第42話 フィランスイエローの出動記録2


 紫雲堂に戻る前に近所の公園のトイレに入る。身体に付いた泥を軽く拭いて、トイレの掃除ロッカーに隠してあったリュックサックからTシャツワンピースを取り出した。どうせ直ぐに新しく出動要請が出るとは思うけど、紫雲堂がヒーロー基地だとバレてはいけないのでヒーロースーツのまま帰還しちゃいけないのがルールだ。

 僕のスーツは形状的に上からワンピースを被れば隠せるのだけど、今日は泥だらけだからちゃんと着替えて戻ろう。あまり問題がありそうな見た目でうろついていると周囲の人に怪しい目で見られるからって、この前博士に怒られたし。

「いてて、おしりも擦りむいてたみたい」

 雨に濡れてぴったりと身体に張り付いたヒーロースーツを脱ぐと、半ズボンのおしりの部分が擦れていた。僕の痛みは直ぐに消えたけどスーツの解れは治らないので、今度博士に修復してもらわないといけない。

「痛みが愛じゃないなら、痛いのなんて辛いだけで嫌だな」

 損傷した半ズボンを見て、ふと思った。

「どうせ怪我が治せるなら最初から痛くないように出来ないのかな」

 お兄ちゃんは僕が傷ついたり怪我したりするのが嫌だって言ってたし、僕が痛くない方がお兄ちゃんも安心してくれるかも。

 痛くなかったら任務の途中で怪我をしてもいつも通り動けるし、怪我はあとで時間があるときにまとめて治しちゃえばいい。その分みんなを助けることに力を集中できるから今までよりもっと活躍できるかもしれない。薬局で痛み止めとか売ってるの見たことあるし、怪我しても痛くないようにする方法がきっとあるんだろうな、博士に頼んで作ってもらおう。

「へへっ、いい考えかも。お兄ちゃん喜んでくれるかな」

 きっとこれが『相手のして欲しい事を考える』ってことなんだろうな。僕は間違ってばかりだし、お兄ちゃんがいなければ何の価値もない人間だけど、こうやって少しずつお兄ちゃんの為になにが出来るかを考えていけばもっと愛してもらえるよね。


 軽くなった足取りに身体を任せて水たまりだらけの道路を進み、僕の家でもある紫雲堂に帰って来る。出動帰りは夜遅くなることもしばしばで、前におまわりさんに声をかけられてしまった事があるから、慎重に周囲を警戒してから合鍵を取り出して店に入った。

「ただいまぁ」

 誰もいない真っ暗な紫雲堂は古本の雑多で湿気た匂いが充満している。本当の古本屋さんだったら梅雨の時期は色々と忙しいのかもしれないけどこのお店は僕達が出入りしやすいためのカモフラージュなので、ここの本達はお構いなしにカビてしまっていることだろう。博士の話によると、本は賞味期限もないし安く簡単に沢山手に入るし、老若男女問わず客として不自然でないから古本屋を選んだらしい。

「ふあぁ、仮眠する時間あればいいけど」

 足元に気を付けながらカウンター奥に進み、スタッフルームに入って基地への通路を開ける。ロックを解除して床下を開けたところで鞄に入れていた携帯電話が震えた。

「ざんねん。博士からだ」

 どこにいても出動要請を受けられるようにと支給された僕の携帯電話は基本的に博士からしか連絡がこないけど、最近はお兄ちゃんも連絡をくれる。九割以上博士からの業務連絡だとはわかっていても、お兄ちゃんからの連絡を待って携帯電話を眺めているだけで楽しい気分になれるので、嬉しい変化だ。

 画面をタップしてアプリを開くと、いつも通り出動先の地図とどんな事故が発生したのかがわかりやすく表示される。ただ、いつもと違うのは注意事項に『今回はグリーンと一緒に行動してもらう。出動前にモニタールームに寄る事』と書かれている事だ。

「・・・常盤鶯と?」

 常盤鶯、フィランスグリーン。あの人はよくわからないから怖い。

 僕達ヒーローは誰かと一緒に出動する機会が殆どなく、常に単独行動だ。重要な連絡事項は全て博士から聞くし、基地内ですれ違ってもおしゃべりしたりはしない。これは僕だけじゃなくて、多分他のヒーローも同じ。

 そんなこと博士が一番わかっている筈なのに、あえて僕と常盤鶯を一緒に行動させるという事は、それだけ急ぎの現場ということなのかな。ちょっと疲れていたけど、大きな事故現場とかならもっと沢山の人を助けられるし、頑張ろう。


「はかせー、いる?」

 もうここに住んで一年が過ぎるのに油断をすると迷子になりそうな広い基地内を進み、お目当てのモニタールームに到着する。呼び出しボタンを押そうと人差し指を立てたところで、背後から声をかけられた。

「朽葉さん」

「あっ」

 いつからいたのだろう、僕の直ぐ背後にはジャージ姿の常盤鶯が立っていた。

 常盤鶯はずぶ濡れのままの僕に

「もしかして、今帰って来たところですか?」

 と、真っ赤な眼でジロリと睨んできた。さっきまで泣きはらしていたのか、顔まで赤い。

「そうだよ」

 僕にとってお兄ちゃん以外の人間は等しくどうでも良い。強いて言うなら僕とお兄ちゃんを引き合わせてくれた竜胆博士に感謝や信頼の感情を持っているくらいで、その他のヒーローなんて僕にとっては他人も同然だ。

 だから常盤鶯がつい先ほどまで泣いていたような顔をしていても普段の僕にはあまり関係がないのだけど、今日はこれから共同作業がある。

「泣いてたの?」

 別に僕以外のヒーローのプライベートになんて興味は無いけれど、今日だけは一緒に行動するパートナーだし少しくらい話を聞こうという気になった。


 そして、そんな僕の気まぐれは思わぬ方向に転んだみたいだ。

「えぇ、ちょっと夫と・・・空さんと喧嘩をしてしまって」

 突然出てきたお兄ちゃんの名前と直前の単語。僕はモニタールームの扉に背を向けて、しっかりと常盤鶯の表情を見た。充血した眼、耳まで赤くなった顔、水滴を雑に拭きとった汚れの残る眼鏡、ジャージの袖は湿っている。

 僕に演技をする理由は無い、お兄ちゃんと喧嘩をして泣いてしまったという話は本当みたいだ。だったら、もう一つの内容も事実?

「夫、って言った?」

 一番大事な部分を改めて尋ねる。

「えぇ」

 言いよどんだり、動揺するそぶりを見せないで直ぐに返って来た。とても嘘をついているようには見えない。

「私、空さんの妻ですから」

「・・・ほんとに?」

 知らなかった。お兄ちゃんが常盤鶯と結婚していたなんて。でも二人とも結婚できる年齢だし、あり得ない話じゃないのかな。


「はい。まだ籍は入れていませんが、私達は愛し合っています」


 愛。愛し合う。

 そうか、お兄ちゃんの愛は常盤鶯に注がれていたんだ。

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