第49話 朽葉向日葵の正体


「―――ちゃん!」

 視界と頭にぼんやりとモヤがかかり、うまく身体を動かせない感覚。指先の痺れと軽い寒気。私はこの状態が何を示すか思い出すことに少しだけ時間がかかりました。


「おきて、おきてよ!」

 まだ私がフィランスグリーンになりたての頃に良く失敗していた。能力の使い過ぎによる貧血。当然です、献血だって体重によって限度量が決まっているのですから素人が感覚で採血してはこうなるのも仕方がない。

「どうしたの、死んじゃったの? ねぇ、目を覚ましてよ! 鶯お義姉ちゃん!」


 次に気が付くと、私は小さな泥だらけの手に抱えられていたのです。

「朽葉さ・・・ん?」

 段々とはっきりとする視界にうつったのは、酷く焦った様子の朽葉さん。片側からは轟々と川が流れる音とそれにかき消される雨音、反対からは私を呼ぶ彼女の声。

「私、気絶していたのですか?」

「そうだよ! 危うく川に流されるところだったんだから」


 ゆっくりと身体を起こし、周囲を見渡しました。雨は相変わらず降り続けていますが外は明るく、私が長い間気を失っていたのがわかります。川の傍の大きな木の下、それほど雨露は凌げない場所ですがタンクごと私をここまで引きずってくれていたのは朽葉さんでしょう。

「ありがとうございます。どうやら貧血になってしまったようです」

 私としたことが恥ずかしい失敗です。ここ数日寝不足だった事もあり、血が足りなくなっていたのでしょう。自分がベテランヒーローであるという奢りで無理をして体調を崩すだなんて、緊張感が足りませんでした。

「貧血?」

 私にペットボトルの水を差しだしながら朽葉さんは尋ねます。それを受け取るときに気付いたのですが、私の左腕から採血チューブが抜き取られ、簡単ですがティッシュとハンカチで止血までしてくれていました。

 きっと、倒れている私を見てこの子に出来る最善の行動をとってくれたのでしょう。少し不器用にくくられたハンカチから彼女の優しさが伝わってきます。私は今まで彼女を誤解していたのかもしれませんね。空さんを兄と慕う下品で幼稚なお子様だと思っていましたが、空さんの妻である私を本当の姉のように思ってくれるとても素直で素敵な子じゃないですか。

「えぇ、ですから心配はいりません。ありがとうございます朽葉さん」

 私が優しく微笑むと、朽葉さんはほっと胸をなでおろしました。

「私の能力は変幻自在の透明な薬品を生成することと、それに自分の血液を混ぜる事で任意の組成・性質を持った薬品に変化させることです。能力の使用には採血が必要なのですが、無理に取り過ぎたせいで気絶していたようです」

「血から薬を作るなんて、なんだか凄い能力だね」


 さて、倒れてからどの程度が経ったのかはわかりませんが今はどのような状態なのでしょうか。私の血が無駄に流れていないと良いのですが。

「川に流れた有害物質の中和はまだ途中ですが、もう今日はこれ以上の採血は無理でしょう。一度博士に相談して・・・」

 と、私は荷物からスマホを取り出したところで、目の前の彼女の泥に汚れた細く小さな手が私の手首をつかみました。

 その力はとても強く、一瞬だけあの赤い悪魔のようなヒーローを思い浮かべてしまいます。


「なんで?」

 そして朽葉さんは、真っすぐ、恐怖を感じるほどに真っすぐな瞳でこちらを見てきたのです。


「えっ、その。これ以上採血してはまた倒れてしまうかもしれませんので、博士に相談をして日を改めた方が・・・」

 彼女はまだ中学生、私の能力を理解するには幼かったのでしょうか。

「・・・ねぇ、その血を使ってお薬を作るのに鶯お義姉ちゃんは起きていないといけないの?」

 返って来たのは、どういう意図かわからない質問でした。

「いえ、生成する薬品の組成を決めるのは最初の一滴を入れた時ですので、気絶した後の採血も決して無駄にはなっていないかと・・・」

 川に流れていなければ生成した薬は無関係な場所に染み込んだ事になるのでロスになってしまいますが、それは今確認するべきことなのでしょうか。

 私は疑問に思いながら続けました。

「とにかく、このまま私の力を使い続けるのは危険です。博士に判断を仰いだほうが宜しいかと思います」

 博士は私を酷使してはいますが、私が死ぬ事がデメリットだと理解しているので状況を知れば何か策を考えてくれるでしょう。それに、空さんに注意していただいてからは博士から私へのあたりの強さが緩和されていますし、きっと話せばわかってくれます。

「ですので・・・申し訳ありませんが、一旦安全な場所まで移動しませんか? まだ少しふらつくので肩を貸していただけると嬉しいです」

 朽葉さんはそれでも私の手首を離さず、強く握ったまま愛らしい少女の笑みを浮かべていました。

「その必要はないよ、鶯お義姉ちゃん」

「へ?」

 無邪気に上げた口角が、私にはなぜか酷く不気味に思えました。

「このまま続ければいいじゃん。気絶したって続けられるんでしょ?」

 この時初めて、私はフィランスイエローがどんな人物か理解したのです。

「えぇっと、朽葉さん? その、気絶するというのは本来人間の身体から取って良い血液量を超えているからであって。そのまま無理に続けては私が死んでしまうかもしれないのでそれは無理・・・」

「なんで?」

 無知で幼稚で下品な少女ではなく、私と空さんの事を祝福してくれる物分かりの良い素直な妹。先ほど改めたばかりの考えでしたが、さらに彼女のことを大きく誤解していた事に気付きました。


「愛の力があれば死んだりしないよ。鶯お義姉ちゃんのお兄ちゃんへの愛は本物でしょ? はやく悪いものを取り除いたほうがきっとお兄ちゃん喜ぶよ。ねぇ、気絶してても僕がちゃんとずれないように支えていてあげるからさ」


 彼女は多分、私の・・・いえ、愛する者以外の命なんてどうでも良いと思っているのでしょう。そしてその価値観こそが多数派で当たり前のものだと。


「ほら、お義姉ちゃん。もっと頑張らないと」

 自称義理の妹は、悪魔のような少女だったのです。

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