第39話 桃はご機嫌
「もう、先輩はしょうがないなぁ・・・あれ、もしかしてあのお店ですか?」
桃が指さす先、古臭い看板に頑固な達筆で描かれた『水噛家』の文字の前には既に6、7人ほどの待ち人が立っていた。これでも平日の昼休みにしては比較的少ない方だ。並んでもいいかと俺が確認するまでもなく、桃は最後尾に立ち「いいにおいですねぇ」と無邪気な顔を見せる。
「平日なのにこれだけ混雑してるなんて、味の方も期待できそうですねっ」
傾けた傘をくるくるまわして店の外に張り出されたメニューを見ている。こうして客観的な視点でみると改めて思うが、桃は可愛いを自称しているだけあってさりげない仕草すら絵になる。目の前のワンショットだけ見ればここがお洒落なカフェの前かと錯覚してしまうが、濃厚な豚骨の匂いが現実に引き戻す。
「初めての店は券売機左上の法則に乗っ取る派ですけど、この期間限定坦々油そばも魅力的ですね」
「あ、それめちゃくちゃ辛いけど大丈夫?」
前に行った時に伊崎が軽い気持ちで注文して火を噴いていた。ミナカミはよく期間限定メニューを出すのだが、いつも無難に当たりなので油断していた。今回に限ってはかなり攻めたメニューで、割と本格的な辛旨担々麺だったのだ。とはいえ火を噴きながらも旨いと言っていたからただ辛いだけではないのだろうけど、辛味耐性がそこまで高くない俺は挑戦する気になれない。
「そうなんだぁ。桃ちょっと辛いのは好きだけど得意ってほどじゃないから、やめておきます。普通の水噛ラーメンにしよっと」
「俺は何にしようかな・・・」
そんな風に他愛もない会話で時間を潰しているとあっという間に俺達の順番が来た。たたんだ傘を傘立てに突っ込み店内に足を踏み入れると、なんとなく安心感のあるべたりとした床とより強力になった豚骨臭が襲ってくる。
「桃は水噛ラーメンでいいんだよな。味玉つける? おすすめだけど」
「じゃあお言葉に甘えて」
券売機で味玉ラーメン二枚と大盛を一枚購入し、二人用のテーブル席に着く。店内はカウンターが6名分とテーブル席が二つ。外に列ができていたので当たり前だが満席だ。
女性客はいるが、男女で来店しているのは俺達だけのようでなんとなく浮ついた風に見られていないかと自意識過剰になってしまう。実際男友達とちょっと小汚くて旨いラーメン屋に行った時にカップルを見かけると無駄に気にしてしまう。ファミレスや大学の食堂ならそこまで気にならないあたり、俺の中でラーメン屋とカップルに偏見があるんだろうな。逆の立場になってその偏見がいかに無意味であるか知らされる。
「えへへ、ごちそうになりまーす」
セルフサービスの水を両手に持った桃が後から席に着いた。
「お、ありがと」
なんというか、桃は第一印象では我儘でちょっと軽そうな今時女子に見えたがこういう所、結構いい子なんだよな。一杯980円のラーメンでこんなに喜んでくれるし、俺の話だって常に楽しそうに聞いてくれる。
言い方は良くないが連れ歩くだけで優越感に浸れるレベルの美少女で、今日の服装とかも非常に俺好みだ。一緒にいて楽しいし、趣味も合う。
「桃って割と理想の彼女だよなぁ」
彼女がヤンデレフィランスピンクであるということを除けば、完璧な子だと思う。
「・・・・・・はぇっ!?」
「え?」
ふと気が付くと、目の前には水の入ったコップを握りしめて石のようにかたまった桃。心なしかツインテールがぴょこんと高い位置で硬直しているように見える。
「・・・あ、あははっ」
顔を真っ赤にして気まずそうに視線を逸らす姿を見て、とんでもないことをしでかした事に気付いた。
「やっ、待て、桃、今のはっ」
馬鹿過ぎる。今の口に出ていたのか俺。馬鹿過ぎるだろ。油断しすぎだ。
「冗談というか、客観的なやつ! そう、客観的な奴だから!」
混乱のあまり意味不明な言い訳しか出てこない。つべこべ考えている間に、いつの間にか心の声が漏れていた。しかもその内容が最悪だ。
「俺個人の意見じゃなくてな、桃はその、ほら、可愛いし、いい子だから、あれだよ。親戚のおばさんが言う『いいお嫁さんになるわね』みたいな軽い奴だから!!」
いくら親しい仲だからって今のは駄目だ。下手したらセクハラ。勘違い男。しかも『理想の彼女』ってなんて上から目線なんだ。何故『彼女になってくれたらなぁ』くらいに謙虚な独り言にしなかったんだ俺。
「本当にすまん! セクハラとかそういうのじゃないから、ごめん!」
バチンと大袈裟に音を立てて両掌をこすり合わせて必死に謝罪の意を示す。
桃に嫌われてはフィランスブルーとしてのミッション失敗。最悪の場合完全犯罪で殺されるかもしれない。なんとしても弁解をしなくては。
「忘れてくれ! 頼む! 軽い気持ちで言って悪かったから」
とはいえ弁解の余地がある状況では無いのでひたすら力業の言い訳と謝罪をぶつける事しか俺にはできない。
「え、えーっと。その、仕方ないですねぇ。先輩は」
ぎこちない動作と口調でいつもの桃が返事をしてくれた。口元がへにゃへにゃと変な動きをしている。
「ま、まぁ? 桃はめちゃくちゃ可愛いので思わずそんな事言っちゃう先輩の気持ちもよくわかりますよ」
「いや、ほんとごめん・・・」
「あははっ、先輩ったら本当に可愛い桃にメロメロですねぇ」
段々と調子を取り戻してきた桃が、ちょっと言葉に詰まりながらも普段通り自信満々に胸を張る。良かった、許して貰えたみたいだ。
「桃が可愛すぎるのも悪いわけですから、聞き流してあげますよ」
「ありがとう、気を付けます」
深々とお辞儀をして、改めて謝罪をしておく。すると、下がった俺の頭にテーブル越しに身を乗り出した桃の顔が近づいてきた。
「でも、どうせ告白してくれるなら今度は二人きりの時にお願いしますね」
耳元でささやかれる。抑えた吐息がいつもの甘ったるい桃の声と違って色っぽく聞こえた。
「え、あっ。あぁ」
なんだか、少しドキッとしたな。
年下なのに、なんだか桃には翻弄されっぱなしな気がする。いや、他の誰に対してでも碌に主導権を握れたためしはないのだが。
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