第48話 常盤鶯の能力

 *

「はぁっ・・・はぁっ・・・」

 ガサッ、ガサッ、と野生動物のように木の上を移動しながらこちらへ近づく音。とにかく、とにかく遠くへ行かなくては。


「・・・・・・っ、ま、まだ追ってくるんですか」

 息を切らし、切らした息を何とか止めて木の陰に隠れる。背負った薬品タンクの中の緑の液体がちゃぽんと揺れ、私の身体にずしりと疲労が襲ってくる。

 押し寄せる眩暈になんとか気を失わないようにしながら、私は震える手でスマホを取り出し、助けを求めました。


『空さん』

『助けてください』

『空さん、返事をしてください』

『お願いします助けて』


 何度もメッセージを送る。でも、既読はつきません。

「そ、そうだ、電話。電話も」

 しかし通知音は成り続けるばかり、空さんには繋がらない。

「どうして、どうして私がこんな・・・」

 時間は正午、本当なら任務を終えて基地に戻っていた筈なのに。私は血まみれの身体を引きずりながら『あれ』から逃げ惑うことしかできない。

「空さん、博士、この際他のヒーローでも良い・・・お願い、誰か助けに来て」

 あぁ、また眼がかすんできました。頭もふらふらする。血が足りない。でもここで倒れては駄目、今倒れてしまったら・・・殺される。


『たすけて 朽葉さんに殺される』

 




 本当はこんなはずじゃなかったんです。朽葉さんにとっては珍しくとも私によってはよくある任務の一つでした。汚染物質の中和は私のヒーロー能力と相性の良い依頼で、私はフィランスグリーン単独として今までも類似した任務に何度も出ていました。

 今回も、薬品の解析を直ぐに済ませて中和物質を作り出し、薬品放射器で散布するところまではいつも通りでした。ただ一つだけ問題があるとすれば薬品の構造が普段より複雑で、既に自然界に浸透してしまった量が多かったこと。

 私のヒーロー武器である薬品放射器はまず自分の能力でタンクを特殊な液体で満たすことが基本になります。ただ、それだけでは毒にも薬にも武器にも心もとない無難な組成。出来ることは殆どありません。


 私の能力の真骨頂はタンクの液体に自身の血液を数量加えることでタンク内の液体を私の望む性質を持つ薬に変化させる事なのです。『望む』というのは本当に自由自在で、汚染物質と混ざり打ち消し合う中和薬にも、どんな金属でも一瞬で腐敗させられるような強酸にも、無色透明ながらも数滴飲めば全身植物人間にさせることのできる毒も、それを完全に無効化する特効薬も。一見、特殊過ぎて使い勝手の悪い私のヒーロー武器はアイデアだけで無限の利便性を秘めた毒であり薬なのです。

 代償として自分の血液を消費するという事に最初は驚きましたが、タンク一杯の2.5Lの液体に対して10mLもあれば工業的に使用されるレベルの毒性を余裕で打ち消す力のある薬を生成できるので、普段の任務では病院の採決程度の消費でなんとかなります。博士のはからいで鉄分サプリメント等も常備していますし、食生活に気を遣っていれば身体に問題が出る事なんてありませんでした。


 強いて言うなら、任務が連続すると注射痕が腕に残りまるで薬物中毒の方のように見えてしまう事ですが、今は勘違いされるのならそれはそれで空さんに心配をしてもらえるので構わないと思っています。この傷跡は全て私がフィランスグリーンとして身を削って市民の平和と、そして守るべき自然を救った証と考えれば素敵な勲章ともいえるでしょう。


「―――さて、森への散布は大方終わりましたが、問題は川の方ですね」

 正直、油断していた部分はあります。ヒーロー活動そのものがルーティンと化していた私の生活にとって、今回の任務は取るに足らないモノだと思っていたことは否めません。それに、危惧していた朽葉さんが私達夫婦を羨み、祝福してくれたという喜びに浮かれていたこともあって判断が鈍っていました。


「・・・もうタンクが空ですか。新たに作らなくてはいけませんね」

 川の中流にたどり着いた私は検査機で水質を調べながら、森林への散布で使い切った薬品タンクを満たすことに集中しました。同時に、普段はあまり使うことの無い献血式の採血チューブを取り付けるという判断もしてしまった。

 血液採取は注射器で行うのですが、あまりに量が必要な時は献血のようにチューブを直接タンクに繋げて継続的に血液を送り込むための採血チューブを使用するのです。タンクへの輸血と、能力でタンクに液体を満たす事と、手元の放射器でタンクの薬品を放出することを同時に行うことで身体への負担はありますがより効率的に無駄なく汚染濃度を調整することが出来る。

 森林に染み込んだ薬品と、私達が現場にたどり着くまでの時間、そして雨によって川の流れが急になっている事を考えると私は1,2度の採血では足りないと判断し、左腕に太めの献血針を刺し、その先をタンクにセットしました。


「放射器のモードはストレートに切り替えておきましょう。朽葉さんがこちらに応援に来てくれたら上流を少し止めてもらえますかね。そうしたらもう少し早く終わるかも」

 川の水から出た汚染物質の量は予想通り厄介な濃度で、私は直ぐに毒素中和の任務に取り掛かりました。多少血が足りなくなってきたので普段から持ち歩いているサプリメントと飴を口に含み、あとはひたすら薬品を川に流し込むだけで、この川から有害物質は薄れていく。


 その筈でした。

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