第35話 フィランスブルーに非番はない


 *

 雨が8日間続いている中、残念なことに今日も同じような空模様だ。はやく梅雨が終わらないかと思いながら俺は講義室の窓から薄灰色の外を見上げた。


 俺がフィランスブルーになってからもう一か月以上が経過した。最初に言われた通り俺自身がヒーローとして直接人助けをする事は一度もなかったが、ヒーロー達と交流する機会は日に日に増している。交流と言っても普通の男女がするような和やかで軽薄なものではなく、自身の一言一言に気遣いが必要で正直かなり消耗する。大学の友人には寝不足を心配される事もあるし、授業課題に手が回らない時もあった。それでも、彼女達正義のヒーローは何もできない俺の代わりに危険な場所で多くの人を救っているのだから俺は俺の仕事を続けたいと思う。


 ちなみに、一番悩みの種となっているのはフィランスグリーンの鶯さんだ。博士の発明品で未来予知を見たあの日、俺は鶯さんに手料理を御馳走になった。そして、あろうことか食事の途中で俺は眠ってしまったのだ。料理に何か盛った様子がないかは注意深く観察していたので彼女を疑う事は難しいが、俺には自分が手料理を振る舞われている最中に眠気に負けてしまう様な男だとは思いたくない。きっと俺の目の届かないタイミングで何か仕掛けられていたのだろう。

 ただ、不思議なことに俺が目を覚ましたのは俺の家の近所にある公園だった。もし鶯さんが何らかの目的で俺に睡眠薬を飲ませたとしたら、何もせずに家の傍まで届けてくれるというのは変な話だ。公園のベンチで気が付いた俺が慌てて鶯さんに電話したが、鶯さんは何も教えてくれないし「知らない」の一点張り。私物を盗られたわけでもないし、それ以降身体に異変があったわけでもない、あの日俺が寝ている間に起こった出来事に関してはいまだに謎のままだ。


 そしてその日以降、鶯さんは頻繁に俺に連絡をしてくるようになった。

 最初はLINEが時間おきに来る程度だったが、頻度は徐々に増え、突然電話をかけてくることもある。電話に出ると鶯さんはいつも過呼吸状態で泣いていて、その日あった辛い事の話を延々と吐露する。酷いときはリストカット実況を始めたので深夜で翌日一限の授業があるにも関わらずタクシーで彼女の部屋まで止めに行った。


 最初は真摯に向き合っていた俺も、段々と疲労が出てきて最近は未読スルーをする事も増えた。これはフィランスブルーとしての職務怠慢であり、鶯さんを見捨てるような行為だということはわかっていたが、俺は彼女を救おうと努力することが嫌になってきていた。もちろん、完全に無視することは許されないので暴発するギリギリのラインを俺なりに推測してきちんとフォローはする。俺の平穏と鶯さんの平穏、両立するにはどちらも等しくある程度傷つかないと成り立たないのだ。俺は自分の身を完全に削れるほどの博愛精神は持っていなかったし、鶯さんだけを気遣っているわけにもいかない。


「あぁ、向日葵ともう四日は会ってないのか。週末基地に行って、あと博士に近況報告と相談、ついでに鶯さんに昨晩言い過ぎたこと謝りに行かなきゃな・・・。初年次ゼミの課題は適当に形だけ済まればいいか、単位とれればいいし。実験レポートはそろそろ真面目にやらないとヤバいから日曜にまとめてやって。てか来週からテスト始まるのか、時間とれるかな。あぁ、夏休みオープンキャンパスのスタッフ頼まれてたんだっけ、返事今週中か、多分余裕ないよなぁ、でも講義出れないこと多いし先生に媚びうっておいたほうがいいのかな・・・」


 週真ん中の水曜日、出席さえすれば単位が取れると言われている二限目の授業を上の空で聞きながら俺は今後の予定について考えていた。

 最近向日葵はヒーローの仕事をかなり熱心に頑張っているらしい。最初の頃みたいに俺の言葉を変に曲解するようなことも無く、会いに行くと俺の事をすごく歓迎してくれる。

 とはいえ油断は禁物なので本人の「大丈夫」を信じ切らずに頻繁に会いに行くように心がけている。それは俺自身で決めたことだが、大学一年生というそれなりに忙しい生活の中彼女達のメンタルを常に気にしなくてはいけないという縛りは正直言うと堪える。

 寂しがりな恋人がいる世のリア充たちはこんな生活をしているのか。俺が実家暮らしじゃなかったら疲労と心労で死んでいたかもしれない。


「これも正義の為だ。俺は世界平和に貢献しているんだ」

 博士がよく俺を励ます時に言ってくれる言葉を小さく反芻して、ギリギリのところにいる自分の正義感を燃え上がらせる。その燃料が、いつまでもつのかは俺にもわからない。


『ピコッ』

 最小音量で鳴ったメッセージの受信音。俺は講義室の机の下でこっそりとスマートフォンを取り出して画面をつけた。

『先輩今日おひまですか??』

 キラキラに加工された自撮りアイコンの主は桃だ。現役高校生である彼女が平日の昼間に暇なわけはないのだが、俺は素直に返事をしておいた。

『今は二限目の授業中。今日は休講だから午後は暇だよ』

 水曜日の時間割は1、2、5限というやや無駄の多いスケジュールだ。これは俺が悪いわけではなく必修科目が元々配置されていてその間に取りたい科目が無かっただけだ。無駄に空いた時間は友達と少し遠出して昼飯を食べたり、大学近くで一人暮らしをしている奴の家でゲームしたり、食堂の隅っこで他の曜日の課題を済ませたりして時間を潰すことが多い。ただ、今週は5限目の教授の都合で休講になり、珍しく午前様というわけだ。


「なぁ、昼飯食べてから帰る?」

 周囲に迷惑にならない程度の声量で、隣でずっとスマホをいじっている友人の伊崎に訪ねる。

「いや、バイト入れてるから時間ないわ」

「ふーん。なぁ、誰かミナカミ行かない?」

 上半身を少し捻って、後ろの席に座る友人達にも声をかける。大体4~6人で行動することの多い大学内でのいつものメンツだ。『水噛家(ミナカミヤ)』は大学近くの行列ができるコスパ重視の家系ラーメン屋で、3限目が空いている日など昼休みに余裕がある曜日はよく利用する。

「あー、昨日行ったからパス」

「俺も、ラーメンって気分じゃないわ」

「飯はいいけど雨の中並ぶのが怠い」

 その場にいる友人全員に見事に拒否されてしまった。正義のヒーローは意外と人望が無いのかもしれない。この雨だし仕方ないと言えば仕方ないか。

「ちぇ、じゃあソロで行くか」

 別に男一人で店に行く事には慣れているのでそれは構わないが、こうも断られるのは嫌われているわけではないとわかっていても淋しい気分になる。フィランスブルーが連れラーメンを断られて淋しがっているなんて、世の中の人間は想像できないだろうな。そもそも、俺は働いていないので一般人からすれば現役フィランスブルーは空席ということになっているが。

「桃からの返事は・・・ないか」

 スマホをこっそり確認するが新着メッセージはない。桃とも他のヒーロー同様に頻繁に連絡を取る仲にはなった。ただ、鶯さんのように一方的で物騒な内容ではなく、暇なときに話し相手になって欲しいといった話が殆どだ。丁度見ているテレビ番組が同じだったり、俺が暇を持て余している時に連絡が来たりするのでやり取りの頻度はそれなりに多い。

 ヤンデレの予兆だって、最初に桃の仕事を見た時のフィランスレッドのぬいぐるみの件以降は目立ったものが無いし、こうして会話を重ねると彼女が本当にただの女の子なんだと思わされる。

「漫画の趣味もあうし、結構楽しいんだよな・・・」

 桃とのLINEは義務的なモノではなく、一人の女友達か後輩との会話のような安心感があった。意外と少年漫画が好きなところや、アーティストの好き嫌いが近いことから、ヒーローとして出会っていなかったら普通に気の合う友人になっていたかもしれない。

 いや、もし彼女が普通の女子高生だったら俺と親しくなる機会なんてないか。

「フィランスピンクってさぁ」

「えっ!?」

 さっきまでスマホゲームに夢中だった伊崎が突然切り出した言葉に、俺は脳内を見透かされたのかと警戒してしまう。

「フィランスピンクっているじゃん。ツインテールの」

「あ、あぁ」

 奴が見ているのはヒーローまとめサイト。なんだ、記事を見て雑談を始めただけか。

「可愛くて若い女子だって噂されてるけどさ・・・こいつ、男だと思うんだよ」

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