 朽葉向日葵の『欲しい物』


 *

「ど、どうしてそんな事を言うのですか?」

 僕はもう何度も、しっかり、わかりやすく説明している筈なのに鶯お義姉ちゃんは惚けた顔でまたそんなことを言った。まるで怯えているかのようなか弱気な素振りで震えながら、僕に掴まれた腕を振りほどこうと力なく抵抗している。


「お義姉ちゃんはお兄ちゃんの奥さんなんだよね。お兄ちゃんはヒーローが活躍する姿が好き、好きな人がヒーローだったらもっと嬉しいに決まってる。それを理解できない鶯お義姉ちゃんのほうが「どうして?」だよ」

 何も間違った事は言っていない。好きな人の為に努力したいなんて、誰だって考える当たり前の事。なのに、鶯お義姉ちゃんは何やら言い訳をしてそれを拒否している。

「ですがこれ以上無理をしては私の身体が・・・」

 どうしてこの人は自分の身体の心配ばかりしているんだろう。愛の力で戦うヒーローである以上、自分の身体は愛の為の道具でしかないのに、道具は使わないと意味がないって知らないのかな。

 それに、僕以上に大きな愛の力を持っている筈のお義姉ちゃんがこの程度で無理だなんてありえないよ。

「何が嫌なのか僕にはわからないけどさ、ヒーローのお仕事なんだからちゃんとやらなきゃだめだよ?」

 理由をつけて自分のするべきことから逃げて、お兄ちゃんの期待を裏切ろうとしている。お兄ちゃんはなんでこの人を選んだんだろう。

 なんだか悲しくなってしまった僕は、さっきから震えたばかりいるお義姉ちゃんの手首を離してあげた。別に縛り付けたつもりはなかったのに、お義姉ちゃんは僕の手から離れると直ぐに距離を置いた。

「それとも、お兄ちゃんの事。本当は愛していないの?」

 僕よりお兄ちゃんに愛されているこの人が、お兄ちゃんを愛していないなんて僕は許せない。だってそれはきっと、空お兄ちゃんを不幸にする。

「そんなわけありません! 私達は真剣に愛し合っているんです。でもそれとこれとは別といいますか、ヒーローの力にも限度が・・・」


「限度?」

 その言葉を聞いて、僕は嫌な予感が当たってしまったんだなと察した。


「ヒーローの力は愛の力。つまり鶯お義姉ちゃんの愛には『限度』があるって・・・そう言いたいんだ」

 お兄ちゃんが選んだ人なら素敵な人だ。お兄ちゃんの判断を否定するなんてありえない。そんな思いでさっきまで抑え込んでいた感情が、耐え切れず僕の胸の奥から湧き上がるのを感じた。

「違います朽葉さん、そういうわけでは・・・」

 僕は鶯お義姉ちゃんから注射器を一本奪い、半ズボンを少しまくり上げて太ももに深く突き刺した。

「ひっ!」

 ずぶり、と僕の太ももに針が無造作に突き刺さる。最初に鋭く、次に鈍く広がる痛みをじっくりと感じる。僕の代わりに小さく悲鳴を上げたお義姉ちゃんを睨み、そのまま注射器を引き抜いた。

「限度とか、自分の身体とか、無理とか・・・本当の愛の前には全て無意味だって思うんだけど。僕、何か間違ってる?」

 ただ雑に抜き差ししただけの注射針は、針先に血がべっとりと付着しただけで中には一滴も採取されていない。太ももからはダラダラと遠慮なく血が流れだす。軽い痺れと切り傷に似た痛みを感じたけど、それは直ぐに傷口と一緒にどこかに消えた。

「ほら」

 綺麗に修復された僕の脚を、お義姉ちゃんは化け物を見るかのような眼でただただ見ていた。


「愛の力に限界なんて無いでしょ」

 この人はお兄ちゃんへの愛が足りない。空お兄ちゃんを愛してない。

「僕はお兄ちゃんの為ならいくらでも血を流せるよ、腕や脚がなくなったって構わない。大事なのはどれだけお兄ちゃんが幸福でいられるかだけだもの」

 お兄ちゃんを喜ばせる為なら、その程度の苦労は苦労じゃないと僕は思う。

「僕が僕の身体を大事にするときは僕の身体はお兄ちゃんの物だからお兄ちゃんの願いと無関係の事で壊してはいけないと理解しているから。でも今は違うよ、博士が言ってたでしょ。今回は特別な任務なの、僕達ヒーローを影で手助けしてくれる人達の為の任務なんだよ。つまりこの任務が成功するかどうかはヒーロー活動そのものに関わるかもしれない。ね、わかるよね。ヒーローがいなくなったらお兄ちゃんは悲しむんだから。今は自分の身体の心配なんて後回しにしていい時なんだよ」

 あまりに反応が悪いこの人の姿に頭に血がのぼってまくしたててしまった。だってこの人はお兄ちゃんの為に努力する気がないんだ。

 それなのにお兄ちゃんに愛されているなんて、そんなのおかしい。

 せめて僕の言葉と行動がお義姉ちゃんに伝わって欲しい、そんな気持ちで僕は続けた。

「鶯お義姉ちゃん。空お兄ちゃんの事を愛しているなら、フィランスグリーンとして壊れるまでお仕事しようよ。それが愛の力で戦う僕達ヒーローがお兄ちゃんを幸せにする一番の近道なんだよ」

 しかし、お義姉ちゃんは変わらず僕の言葉に納得いかない表情で、俯いている。

「・・・ですっ」

 そして小さな声で、絞り出すように何か言った。

「なに?」


「私が壊れるくらいなら、ヒーローじゃなくていいです! ヒーローやめます!」


 ・・・え?

 この人は、この人は本当に何を言っているんだろう。ヒーローを辞める。

 愛の力を否定する? お兄ちゃんの幸せを諦める?

 空お兄ちゃんに愛し愛されることでヒーローになって、それによってさらにお兄ちゃんに喜んでもらえるという最高の永久機関に居ながらこの人は、自分の為ならヒーローでいたくないなんて言い出した。

「あり得ない」

 この人の「愛してる」は口だけだったってことだ。そうじゃなきゃヒーロー辞めたいなんて言うわけない。こんな傲慢な女性がお兄ちゃんのお嫁さんだなんて許せない、お兄ちゃんに愛されるなんて許せない。

「なんで、なんでそんな事が言えるの?」

 お兄ちゃんを世界一幸せにする力を持っているのに。唯一の権利を手にしたのに、それを簡単に捨てるなんて。

 自分はヒーローじゃなくてもお兄ちゃんに愛してもらえる自信があるからなのかな。此方からの愛なんて無くても構わないってことなのかな。

「そんなの、空お兄ちゃんが可哀そうだ」

 好きな人から愛されていない辛さを僕はよく知っている。あんなに辛くて淋しくて孤独でどうしようもない気持ちをお兄ちゃんに味合わせるわけにはいかない。

「あなたがお兄ちゃんを愛していないなら・・・」


 最近ずっと考えていた、お兄ちゃんにおねだりする『頑張ったご褒美』。欲しい物を考えておいてと言われていたけれど、僕にとってはお兄ちゃんに褒められる事だけが最高のご褒美で、少しでも僕の方を見てくれるのならそれ以外何もいらなかった。

 特別な一番になれないことはわかっていたし、それは仕方ない事だって納得していた。全ては僕が未熟で幼い子供だから、僕の事は時々思い出してくれるだけで充分幸せだった。

 でも、満足していた筈なのに、時間が経てば経つほど僕の中にあるお兄ちゃんに会いたいという気持ちは大きくなって、そんな我儘許されないと自分に強く言い聞かせる事が増えていた。僕なんかがお兄ちゃんの隣に立つなんて、愛を求めるなんて分不相応だとずっと我慢していた。


 我慢して我慢して我慢して、ずっと我慢して、抑え込んでいたけれど。やっぱり嫌だ。こんな人に―――他の人にお兄ちゃんを奪われてしまうなら。


「僕がお兄ちゃんのお嫁さんになる」

 世界で一番お兄ちゃんの事を愛している僕が、世界で一番お兄ちゃんを幸せにしたい。


「僕は、お兄ちゃんに愛されたいんだ!」


 それは、今まで知らなかった僕の『欲しいもの』だった。


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